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検索結果: 352件

新興宗教信者の彼女とその子供にたいして

出会ってから一年になる同い年の彼女が某新興宗教の信者でした。僕自身が宗教に疎かったのと新興宗教に偏見がありましたから、良い機会だと思いその新興宗教の事を書籍やネット等で調べてみましたが、どうもお金が目当てなだけの宗教としか思えないのです。 彼女は10才からこの宗教の信者だったためか、かなり熱心に信仰しているようで、月に数回お清め所という所に出向いて、自分自身やお薬等を清めている(心の病を抱えているため)とのこと。 加えて昨年産まれてきた子供に、10才になったら入信してもらうとも言っていました。 僕としては10才というまだ考え方が未熟な時期に新興宗教に触れさせたくないのです。それが子供の可能性を奪う結果になってしまったり、虐めの原因になったりしては可哀想ですし、その宗教に染まってしまった後では都合よく引き返すことがとても難しいと思うからです。 子供の事に触れましたが、様々な事情があり実をいえば僕とは血の繋がりはありません。 血の繋がりもなく、彼女と籍も入れてない立場からどこまで口を出していいのか戸惑ってしまいますし、強く主張しすぎて彼女の心の病に障ることがとても怖いのです。 しかし、こういった問題をクリアしない限り結婚したあとで必ず後悔するとも思っています。 なんだか漠然とした内容になってしまいましたが、僕はこの先どういう風に彼女と子供と関わって行けば良いのか、あるいは自分の主張を変えた方が良いのか教えて欲しいのです。 分かりにくい文章ですが、見てくださった方々からの意見を聞かせて欲しいです。

有り難し有り難し 21
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新興宗教に入信している母との関係

誰にも相談できなかった悩みがあるのですが、ここでなら何かよいアドバイスがお聞きできるかと思い、質問させていただきます。 私の母はとある宗教を信仰しています(神道系だと思われるのですがよくわかりません)。毎朝台所にある神棚?に水をあげてお祈りしたり、お守りのような石を購入して家や車の中に置いていたりします。 それまでは全然知らなかったのですが、私が小学校高学年になった頃、突然母が信仰している宗教の説明(家にパンフレットがあった)をされ、神様に感謝しなさい、悪いことがあるのは感謝の心が足りないから云々などということを聞かされました。 中学校で私が不登校になった時には、私をその宗教団体のセミナーのような所に連れて行って、偉い人に相談したりということもしていました。 母は大学時代、友人の勧めで入信したそうです。父が知っているのかどうかは不明ですが、父がいる前では宗教の話はしません。姉には私と同じように説明をしたらしいです。 母には悪いのですが、私はどうしてもその宗教を信仰する気が起きず、母にその手の話題を振られた時も曖昧な返事をしてごまかしてしまいます。 母に無理やり持たされているお守りの石や塩も、本当は持ちたくありません。 母がどんな宗教を信仰しようと、それは母の自由だと思います。でも、子供も同じ宗教を信仰するのが当然だと考えないでほしいです。このままだと、就職や結婚にも宗教を持ち出されそうで少し怖いです。 親にはこれまで育ててもらった恩がありますし、まだ学生の身分ですので経済的には親に依存しています。ですが、正直に言って母とは距離を置きたいです。ひどい時には、絶縁したいとまで思ってしまうこともあります。 今年の四月から大学進学のため、実家を出ることになります。この機会に「お母さんが入っている宗教とは関わりたくない」と母に伝えてもよいでしょうか? 長々とまとまりのない内容で申し訳ありません。どうかお坊さんの智慧をお貸しください。

有り難し有り難し 33
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20年越し。執念ありすぎな宗教の勧誘が怖いです。

