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検索結果: 10282件
2023/03/19

自分を傷つけてはいけない理由とは

自分を傷つけてはならないのは、なぜでしょうか。 私はストレスが溜まった時や、溜め込んだ感情が爆発しそうになったときに自傷行為をしてしまいます。 過量服薬により何度か病院に運ばれ、現在は入院しています。 私が何度も自傷行為を繰り返すことには、理由があります。 一つは、自傷行為をしてはいけない理由が分からないためです。周りの人には、自分を傷つけるのはよくない。もっと自分を大切にして。あなたが傷つくのを見ると悲しい。などと言われます。たしかにそれももっともだと思います。私のためを思って言ってくれているのだと分かるのでとても感謝しています。 けれども、どうにも納得がいかないのです。 私はこれまで周囲の人たちから傷つけられてきました。他者は私を傷つけるのに、なぜ私は私を傷つけてはいけないのでしょうか?それがいまいち分かりません。 二つ目は、自傷行為を悪いことだとは思っていないためです。よく、他者を傷つけるのはよくないと言います。私は他者を傷つけてはいません。ストレスや感情が爆発して、他者を傷つけるくらいなら自分を傷つける方がよほどましだと思うのです。 それに、もし自傷行為が原因で命を落としてしまったとしても、そうなったのは自分の責任だと思います。死のうが生きようが、それも自分の選択だと思うのです。 どうして周囲の人が私を入院までさせて自傷行為を止めさせようとしているのか分かりません。 今は自傷行為を別の代替方法に置き換える練習をしています。ですが、そもそも自傷行為をしてはいけない理由がよく理解できていません。そのため、練習自体も渋々といった感じで行っている状態です。 私に、自分を傷つけてはいけない理由を教えていただけないでしょうか。

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小さな小さな息子の気持ち

私のお腹の中でちゃんと大きく育てられず、あまりにも小さい内に帝王切開で出産せざるをえず、それでもフニャー!と息子は産声を上げて産まれてきてくれました。 保育器の中で、身動きもとれないまま手術にも耐え、43日間頑張り通した小さな息子はパタパタ飛んでいきました。 私は息子と旦那さんや家族とただ一緒に生きたかったです。 私は赤ちゃんをちゃんと出産できるか分からないリスクのある体質でした。それでも産もうとしたこと自体が私のワガママだったのではないか、私の赤ちゃんにあんなに頑張らせてしまった。本当にごめんなさい。という思いと、 私はあなたに会いたかった。あなたは保育器の中でも目を開けて私を見つめてくれた。あなたを撫でたりあなたの力を感じることができた。あなたと一緒に43日間生きることができた。本当にありがとう。という思いもあります。 あの子はどういう気持ちだったのか…ねえ、教えて、と毎日いつもあの子に聞いてしまいます。お母さんはただただあなたが大好きで四十九日を迎える今も現実をまだ認められない自分がもがき、あがいています。自分がただ辛いからだと分かってもいます。なぜか息子は待ってる、帰ってくると信じています。 わけが分からなくなっています。息子は今どんな気持ちでいるのでしょうか。息子と私たちはこれから一緒に幸せになれるのでしょうか。あの子は帰ってきてくれると信じていいでしょうか…

有り難し有り難し 49
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地獄について

お世話になりますm(  )m 今臨死体験の本なども読んだり ネットでも見たりするのですが 地獄についてどう思われますか? 私は地獄があってほしい派です 世の中には人を平気で苦しめて 平気でいれる人がいます まさに悪魔そのもので 自分には理解できません 極端な話がテロリストなど イスラム国の人達など あのような残虐な事が平気で出来ることが 本当に信じられませんし あのような事を平気でしてきた人達が 何の裁きも受けないのはあり得ないと 私は思います 同じ人間なのに どうしてあのような事が出来るのでしょうか 私は悪いことをすれば 必ず報いを受けるべきだと望んでいます 完ぺきな人間はいませんから 多少の悪は仕方がありませんが そうゆうレベルではなく もう「 死んでしまいたい 」と その人をおとしめてしまうような 詐欺だったり、泥棒だったり 苦しむことを平気でやった人に対する思いです 殺人は相当に罪が重いと 私は思います しかしネットで見たのですが 地獄は存在しない 人はみな天国へ行く どんなに悪いことをした人でも 天国へ行くと書いてありました ( 死後の世界や天国は信じる方ですが 地獄は存在しないと言われる方です ) と書かれているのを見て そんな訳はない!!と 思いました、納得できません 今自分が読んでいる本( 臨死体験の本です、カールベッカーさんの本です )には( まだ読んでる途中ですが ) 地獄が存在すると書かれてありました ( 臨死体験された方が見てきた ) 鬼の様な人たちがいて その人?により そこに拷問を受けて 苦しんでいる人たちがいた  と書かれてあります グロテスクではありますが 散々悪いことをしてきた人たちには この様な裁きを受けるべきだと 私は思っています!! お坊さんはどう思われますか? よろしくお願い致します

