大切な家族の命を奪った自分に、生きる資格はあるのでしょうか
我が子のように可愛いくて仕方のなかった小鳥を、自分の手で殺めてしまいました。
とても人懐こい子で、家にいるときは肌身離さずくっついているような子でした。
この子は人の手の中が暖かいのを知っていて、その日もいつも通り私の手の中で小鳥は眠り、私もそのまま眠りについてしまいました。
朝起きると小鳥は布団の中で息を引き取っていました。
昨日まで病気ひとつせず元気な姿をみせてくれていた子が、全く動かないことがしばらく信じられませんでした。
しばらく手の中であたため、心臓をマッサージをしてみても、一度失われた命は戻ってくることはありませんでした。
悲しみと、自分への怒りで涙が止まりません。
とても優しくて可愛い子だったのに、もっと長く一緒にいられたのに、私の手で終わらせてしまったのが悔しくてたまりません。
そして、更に許せないのが、その子が死んでしまった苦しみから、同じような容姿の子をまた飼い始めてしまった自分の責任感のなさです。
その子にも同じ名前を付け、また同じように可愛がろうとしているのです。
まだ、先立った子への悲しみから立ち直れず、毎日墓前で手を合わせごめんなさいと言葉を交わして、涙を流しているにも関わらず、次の子は大切に大切にしてあげようと、可愛がろうとしているのです。
次の子は先立った子とは見た目は似ていてもやはり違う子なのに、なんて馬鹿なことをしているんだろうと、本当に自分が嫌で嫌でしょうがありません。
今の子は人にはあまり慣れておらず、ゆっくりと時間をかけて接して可愛がっていますが、同じ名前、似ている容姿の先立った可愛い可愛い小鳥が頭を過ぎり、すぐに涙が止まらなくなってしまいます。
このままでは、何ものにも代え難い小さな命を、大切に育ててあげることが、もう自分には出来ないのではないかと思えてきます。
自分の命を分け与えることができるなら、今すぐにでも与えてあげたいという、本当に馬鹿なことしか考えられなくなってしまいました。
このまま生き続けても、不幸な小鳥が増えてしまう、そう思うと自分はなぜ今も生きているのか、分かりません。
幸せな時間を、与えてくれた子たちに、どうしたら報いることができるでしょうか。
有り難し 25
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