20年ぶりに勧誘されたことに動揺しています。 20年前に宗教に勧誘されました。 お札を置いて、毎日朝夕にお水を替えてあげて拝めば、 夫婦両家のご先祖様の供養が出来る。というもの。 確か、月に2000円程度の会費?みたいなものがありました。 先祖のお墓が遠方にあり、仏壇なども特にない私は、 家でご先祖や祖父母の供養ができるのならと受入れて拝んでいたのですが、 数日後、私にお札を進めた方が知らない人をつれて来訪し、 内容としては、私にも入信者?を増やせというもの。 そうするとご先祖の供養となり、負の因縁みたいなものが消えていくが、 そうしないと、子孫に代々その負の因縁が降りかかり不幸になると。 例としては、子供が病気になるだとか、非行に走るだとか。 私はそういう勧誘のしかたがあまり好きではなく、 その宗教?みたいなものにも魅力を全く感じなくなってしまい、 お札を返したいと伝えたのですが、聞き入れてはもらえず、  来訪しては数時間帰ってくれないという事が何度もありました。 強引に説得されるので、半ば喧嘩のようになりながらも、 どうしても諦めてもらえなかったので、 本部を探して電話にて問合せましたところ、 「会費を入金しなければ自動的に脱退になる」との事だったので、そのようにさせて頂き、 来訪されていた方々は以後、家に入れないという事で対処しました。 その後、何度か忘れた頃に来訪される事はあったのですが、 玄関先で断っていました。 それから20年が経って、突然その方たちが再度訪問をされました。 入信する気は全くありません。 が、20年も経って何故? という気持ちが沸いてきて、ざわつく気持ちに困っています。 何故私を思い出したのだろう。 嫌な予感でもしたのだろうか。 などです。 以前、私にとって一大事があった直後に来た事があり、「ほらね、そんな気がしたのよ」と言われました。 (言わなきゃいいのに誘導尋問に乗って教えました。当時は別に偶然でしょうと思っていましたが。) 今回の来訪では 「あなたの不幸を予言しました!」なんて事は言われていません。 勝手に不安な気持ちになってしまいます。 気持ちが悪いのです。 私はこの出来事をどう受け止め考えたらよいのでしょうか。 気持ちを強く持てる考え方はありませんでしょうか。 長くなりましたがよろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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異宗教間の恋愛は不毛でしょうか。

 お付き合いしている方がいます。彼の家庭はキリスト教徒で特に母親が敬虔な方です。一方、私の家庭は仏教徒。同じく母親が熱心に信仰しています。  彼自身は、「子どもの頃は信じていた」「子どもの頃みたいには信じていないけど、神社やお寺には手を合わせたくはないかな」と言っています。  私は、父を幼少期になくしており、私達家族にとっては、仏壇に手を合わせることは父を想うことに直結しています。特に母はその思いが強く感じます。このことは、彼にもシェアしています。  彼とは幼馴染で、家族のこともある程度知っていて、交際前からフランクに何でも聞き合える関係です。しかし、宗教については、センシティブなことなので、どこまで聞いてもいいのか、怖くてこれ以上踏み込んで聞けない自分がいます。 年齢的にも、結婚も考える歳です。お互い信仰心の強い家庭で育ったことは、お互いの信仰心を理解できることに繋がるのではないかと思っています。 一方で、これから、どこまで宗教が違うことが障害になるのか不安です。年を取って旅立った時、同じお墓に入れないのかな、空の上では会えないのかなと思うと悲しい気持ちになります。  異宗教間の結婚は、どんな問題が待ち受けているのでしょうか。解決の糸口はあるのでしょうか。愛していても離れる決断をするほうが幸せなこともあるのでしょうか。。

