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検索結果: 1817件
2022/10/01

修証義について教えて下さい。

祖父の葬儀を境に改めて仏教を学び始めました。  宗派は、曹洞宗です。 お坊様が唱えて下さるお経を理解した上でご先祖様や祖父に手を合わせ今後、向き合いたいと強く感じたからです。また、現在の生活の中でお経について調べる事は、小さな安らぎを感じられる学びの場になっています。 現在の学び方ですが、hasunohaにてお経についての質問をブラッシュアップしたりしながら般若心経や修証義について調べています。 また修証義については、以下の現代語訳をみつつ内容を深めています。しかし、解釈や内容が正しいのか不安もあります。 https://www.zen-essay.com/entry/soujyo そもそも、現代語訳事態がダメでしょうか? 曹洞宗の教えが分かる書物があれば知りたいです。浅い状態ですが曹洞宗の教えに…悟ることすら手放す(悟りたい欲求を手放す)座禅スタイルが凄く衝撃的で素敵な考えでもっと色々と知りたいのです。 また、触れてみた状態な上での発言で恥ずかしいのですが…お経を調べると供養する相手よりも供養する側に対する生きる上での教えを説いている様に感じました。間違ってたらすみません。 余談ですが、普段、お世話になっているお坊様の爺様に法事後、お経について調べている事や内容を理解したいとの相談をしましたら笑顔で学んで来なさいと言って経本を頂きました。宿題を逆に出された気分で終わりましたので次の法事が違う意味で緊張します…。後、曹洞宗の本山は、身近な場所にあるので一度行ってみようと思っています。 ※質問して申し訳ないのですが現在、生活苦なので「お気持ち」は後々にさせて下さい。申し訳ありません。

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風俗で働いています

半年ほど風俗で働いています。私の家は昔からお金に困っていて、大学の学費のために風俗で働くことを決めました。 父は今年で定年で母は病気で働けません。大学を辞めることだけは嫌なので、風俗は辛いけどなんとか頑張っています。女の子のことを人間として扱わないような人もいて、嫌になることばかりですが、たまに優しい人もいて、その人が呼んでくれるのなら出勤してもいいなとは思います。風俗で働いてるなんて、変態なんだねーとか言う人もいますが、私は男の人が嫌いです。 小学2年生のときに20歳くらいの人に胸を触られるなどのセクハラを1年くらいされていました。近所の人だったし、子どもたちのお兄さんみたいな感じの人で私は誰にも言えませんでした。夜、連れ出されていろいろされたときも、家の人が心配して探しに来てくれたのですが、親になんて絶対に言えませんでした。自分が汚れたような気がしていました。 小学校のときは男の人がずっと苦手でした。中学生になると彼氏ができました。彼氏に嫌われるのが嫌でなんでもしました。だけど、することだけしてふられました。 それから男の人と性行為はしたくないと思いました。高校生のときにできた彼氏にはそのような経験はまったくないと伝え、大学生になるまでそのようなことはしたくないと言いました。すると承諾してくれ、大学1年生の夏にはじめてそのようなことをしました。すると、また男性のことが嫌になりました。けっきょく体だけなのではないだろうかと一人で悩み、すぐに別れました。しかし、その後すごく歳上の彼氏ができました。知り合いの友人で、47歳です。素晴らしい人です。これ以上の人はいないと思います。しかしその半年後くらいに風俗をはじめました。罪悪感もあるのですが、男の人がこんなに来るのなら彼氏も行ってるのではないだろうかと不安になります。また、彼氏が過去にどのくらい行っていたのかなど気になってしまいます。本当に自分は子供です。自分のことを棚に上げて彼氏が風俗にいくことはすごく嫌なのです。 そして、それをすごく聞きたくなるし、風俗嬢だって言いたくもなります。そして、1時間2万ほどする仕事なので、彼氏はタダで抱けるから自分と付き合ってるのかなどと思ってしまいます。 文が乱雑ですみません。自分でも何が悩みかわからなくなってきました。しかし、人に聞いてもらいたかったので、よろしくお願います。

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寺嫁ですが

お寺に嫁に来ました。 私の旦那は副住職をしております。 いろいろ問題ある住職夫婦(義両親)でとても厳しい修行されてきた方とは誰が見てもおもえません。 以前同居でしたが、いろいろ揉めて別々に住んでいます。ですので私自身お寺にも行かず暮らしていましたが、昨日今日になり義母から、お盆でいそがしいのになぜ来ない?仕事を覚える気はあるのか!という電話をいただきました。 ですから、本音で離させてもらいました。実家はお盆お彼岸でも墓参りすらしないので生まれて一度もしたことが無いこと。 車の免許も栃木に来るまでペーパードライバーで最近自分で出歩きますが、まだまだ怖いこと。 義父に言われた事が胸に刺さってる事を伝えました。 お盆お彼岸の迎え方を知らないのは呆れられ、私は二十歳で結婚してお姑さんに何を言われても負けたくないからやってきた。 など言われましたが、車の運転は未だに怖く檀家周りは一本道の舗装されてない道で本当にここに家があるのかと思うほどの山奥だったりと、カーナビ様々の私には怖いですし、土地勘もなく迷子になったり事故を起こしてもどうしたら良いかわかりません。 悪口を言われても、嫌味を言われても、言われるには言われる原因があるのだから、負けるわけにはいかないと歯を食いしばって努力すべきですか? 私は勝ち負けとか対抗心もなく、ただ平和に生きたいだけです。 旦那は努力すれば何とかなると言いますが、田舎の部落や習慣も全く違うところへやってきてしまった事。デキ婚で10回くらい合っただけで結婚してしまい。相手の家も理解できてなく、ただお寺が好き、仏像ガールが嫁に行きました。に冷静になればそんな感じでした。 今は一歳の子供とお腹に赤ちゃんが居ますが今後の生活を真剣に悩んでます。 旦那の事は愛してますが、お別れするか?それとも、義両親に何を言われても自分らしく生きていくか?何を言われても、寺嫁として生きていくか。 真剣に悩んでます。

