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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

読経

昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。

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属すべき仏教宗派が分かりません

見ていただきありがとうございます。 タイトル通りの質問をさせてください。 私は自分に(普通に生活をしているだけですが)仏教徒という自覚があり、 出来れば自分がどの宗派であるのかも名乗っておけるようになりたいのです。 私の母親(母方の家系)は曹洞宗であり、 父親は宗教全般が合わないと感じるのか無宗教を名乗っています。 私が継いでいるのは父方の家系なので、本来であれば 祖父(故人)の宗派である浄土真宗を名乗るべきなのでしょう。 しかし、浄土真宗は私と考えがあまり合わず、 葬儀での作法も少し面倒になるそうなので、親戚への負担を 考えると納得がいきません。 唯一父方の家系で生きている父方の祖母が天理教に傾倒しており、 会って口を開けばお前は馬鹿だという罵倒や学歴の話とマルチ商法などの 話ばかりをする人なので…連絡を取りたくないです。 父親も私も今はそれを避けるようにして父方の家系とは疎遠です。 そこで質問なのですが、 私はどの宗派を名乗り属せばいいのでしょう? 好きにしてしまってよろしいのでしょうか? 墓地や寺に関してはいつも宗派不問のところに お世話になっているので大丈夫そうなのですが。 可能ならば、考えが合う人や優しい人が多いと感じる 曹洞宗に属したいのですが…

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継承したお仏壇をどうするか・祀りかた

私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。

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因果応報が辛い

先月からお世話になっております。 きなこです。 先程ペットの愛猫が亡くなりました。まだ1歳でした。死因は貧血です。 実は同じ症状で7月から10匹亡くなっています。 私の家は多頭飼いですが、感染症とは違うみたいで原因はわからないそうです。 経済的にも余裕は無いのですが何匹か輸血もしましたが、皆亡くなりました。 病院の先生から経済的にも負担になるので、家で看取ればどうですか?と言われていたのに、もしかしたらと思い輸血して1匹で死なせてしまって後悔。 なので、全く同じ症状なので今回は家で看取りましたが、もっと経済的余裕があればとか、この子は輸血したら助かったかもとか、また後悔です。 後悔ばかりしてる私に、動物病院の患者さんが、もっと苦しむ事を言ってきました。 それは「猫は死ぬとき飼い主の不幸をしょえるだけ背負って逝く。人間の不幸は大きく重いので、足元がヨロヨロしながら進む。飼い主が悲しむと前に進めず立ち往生。」(まだ続きがあります。その方もネット上で見たそうです。 内容はあってますが、元のとは言葉が違うかもしれないです) 私は仏教徒です。何か文献で見ましたが仏教では、自分の不幸(悪いこと)は自分の行いが還ってきてる(因果応報)と書かれてました。 私の不幸(良くない事)は自分自身が引き起こしたのに、それを猫達が小さな肩に乗せて旅立つのは申し訳なさすぎです。 実際はどうかわかりません。そんな事無い!と言われるかもですが、猫達が何匹も亡くなって精神的に苦しい人には心に突き刺さる話でした。 私は愛猫達には幸せだけをもって旅立ってほしいです。 私に因果応報で還ってきた不幸の身代わりになってほしくないです。 病気の原因もわからないし、もしかしたら愛猫が3日に渡って1匹づつ亡くなった事や1ヶ月ちょっとで10匹亡くなった事が、私への因果応報ではないかと考え、ダメすぎる自分自身が嫌になります。 生きる必要ある?と最近よく思います。 読みづらく、乱雑な文面で申し訳ございません。