有り難し有り難し 15
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宗教感の違いと友人関係

短大時代から40年弱の付き合いの友人がいます。お互い子育てや離婚を経験し、頻繁には会えないのですがとても助けられる存在です。 しかし、30年ほど前に彼女がある信仰の会員だと打ち明けられ、今までいろいろ相談してきたことについて、『信心すればすべて解決するんだよ。ご本尊様に祈ろうね』 と言われました。裏切られた、という気持ちはないのですが両親も亡くなってしまった今、先祖のお墓を守ろうとする気持ちがあり受け入れ難くその旨、何回も話しており、彼女も納得してくれた様子でした。その後は普通に旅行へ行ったりランチをしたり、一切宗教の話しは出なかったのです。 しかし先日、普段の私の話から、今の状況は信心していないからだ、となり、宗教団体の発行している新聞を1ヶ月送るから、と本当に毎朝届けられています。 その宗教が悪いとは全く思いませんが、私には私の事情があり、それを聞いても尚且つ信心がないから何事もうまくいかないのだ、とする友人にどう接したらいいものかと悩んでいます。とても良い付き合いだと思っていたのは私だけで、結局信仰心があるからこそ、だったのかと思う気持ちも。 私は離婚して引っ越しもしたので本当に心を許せる人は彼女しかいないので、友人を失うのが怖いのか、付き合っていくために信仰を始めるべきなのか、そこまでしないと付き合えないのか、迷っております。このような質問で本当に申し訳ないのですが、決して仏教を否定するものではありません。

有り難し有り難し 17
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両親が信仰する新興宗教について悩んでいます

(編集部より。利用規約により投稿の一部を修正しています。) 両親が信仰する新興宗教を自分が信仰するかどうか悩んでいます。霊感商法や教祖の状況が教理と矛盾しているので脱会したいのですが恐ろしくてできません。自分の判断が間違えていた場合、死んだ後に後悔するのではないかと不安でいっぱいになります。幼い頃から神様や教祖のために生きるように教えられてきたからか、人生を自分のために使うことに罪悪感があります。 また教会の人は所謂神体験(あたたかいものが胸に溢れ涙が止まらない、気持ちが落ち着く、神の声を聞いた等) をしている人が多く、自分は条件が足りないからそのような体験がなく、体験するために修練会や礼拝に行った方がいいのか悩んでしまいます。 現在強迫性障害という精神病に10年間ほどかかっており、宗教のことを考えるのが仕事中でもやめられず(やめようとすると恐怖でいっぱいになる)鬱状態を併発して仕事を辞めてしまいました。教理に反したものを捨てなければならない、視野を広げると脱会の危険があるので本を読んではならない、修練会に行かなければならないなどの思いがいつも心を駆け巡り非常に苦痛です。仮に脱会したとしても、この先何十年も不安をかかえたまま生きることを考えると死にたくなります。 本を読んで視野を広げたいのですが、不安のあまり読書も満足にできません。洗脳されているのでしょうか。不安でとても苦しいです。 宗教が説く、死後の世界の話は本当なのでしょうか。個人的には自意識から永遠に逃れられないならそれは苦痛なので、無ではないかと思っているのですが。 自分で選んだ宗教でもないのに、ひたすら苦痛があり生きるのが辛くて、幸福な人生もいらないので早く死にたいと毎日思います。 どうやって生きていけばいいのかわかりません。