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2023/11/06

家族や他人とうまく関係を築けない

いまだに家族や他人に心を許して素直に自分のことを話せません。 小学校高学年ごろから、祖父が亡くなったことがきっかけで家族関係がくずれていったように思います。 詳しく教えてもらえませんでしたが、家族をとりまく仕事やお金関係のことでいろいろ問題があったようです。 母はストレスがたまっていたのか厳しく気難しくなり、祖母たちとの関係も悪く、一番仲がよかった妹とも激しくけんかして以来一言も口をきかなくなりました。 わたしは家族や学校の人たちともぜんぜんうまく話せなくなり、不登校になったりしました。 わたしは気難しく神経質でずっと不安定で、自分を守るためなら平気で人を傷つけるような大人になってしまいました。 その反面、何の目標も持たず、仕事もうまくいかず、やる気のないわたしは高い学費も親からだしてもらい、生活費もまかなってもらい、実家でずっと親のすねをかじって生きていました。 ここ数年で、家を出て親と距離を置いてやっとなんとか自立できるようになってきたところです。 人間関係や仕事は今もうまくいかないことが多いです。自分が認められるか不安でなにもできなくなります。 ずっと家族のことや、いままで傷つけてきた人のことを毎日思い出し、自分はどうすればよかったんだ、これからどう生きていけばいいんだと考えます。 もしあの苦しかったとき、母がもっと自分に寄り添ってくれたら、だれかが気にかけてくれたら、と思う反面、自分では何もできない自分自身にも嫌悪感があります。 ぐるぐると考え続けて苦しいです。どのように自分の過ちを償うべきでしょうか。

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お寺を変えるのは悪い事でしょうか

祖父が明治に 長野から移転してきてから お世話になっている真宗大谷派のお寺ですが、 当時のご住職からお孫さんへと代も変わり、 色々変わった事もあり、 なんだかんだと寄附を募られても払えないし お寺を変えたいと家族で話しておりました。 先日、伯母が亡くなり、葬儀をお願いしましたが、 もともと、無愛想で月参りの際も、年寄りが話しかけても、返事もせずに帰られる方で、 年寄りも生前、 「あの住職に葬儀は頼みたくない」と申していた程で 色々不誠実に思える事がありました。 一番は、火葬場まで着いて来て下さるはずが 当日の朝急に、行けないから、葬儀場で火葬の前のお経をあげると言われたことでした。 葬儀会社の方に 「火葬場で伯母様だけ、粗末な棺桶だと可哀想でしょ。 花がないと可哀想でしょ。」 といわれgrade upしましたが 一番可哀想だったのが うちだけお寺さんがいなく、お経もなく炉に入れられた事でした。 先日は4日の祖母の月参りを 忘れてたとすっぽかされ 14日の父の月参りに一緒にすると言われ、2回分包みました。 その際に思い切って 他の同じ宗派のお寺に変わりたい旨を 話ましたら 激怒され まともに歩けない老母まで仏間に呼びつけ 火葬場へ行かないのは正しいやり方だ 位牌はどうする 過去帳はどうする 次のお寺に引き続きしないといけないから どこに変わるか名を明かせと 凄い形相で 2時間近く怒鳴られ 大変、恐ろしい思いをしました。 また金曜日に みえるそうですが どうしたらいいか憂鬱です。 葬儀の時に相談に乗って下さった 娘の同級生のお寺に 今後の事はお願いしてあるのですが、 以前にも、その寺から変わってきた檀家さんの事で妨害をうけたから 暫く寺の名前は出さないよう言われてます。 また金曜日にまくしたてられたら 言う通りにしてしまいそうです。 お寺さんを変えるのは そんなにいけない事なのでしょうか?

