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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

僧侶と女性

僧侶の多くが妻以外の女性と関係を持っているという話を僧侶から直接聞きました。花街のようなところで使ったり出張先のホテルで女性を呼んだり、人々の大切なお布施であったりということも忘れてしまうみたいで、そういうことがあると知っていても、繰り返し十数年も、と聞くと、やはりとてもショックでした。カトリックの僧が外国ではやはり子供をあちこちにつくったり、乱れた性生活をしていますが(子供相手とか)、お金と権力と(住職などでたえずひとにあがめられるようになると)手に入れてしまうと、思うままになんでもできるようになるので、そういことが普通になってしまうのでしょうか。罪悪感がないところにとてもショックを受けました。 もうひとつ質問があるのですが、僧侶は男性社会で長期修行などをすることがあると思うのですが、男性同士で関係をもったりすることというのは頻繁にあるものなのですか?外国では、カトリック教会内部が女性禁止とはいわなくてもやはり男性社会なので、そういう傾向にあります。 不躾な質問で、多くのそうではない方々を侮辱するような内容になってしまっていますが、そういうつもりはまるでなく、本当にあくまで、そういうことがあるのはなぜなのか知りたいと思い、書かせていただきました。

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2024/01/11

鬱病でも仏門に入りたい

今年24歳になります。色々とあり発達障害、鬱病の診断を前々からされています。 もともと10代の頃から、おばあさんになって自分のやりたいことが出来なくなったら仏門を学んでみるのもいいかもしれないと思っていました。 通信制の学校を卒業し、やっとやりたいことをみつけ、SNSや動画を作ったり個人で活動をしていましたがメンタルも体調もよくならずやっと3年続けて折れてしまいそうです。 こんな自分を変えたいと思い、筋トレを始め、たまに仏教や神様のことについて調べて、自分を愛す、諦める、という方法を試したつもりでしたが 自分はだめだ、という固定概念が覆せずやりたい事、今まで楽しかったこともダメになってしまい これでは人を笑顔にするのはおろか、自分のことも幸せには出来ないと嘆いてばかりです。 バイトを始めれば人間関係が上手くいかず、働かなければ罪悪感に苛まれ、休むこともままならない中、 修行僧を募集しているお寺さんがあることを知りました。 ここで2つ疑問があります。 自分は、仏教について趣味程度の知識しかなく、学校にて学んだことはありません。 精神病について悩んでいる方も迎える、と言ったお寺さんがあることも知っていますが 自分を変えるため、自分のため、と言った理由でも、履歴書をちゃんと書いて、ゆくゆくは人の為に祈りたいと仏門に入ることは許されるのでしょうか。 また、大学に入って学ばなければ修行僧としての受け入れは、やはり難しいでしょうか。 まずは家でやれる写経や座禅、やってみました。 近くのお寺では説法会?など予定が何年も前からずっと更新されず体験出来ていないのが現状です。 頭の硬い私にはなかなか効果がでず、悪い言い方になりますがいっそ 厳しい世界でシバいて だめならシバかれた経験を生かし自分に強く生きていきたいと思っています。 女の体として生まれたので壁もある世界かもしれませんが、頑張りたいと想ってもいいのでしょうか。 お坊さん本職の方から意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

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2023/08/15

地獄が怖い

相談です。 現在高1です。 お時間いただきありがとうございます。 僕は、今まで生きて来て沢山悪い事をして来て後悔しています。 何をしたかと言うと、 ①幼稚園の頃に友達の上履きを隠したりした事。 ②小1の時に友達を強引に蜘蛛の巣に近づけたり、 ③小4の時に容姿の事をからかったり、エレベーターで先に行く事やボタンを全部押したり、してました。 ④小6の時に塾の友達のスマホと教科書を川に落としたり。 ⑤小6の時に嫌いな友達の帽子と教科書をトイレに落としたり。 ⑥犬を叩いたりしてしまった事 ⑦隣の家に落書きしたり。 ⑧今まで生きて来て1億回以上 ついたと思います。 ⑨中1でいじめを自作自演したり。 幼稚園の件と小1の件は、謝罪しましたが、その他は謝ってません。 言い訳かも、知れませんが小4の友達の件と小6の塾の件は、仕返しと言う感じでやってました。理由は、小4の頃は、僕のランドセルを壊されたり、 小6の塾の友達の件は、僕の新しいスマホを壊されたからです。 謝罪していない理由は、連絡先や住所が分からないからです。 なので、謝れない代わりに、心から謝りたいです。 今でも、後悔しています。 心から謝罪しています。 なので、このような事を二度としないで、人に優しくして行くのが一番の謝罪だと思います。 僕は、これから幸せになって良いと思いますか? 僕は、今後どうすればいいと思いますか? 僕は、地獄行き確定ですか? わがままかも知れませんが、天国に行きたいです。 天国に行く方法を教えて下さい! 今後どのような思考をしていけば良いですか? 楽しんで良いのでしょうか? 回答頂けたら、幸いです。