有り難し有り難し 38
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2022/10/29

子離れのしかた 宗教2世

はじめまして 子離れの仕方がわからず苦しいです 私は子供の頃から両親が厳しく 門限を過ぎれば 父が玄関扉の向こうで待っており 謝り倒して入れて貰い 入れて貰ったら今度は門限を破ったと 謝っても×2殴ったり蹴ったりされました 小1〜小6迄は懇談や通知表を持ち帰る度 母が恥ずかしい情けないと怒り 何度も謝るのですが許してもらえず そのうち父が帰宅すると怒り殴る蹴るで 謝っても鼻血が出ても怒りで許して貰えませんでした こうなると母は庇おうとはしてくれていましたが… また母が宗教をしており親孝行が一番 色情因縁を積むと一生終わる ここの教えが最後の砦?だから 離れると因縁通り不幸になる と言う様な教えで毎週合宿があり 休みたいとか今週は遊びたいと言うと 行くと言うまで不機嫌でため息をつきながら説得をされました でも親孝行の教えは 良い教えと思い信じていました 母の願いもあり高校卒業と同時に その宗教の布教所に住み込みをして結婚と同時に出ました でも通っている時も住み込み時も 対人が苦手なので本当に苦しく 何度も帰りたいと伝えましたが 帰ったら精神病になる 色情でめちゃくちゃになると 絶対に返して貰えませんでした 今は信仰していません 色々ありましたが親との関係は悪くなく 信仰の影響か親の思いは大切だとは思っています 自分の子供が18以上になり 門限はないですがバイトや仕事で 12時頃を過ぎて遅いと心配で逐一連絡が欲しいと思ってしまいます 子供に言うと おかしいとかヤバいと言われ 情けない気持ちになります 娘が1番奔放で性的な事も心配で 口出ししてしまうのですが 成人してるのに!と偉そうにされると 情けなく腹も立ち喧嘩になってしまいます 一人娘と仲良くしたいのですが 自分の頃とは宗教も時代も 親との関係も違うのも分かっています が自分は苦しくても言う事聞いたのに 宗教を強要するわけじゃなく 遊ぶなと言うわけでもないのだから 心配して言う事にくらい 応えてくれてもいいのではと思ってしまいます 子離れの為にも 何か他にするべきと思いますが 宗教の関係で友達もいません 仕事も対人関係が怖くて行けません… 親の影響や宗教の洗脳が残っていたり 自分の考えを押し付けてはダメだとか 頭の中がグチャグチャです どう考えればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 39
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2022/02/25

戦争が怖い。侵略が怖い。強い者が怖い。

 初めて質問いたします。  恐怖に打ち勝つお智慧を、授けて頂けたら嬉しいです。     先日、ロシア軍がウクライナに侵攻を始めました。 (ご回答をいただく頃には決着がついてしまっているかもしれませんが、何卒ご回答をお願い致します。)  成人してから初めての、しかも先進国同士の大きな戦争に激しく動揺しています。両国共に言い分があり、外交上の話し合いで解決できず、政治外交手段としての戦争というのも、大人ですからわかっております。  (本で読んだり、話で聞いて)私は子供の頃から戦争が本当に恐ろしく、家族や自らが無事であるようにずっとお祈りをして生きてきました。大きくなってからは、正しく怖がれるように、軍事や外交の勉強もしました。  それでもやはり今回の侵攻は恐ろしく、ネットには次々と悲惨な報が上がって来ています。現地の方が苦しんでいるニュースに接し、私は居ても立っても居られないほど苦しく、恐ろしいです。そんな中、ウクライナは弱いから攻められた、日本も核武装しないと攻め込まれる、ロシアに舐められたらいけない、という意見も散見されます。  勝てば官軍という言葉があり、この世の中で強さ(暴力?権力?)が何よりも強いことはわかっています。ただ、どうにも腑に落ちないのです。  一般庶民がどんなに努力してもプーチン氏のような絶対的な強者にはなれないでしょうし、国の武力も米露レベルに追いつける小国はそうそうないでしょう。  実力主義の残酷な世界の中で、私のような弱い者は強者大国に震えながら生きていくしかないのでしょうか。お釈迦様が修行されていた頃のインド地域はもっと過酷な状況だったと思います。歴史の中の戦争よりもマシだと思いながら、諦めて生きていくしかないのでしょうか。  開戦の報に接し、同じように怯えている方も多くいらっしゃると思います。  どうか、この恐怖へのアドバイスを頂けますととても助かります。  どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 57
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地獄が怖いです。

この前ネットで私は知ってしまいました。 人が大切にしているものを壊しても無間地獄行きになると、それって本当でしょうか? 私は前に家のもので家族が大事に飾っていたガラスの置物をうっかり落として壊してしまった記憶があります。でも反省はしました。 しかしながら、どうしても地獄は怖いです。今でも身体が震えるほどです。 無間地獄って一度おちればもう無期懲役で人間界には転生できない…ゆえに責苦も強烈で他の地獄が平和に感じるほどで… もう恐ろしくてたまりません、そんな罪を犯した自分も恐ろしいしこんな大罪を犯してもなお、自分はなんてことをしたんだと思います。もう何もかもが怖いです。 他にも、嘘をついたり殺生をしたり、邪見を述べた事もあり、それらも善をほどこして洗おうと考えています。(ちなみに邪見って直訳すると間違いを教える事、つまり嘘をつたえたり述べたりする事でしたっけ?それも罪だと書いていました) こんな私ですが仏様は救ってくださるのでしょうか。無間地獄だなんて今までで一番恐ろしくて体が震えるというより血の気がひきます。 後、可能であれば邪見も罪にあたいするかどうかの調べもお願いします。