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気持ちの浮き沈みが激しく、深い自己嫌悪になるときも

こんばんは。女子高校生です。 気持ちの変化が激しく、とことん凹む日・怒りっぽい日・機嫌のいい日などがはっきり自覚できます。一日の中でさえも、ささいな一言で涙が止まらなくなったり、憂鬱になったり、かっと怒りが湧くのを感じたりします。もともとプライドが高く、自分のウィークポイントやコンプレックスを突かれるとそのようになるようです。 その性質を自覚し恥じており、「他人におおらかに・冷静に」を目指してきました。幼いころに比べたら今はずっとましですし、家の外では、優しい性格だと思われているかもしれません。友人にも恵まれました。 しかし、コンプレックスが話に出るとやはりだめなのです。 たとえば母が何気なく(しっかりしたいい人です)幼いころの私のわがままな言動について思い出話をします。 すると、笑って一緒に懐かしもうとしても、笑顔が引きつってしまうのです。その場では「その節はゴメンねー、ほんとありがと!」と言えても、あとでどこか心わだかまりを感じ、兄(気弱ですが優しい人です)と自分の性格を比較して落ち込んだりします。 また、ある日母を怒らせたとき「私の嫌いな人に似ないで」と言われました。父や父の家族のことです。 母は子供に平等な人なのでそのことを言ったのはそれきりです。母も疲れていた日だったし、そもそも私がだらしないから悪いんです。その言葉自体は本当にとるにたらず、むしろ尤もなことであり、それ以来いつもは忘れています。 しかし落ち込んだ時や失敗したと思った時、急に蘇り涙が出ます。いつにもまして「母は娘を愛してくれるけど、私という人間は嫌いだろう」と思い、鏡を見れば自分の顔が父にそっくりで消えたくなります。 これを書いている今も、意味もなく泣いています。泣き虫な甘えた自分も含め、気持ちをコントロールできるようになりたいです。 どうすればいいでしょうか?アドバイスお願いします。

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戒名 院号

祖父が現在危篤状態で、医師から伝えられた余命を過ぎても、奇跡的に生きている状態です。 祖父は昔ながらの仕立て職人で、孫の私に多くのことを残してくれています。 愛する祖父に院号をつけてやりたくて、ご相談です。 祖父が墓を建てたのですが、院号や大姉が多く、墓を建てた祖父に院号がついてないのはやはり気になってしまいます。 祖父が事前に申し込んだ葬儀のセットには、院号の料金は含まれておらず追加の支払いが必要です。 ①いつお坊さんに院号をつけて欲しいとお伝えすべきでしょうか? お坊さんにあってすぐにお願いすべきなのか、戒名をつける前なのか、戒名をつけた後なのかがわからなくて。 ②自分で自分の戒名をつける講習会などや、修行があると聞きました。 意識のない祖父に変わって、孫の私が代わりに参加することで、祖父に院号をつけることはできないのでしょうか? 祖父自身は、負担をかけたくないから院号はいらない!といっていました。 ホームページなどを見ると50万-100万ほどで院号をつけていただけると書いてありました。 学費のために貯めたお金を充てればなんとか工面してやれます。 私の進学を応援していてくれた祖父なので、自分のために貯金を切り崩すとなると、祖父への負担になるのではないかと心配しています。 そのため、なにか別の手が打てないかと考えています。 自分勝手な質問であると思いますが、お知恵をお貸しください。

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私の「道」とは

初めまして、芹香と申します。 私は幼い頃から宗教学、宗教史に興味があり、父方の親戚に住職さんがいることから、特に仏教学に強い興味を惹かれていました。 ですが、私は、父が熱望していた看護師になるため、看護大学に入学しました。 しかし2年前、「これは私の道じゃない」という思いから、うつ病を発症しました。 そして父の期待を裏切ってしまったこと、そして自分の「道」が見えなかったことから、絶望し自殺未遂を繰り返しました。 ある日私はネットの友達に相談をしました。その友達はお寺出身で、大学で仏教学を学んでいました。 その人に、「自分の「道」が見えない、こんなんなら死んでしまいたい」と言うと、その人は間髪入れずに、「君は何度自殺しても死なんかった、つまり君は生かされたんやから、その命を人に使えばいい。それが君の「道」やと俺は思う」と言われました。 それから私は、これまでの私を受け入れ、自ら命を絶つということをやめました。現在はアルバイトをしながら生活しています。 ところが今年、父が肺病で緊急入院になりました。そして、担当医から言われた言葉は「夏は越せない」というものでした。 母も私も途方に暮れ、残りの命が少ない父に何が出来るだろうと、必死になって考えました。しかし、なかなか現実を受け入れることができず、日々は過ぎていきました。 そんなある日、母がぽつりと「家に帰れないんやったら、せめて、私たちだけでも普段通り接してあげようよ」と言いました。私は「分かった」と返事し、早速その日のお見舞いから、父と何事もないように接することになりました。 父は自分が余命宣告を受けていることを知りません。私達も口外にはしません。病室で、私と母と父は雑談をしては笑い合います。もうすぐ夏になりますが、そんなことを忘れて、私達はいつもの家族として笑い合います。 そんな中、私はふと、自分の「道」を見つめてみました。 すると今まで真っ暗だった道が開けて見えました。そこでは、父や母、そして私の友人達が笑顔でいました。 そう私の「道」は「人を笑顔にさせ、苦しんでいる人を助けること」でした。 私は将来僧侶になりたいと考えています。しかし本で得た知識しか私にはありません。なので、ぜひ私に色々とご教示下さると嬉しいです。 長々と自分語りが長く申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

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