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2023/03/02

母との関係

いつもご相談に優しく応じてくださり本当にありがとうございました。 全ては私に責任があるのですが、大好きな大切な父が昨年春に65歳で他界し、一人っ子の私そして母共に月日が経てど、全く悲しみ・寂しさ・辛さが癒えないままです。 母も少々気がおかしくなっており、ちょっとした言葉やニュース(暗いことを偏重報道する日本のニュースもニュースですが)からネガティヴに考えてしまい、そんな母と良く衝突して、私も大人気ないですが怒って外出してしまうことしばしばです… その度に一人っ子は良い時は良いが、逆境になると150%自分自身が受け止めねばならず辛いどころではないなと思います。 すぐにか〜っとなってしまう私も人としての器が情け無いほど小さい(ないに等しいかもしれません)ですが… 私自身も大好きな大切な父が他界して今も全く悲しみ・辛さ・寂しさが癒えてませんが、母のことも分かってあげられず(自分自身心が小さすぎだと思います…)… どうしたら母としっかり暮らしていけるのだろうか?と… 本当は父が一ヶ月に一回でも、一日が無理なら数時間でも数分でも良いので戻って来て欲しい、そして家族3人で暮らした幸せだった瞬間が訪れて欲しいですし、それが叶わないなら父に会いに行きたいと思うことしばしばです… まとまりのない文章で申し訳ございません…

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2022/08/23

戦う意味とは?

先日、NHKで『戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜』という番組が放映されていました。 日中戦争、太平洋戦争の戦時下の動員に仏教自らも(当番組では対象を同派としていましたが、国民総動員法の元ですので宗派に関係はないと思います)戦争に加担してしまった、その実態を取材した内容でした。 77年前のはいえ、生々しい出来事の記憶です。 一方、日本史という仏教が伝来し、今日に至るまでの長い目で見たとき、お坊さんはある時、僧「兵」でもありました。また、信仰のため、民衆のため、中々アグレッシブな姿になる事もあったと思います。 私は、仏教については高校の教科書程度の知識しか持っていませんが、印象としては「穏やかな宗教」といったものです。 例えば、キリスト教やイスラームには「聖戦」という教義がありますよね。 では、仏教ないし仏教徒が「戦う」とき、戦いを「是」とする考え方はあるのでしょうか? もちろん、それぞれの事象の背景には「そうなる経緯」があります。ですので、一概には言えないと思いますが、こんな考え方、こんな教義があるというものがあれば、宗派関係なくご教示願いたいです。 あと、これは愚痴?ですが、いつも戦時下の鉄の供出にはがっかりします…お寺さんの鐘もさぞかし由緒があったろうに…。 お忙しい中とは思いますが、ご回答をよろしくお願い致します。

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2022/05/29

天部の仏様について

いつもお世話になっております。今回もご相談させてください。 ここ一年くらい前から、本を読んで仏教や御真言の勉強をしています。勉強をしていくうちにいろいろな疑問があるのですが、特に気になることがあります。 歓喜天様と荼枳尼天様についてなのですが、いくつかの本に「気難しい」「正しい信仰しないと祟られる」「真言をちょっとでも間違えると駄目だ」というような記述がありました。 他にも弁財天様は嫉妬深いからカップルでお参りするとよくないとか書いている物もあります。 私はお寺や神社を巡るのを趣味としているのですが、こういう話を聞いてしまうと、歓喜天様や荼枳尼天様にお会いしたときに、手を合わせるのが怖くなります。 また、お経についても勉強していて、参拝させていただいたときに唱えるようにしているのですが、間違って唱えてしまうことがあり、その後、大きな過ちを犯してしまったような気分になることがあるのです。 歓喜天様や荼枳尼天様・弁財天様の仏像にいろいろな所でお会いしたことがあるのですが、どのお方もお優しい顔をされていて、とてもそんな存在に見えません。なので、私自身は仏様が祟りを起こすようなことはないと思っています。 しかし、心のどこかで恐怖が拭えないのです。 そこで質問ですが、なぜ天部の仏様の中にはこういう風に言われてしまう仏様がいるのでしょうか? 専門家であるお坊さま方ならばよい答えを聞かせていただけると思い相談させていただきました。 ご回答宜しくお願い致します。