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自分の進むべき道

長文失礼致します。 ここ1~2ヶ月の間、あることを切っ掛けに特定の宗派のお寺に伺うことが増えました。 その中で、あるお寺のお弟子さんとお話しさせていただいた時に「お坊さんにならないのか」と問われ、その事についてモヤモヤとしています。 何故言われたのかはなんとなく理解できています。 それというのも、縁があり菩提寺とは別の宗派のお坊さんと知り合いになり、そのお坊さんに娘のように可愛がっていただいていました。 そのお坊さんに本当に色々なことを経験させていただき、そのお坊さんがいなければ今の自分は居ないと思うほどです。 亡くなってしまったため今は直接会う事は叶いませんが不思議と淋しいという感情はありません。 このようなことをお弟子さんにお話ししたところ上記のような発言となったのです。 恐らく「経験」の内容が水行等、修行に関することが多かったからなのでしょう。 さらには「そのお坊さんは貴女をお坊さんにしようとしていたのでは」ともお弟子さんに言われました。 しかし上述のとおり、懇意にしていたお坊さんは亡くなってしまったため真相はわかりません。 でもなんとなく私に色々な経験をさせてくれたのは自分で自分を守るためなのではないかと思っています。 いずれにしろ真相は分からないのですが… ここまでであれば私の性格上「こんなこと言われたな」程度で終わるのですが 先に書いたとおり特定の宗派(懇意にしていたお坊さんと同じ宗派)のお寺に伺う機会が増えたと同時に そのそれぞれのお寺でお経が始まる確率がすごく多く 必ずと言って良いほど伺ったお寺でお経を耳にするようになりました。 ちょうど御開帳が始まったり、こんなタイミングあるのか?と不思議に思うほどです。 そして何故かずっと開経偈が頭から離れないのです。 特に今の生活を変えたいとか思ったことはありません。 ただお坊さんになりたくないとも思いません。 行く先にその選択肢があるのなら選ぶ確率はゼロではないと思います。 最後になりましたが ・お坊さんにならないのか聞かれたこと ・お経を耳にすることが急激に増えたこと ・開経偈が頭から離れないこと これらの事は何かを意味しているのでしょうか。 またこれらのことから今私自身がすべき事はなにかありますか。 ご教授いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

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十善戒の教えは、守りやすい順番に並んでいるのですか?

はじめまして、お忙しい中恐縮ですが、気になることを質問をさせていただきます。 私は読書ブログで本を紹介させていただいたり、本の内容を暮らしの中で活用したお話を書いています。 仏教の本は、暮らしの中で自分も相手も気持ちよく暮らせる取り組みが多く、よく紹介させていただいております。 先日取り上げた本には、十善戒について書かれた内容があり、暮らしの中でできているかを当てはめてみました(心に思っただけのことも入れて自信を持ってできる!といえるコトは1つだけですが…) 本では十善戒を、①殺生しない、②盗まない、③性において淫らな行為をしない、④嘘をつかない、⑤意味のない流行り言葉を使わない、⑥悪口をいわない、⑦二枚舌を使わない、⑧貪らない、⑨愚痴らない、怨みや妬み羨み怒りの心を持たない、⑩愚かな考えをおこさない、と紹介されていました。 実際に暮らしに当てはめてみると、「暮らしに合わせて3つに分けられるのでは?」と思えてきました。 ①〜④までの教えは、最低限、「生きていく」のに守らなければならない決まり。 ⑤〜⑦は、家族と仲良く暮らしたり、地域や会社でトラブルを減らす「社会で暮らす」のに欠かせないこと。 ⑧〜⑩は、自分の心の中の出来事でもあるので「幸せを感じる」のに必要なこと。 ちょうど順番通りになっていたので、もしかしたら元になったお経でも「こうなっているのかな?」、まとめていてふと思えてきました。 十善戒の中で「生きていく」ための決まりは守りやすく、後半の「幸せを感じる」のに必要なことはとても難しいと感じます。 教えの元になったお経では、順番によって守りやすさはあるのでしょうか? 解説書などでは、何かしらの分け方があるのでしょうか? 専門家のお坊さまに、お時間のあるときで構いませんので教えていただきたく思います。 緊迫する悩み事ではありませんので、本当にお時間のあるときで構いません。

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