有り難し有り難し 77
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母を救った宗教に疑問を感じてしまう

母と、母の信じる宗教についてです。 私は特定の宗教を信仰していません。何を信じるか信じないかは個人の自由だと思っています。 母は幼少時、今にしてみれば虐待のような扱いで育ったようです。今でもやや卑屈な一面もあります。 ただ、若い頃に出会った宗教に、よく「救われた」と言いますし、実際そうなんだろうな、と感じます。 カルト的だったり過激だったり、高額なお金を取られる団体ではないようだし、母がそれで穏やかに過ごせるなら何も言うことはありません。 ただ、違和感があります。小さい頃大きなスタジアムでの集会?に連れて行かれました。スタジアムでは幼くて中に入れなかった弟と2人、ホール外で母を待ちました。 お母さんは私と弟よりそっちが大事なのかなぁ、大勢の人間が一心に何かひとつを信じる姿って怖いな、というのが当時の感想です。 私にも入信して欲しそうです。母は心から私の為に言っていますが、私は必要としていないので断っています。 欲しくないものを押し売りしないでと言っても、母は自分の力不足で娘が話を聞かないと捉えているようです。 だからそうじゃなくて!というやり取りが毎度です。 結果私はその宗教に良い印象がありません。そのきっかけは、幼い頃の寂しさかもしれません。 が、どうしてこんなに母の大切なものが嫌いなんだろうと思います。母が救われたと感じ、生きがいを持って過ごせるのはありがたいのです。 でも、母がその宗教の話をしだすと嫌悪感ばかりです。そうかよかったね、私のことは放っておいてねーとイライラしながら言うことになります。 この気持ちの正体は何でしょう? また、お坊様方もいわゆる勧誘はされるのですか?

有り難し有り難し 74
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2023/02/12

戦争が怖いです

こんばんは。 日々戦況が悪化し、報道に占める地政学リスクの比率が増えています。 SDGsは食糧安保に比重が移り、防衛費の増大は当たり前のこととして世の中に受け入れられているように見えます。 タモリさんが新しい戦前とおっしゃったことも話題になりました。 こうした出来事を日々感じると心から悲しく、不安になります。 戦争を抑止するためになにかしたいと思い探しても、ウクライナを支援するという方向では様々の手段が出てきますが、戦争反対、日本の軍備拡張への反対ということはなかなか出てきません。 日米安保に期待できないことや、リスクの増大はわかるのですが、私の育ってきた価値観では、平和を希求し続けることが最大の抑止だと思ってきました。 宗教家や個人は平和を祈るために何ができるでしょうか。 残虐な被害状況をきくとおそろしく夜も眠れません。 もしかしたら来年の今頃はこうして穏やかに過ごしてはいられないのではないかとか、自分の親しい人たちが死んでしまうことや、自分が家族や家を失う姿が目に浮かび、胸が締め付けられます。 戦争の回避は抑止力が全てではなく、外交的な努力が第一です。 自衛のために仕方がないという世論が強ければ、戦争がより近づいてしまうと思うのです。今の風潮ではそうしたことを言いにくい雰囲気を感じます。 平和を祈る人たちとささやかに繋がりたいと思っています。 どうすればそうした方々とお会いできるのか、祈るとはどういうことか、お言葉をいただきたく、書いてみました。