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2021/10/02

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

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同棲中の恋人を自死で亡くしました。

先月、同棲中の恋人を、自死で亡くしました。まだ四十九日は経っていません。 彼は年下で、学生でした。同棲を始めてから1年半ほど経ちます。私も彼も、精神的な病気や睡眠障害等を患っており、私は社会人として働くことも出来ず、彼も私もアルバイトをできる範囲でしておりました。お金も健康もたくさんはありませんでしたが、とても幸せに暮らしておりました。 ここでお尋ねしたいことは沢山あるのですが、急ぎでお答え頂きたい事のみ今回はご質問させていただきます。 彼がいなくなってから、色々な事を調べました。ここまで親しい方の不幸事は、私の人生でも初めてです。四十九日が終わると、次の世界への生まれ変わりが決まる、との事でした。四十九日の間に生前の罪や行いの審判を頂き、新しい世界への生まれ変わり先が決まると。三途の川を渡る事や、六道という道があり、最終目標は浄土へ行くことなど。 彼の場合、若い年齢での自死となります。逆縁というものになるそうです。 三途の川を渡る手前に河原で石を積み罪を数えている子供たちがいると読みました。彼は、親より先に亡くなってしまったので、三途の川で石を積み続け、生まれ変わることは出来ないのでしょうか? また、四十九日に生まれ変わり先が決まると言うことは、彼はもう私のそばからいなくなってしまうという事なのでしょうか。新しい世界で生きていても、私の傍で見守るなんて器用な事は可能なのでしょうか。 それとも、私と彼は完全に離れてしまい1人になってしまうのでしょうか。 よく霊感のある方などで「おばあちゃんがあなたの後ろで見守ってるよ」等を仰られています。その方は四十九日以降の生まれ変わりの中、見に来られているのでしょうか。スピリチュアルであり、どこまで信じるかは人次第なのは承知の上です。 彼は、遺書に「ずっと見守っている。あなたの守護霊になると決めていた」と彼の意思を残しました。守護霊になるには何世紀も必要な事を調べて知りました。 正直、彼には苦しんで欲しくないものの彼が傍におらず、見守ってくれていないとなると頑張れる事も頑張れなくなるだろうと思っています。ワガママですが、そばにいて欲しい成仏なんぞして欲しくないと言うのが本音です。そんなのダメな事は重々承知の上です。 四十九日以降、彼は私を見守ることが出来るのかが分からず、とても不安です。 お力添えお願いします。

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「超客観的」な感覚になってしまいます

もし、何か関連するものをご存じであれば教えてください。 まず、現在の私の状況です。 ここ何年かずっと続く感覚があります。それは自分のあらゆる「主体」という感覚が薄れているような感覚です。 自分のあらゆる行動、容姿がさも他人であるかのような感覚になります。 今こうして文章を打っているときも、脳波で動くロボットアームを動かしているみたいです。 飲食は車にガソリンを入れているような感覚だし(味覚はちゃんとあります) 鏡に映る自分を見れば、一瞬「誰だ?」みたいな気分になります。 郵便物の宛名で書かれた自分の名前はたまに誤配送を疑うくらい知らない人の名前に感じます。 などなど、そのように基本的にあらゆる自分の状態を超客観的(?)な視点で見てしまいます。 肉体だけ精神と切り離されたような、逆に言えば私の精神だけが世界から切り離されたようななんとも言えない感覚です。 一部の感覚は他人にも当てはまります。 食事や睡眠をとる他人を見ていると、好きでも嫌いでも気持ち悪いとかそんなものは一切なく「あ、食べてる(寝てる)」と不思議な感覚で、フラットに眺めてしまいます。 思考する自分に対しては「主体」としての意識はあるので、ただ肉体と精神が遠ざかっているようです。 距離としては双方それほど遠ざかっていないと思うので、2重人格とかそういったものにはならないと思います。 そういった状況を受けて、さらに最近変化してきたことがあります。 こういった感覚や状態は、俯瞰しているせいか精神の「凪」みたいな状態を招くことが多くなりました。 怒れば心拍数が上がり頭に血が上る感覚がありますがそれも俯瞰 恥ずかしくなれば顔が赤くなりますがそれも俯瞰 昔よりずっと怒りなどの感情を抑える事ができるようになりました(肉体的反応は制御できませんが) 普段はしばしば瞑想をするくらいですが、特にちゃんとトレーニングを積んだわけではありません。 肉体と精神が離れる。そんな感覚をずっと抱えていただけです。 とにかく自分の中でなぜ、どのようにこうなったのかうまく説明がつかない状況なので、もし「それこういったものでは?」となにか引っかかるもの、ご存じのものがあれば教えていただけないでしょうか? 長くなってしまい恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。

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