有り難し有り難し 11
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2023/12/02

科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

 いつもお世話になっております。  ある日、仲良くなった女子神主さんと話していて、 「科学じゃ説明できないこともたくさんあるのよ」 「お医者さんも信用しきっちゃだめよ」 と言われました。  私はこの神主さんを怪しみ、あえて科学界隈の精神科の先生に、 神主さんからこう言われた、と伝え 「先生、科学で説明できないことって何だと思う?」 と尋ねてみました。  「たくさんあるじゃない。精神の現象なんて最たる例だよ」 と言われました。 「個々人の物事に対する捉え方とか、病気を治したいっていう 気持ちを起こさせたりとかは、科学が干渉できないってこと?」 と聞いたら、その通り、科学はあくまで目に見えるものを探求する 学問だと言われました。同時に、 「みんな、科学に期待しすぎ」 と。  精神科の先生のことは信頼しています。でも、科学のプロが 「科学に期待しすぎ」という考えなのはどうなの?とも思います。  以前こちらで、宗教心、仏教心とは何か、と質問したら、 「当たり前のことを分かるようになり、惑いをなくすこと」 とお答えいただきました。目を開けたら見える、おならは臭い、 というようなことだとご説明いただきました。  しかし、世の中の人は、 「どうしてこうなるの?どうすればいいの?怖い!」 とあらゆる事に惑います。  科学は、 「これはこうだからこうなるんだよ(当たり前の提示)。こうすれば 怖くないよ」 と人々に教えてくれます。  そして、素直にその事象を受け入れ、科学で明らかになった対応策を、 (例えば病気の治療)ありがたく実行させていただく。この謙虚さと やる気を起こさせるのが、宗教心だと思うのです。  こちらのお坊様も、 「仏教では、物事には必ず科学的原因があると説く」 「科学の発展なしに、現代社会はあり得ない」 とおっしゃいます。  時折、「科学が人を貧しくした!」と言っている宗教家を 見かけます。私は、こういう人は危険だと思うのですが。  ちなみに精神科の先生は、「僕を100%信用しないで」と言い、 神主さんも、医者を信じきるなと言いつつ「治らない人は、治そう としない人よ」と言います。  実は、長年の疑問です。私は、仏教は科学を否定する危険な宗教 だと思いたくないです。  

有り難し有り難し 15
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死が怖い

私は今19歳です。1ヶ月前からずっと死について考えて頭から離れません。 考えすぎて、気持ち悪くなって、ご飯も食べれず夜も寝れなく、寝れたとしても、あー私はいつか死ぬんだと思って起きます。 長くなりますが、よろしくお願いします。 小さい頃から死が怖くて考えただけでもパニックになっていました。いつもなら考えないと言い聞かせて考えないようにしていました。ですが、ここ1ヶ月死んだら私はどうなるのだろうか、どうして死ななければならないのだろうか、いつか私がいたことさえも忘れられてしまうのではないだろうか、この世界はこの先どうなっていくのだろうか、とか色々考えてしまいます。 あと、私は80歳まで生きるとして60年しか時間がない、1年はあっという間に過ぎていくから私はすぐ死ぬだとか、生まれてこなければこんな苦しむことも無かったのにとか、本当に死が怖くて怖くて仕方がありません。 家族は、そんな私のためにいろんなところに連れて行ってくれます。母は話をたくさん聞いてくれます。でも、そんな母にも会えなくなる日が来ると考えてしまい、もっと怖くなってしまいます。 人間だから死ぬのは当然です。でも、どうしても怖くて仕方がありません。自分が消えてしまう、自分がいなくなってしまう。最近では、人間を見るとこの人達は200年後生きてないんだなと思ってしまいます。 不老不死になれるならなりたい。 なにをしていても死が頭の中に出てきてしまいます。突然死んでしまったらどうしよう。生きているのに火葬されてしまったらどうしよう。そんな不安も押し寄せてきます。 どうしたらいいでしょうか?受け入れるしかないのでしょうか?吐き気が止まりません。 人生あっという間に過ぎるといいます。こんなことを考えながら過ごしていくのは時間がもったいないと言い聞かせています。ほんとうに人生あっという間に過ぎてしまうのでしょうか?そう考えると死が怖いです。受け入れることができません。 私の苦しみをどうか助けてくれないでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 34
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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

有り難し有り難し 6
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