有り難し有り難し 149
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縁を結ぶのが苦手

40代の主婦です。神仏が好きです。ですがこれまで仲の良かった女友達や、念願かなってやり始めた習い事(生け花)で、先生の言った一言で3年で辞めてしまいました。私は、「言葉」で自尊心を傷つけられ、縁を切るのがパターンです。 「私だったら、そんなこと言わない」・・。自分で言うのもなんですが純粋過ぎるのか、そういう人たちと付き合いたくなくなるのです。 仲の良かった女友達というのは、かつての仕事場の「同期」です。職場を辞め、阪神淡路大震災で家も無くなり両親と避難生活をしていたとき私は無職状態になっていたのですが、共通の友人が結婚するからと、同期から「結婚の祝い」をしようと誘われたのです。私は自分の状況もあり断りました。もし私だけ何も告げずにこっそり周りの友人とお祝いをしてしまって、後で知られたら私に悪いと思ったのかもしれません。でもそういうことは同期からは言われていません。地震には遭っていない彼女に温度差を感じました。それでも何とか気持ちを切り替え、その同期とはその後5年ほど連絡等はし合ったりお互いの結婚式にも出席しましたが、やはり同期との心の温度差を感じることが度々あり、私の方から遠ざかって行きました。 生け花では、「○○さんの方が勝っている」と同レベルの生けこみをしている生徒さんと比べられ、趣味が楽しめなくなり、辞めました。 私は、23歳以降新しい友人も作ることなく、年賀状で繋がっているだけの友達がいるだけです。小学生からの幼馴染です。実家やその友人たちからも遠方に住んでいるのもありますが、会っていませんし、会おうとしない自分がいます。 私は人と面白いことを言って話したり笑うのが好きなのに、人間が苦手なのです。特に成人してからは・・。本当は生け花を通して将来はボランテイアをやりたいと思っていました。私は、体が弱いというのに漠然とそんなことを考えていました。人生の半分に差しかかり、子供もいない、しっかり足を地に着けた人生を歩めていない、自分に焦りもあります。縁を結んでこなかった保とうとしなかった自分のこれまでの因果かもわかりません。それでも人間が苦手なのです。山や森、神社仏閣にお参りしたり、小さな姪っ子と遊ぶことに安らぎを得ています。美しいものが好きなのです。人間が苦手なんて、変ですか。私はこのままでもいいのでしょうか。

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劣等感を持ったまま、幸せになれる?

幼い頃から、何かあるたびに「そんなんじゃ、変われないよ」と言われて育ちました。 内向的で、誰から見ても大人しく、あまり喋らない子でした。 元気に明るく振る舞うよう努めてきましたが…本当に明るくて穏やかな人を前にすると、萎縮してしまいます。 私は偽物だから、本物には敵わない。 ぼんやりした劣等感を持ったまま大人になり、その劣等感が、いつからか自分の一部になってしまったようです。 そもそも、どこをどう変えるべきだったのか、今になっても分からずにいます。 ただ、今の自分では駄目なのだと思わされる出来事があまりにも多かったからか、自然とその言葉を受け入れていました。 以前にも相談させていただいた、男性からの心ない態度について…最近思うのは、あの人たちは本当は見る目のある人なのではないかということです。 私が中身のない人間であると見抜き、関わりを拒んだのであれば、凄いことです。 改めるべきは、彼らではなく私なのかもしれません。 hasunohaに出会う随分前、堪らなく苦しくなったときの相談相手が占い師でした。 占いを完全に信じきっていたわけではありませんでした(当たればいいのに…と思った部分はいくつかありましたが)。 「出掛けなければ、出会いはないよ」と言われ、その言葉が今でも頭に残っています。 外に出ることで、なにかが変わるかもしれない。そう思って、外出の機会を増やしました。 しかし、外には楽しそうなグループや幸せそうなカップル。同年代の子供連れの夫婦。 また、劣等感です。 肩身の狭い、ただのお出掛けで終わってしまう事が殆どです。 家に籠っていれば良かった!と後悔したことはもう、数えきれません。 劣等感は、いつか消えて無くなるものなのですか?

有り難し有り難し 87
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人と動物の違いを教えてください。

よろしくお願いいたします。 少しタイトルとは異なりますが。 お坊さんに聞いてみたい事があります。当たり前に心では理解していますが、理論的には解らないことがあります。 人は他の動物の命をいただいて生きています。動物でも植物でも人は他の命を自分に取り込んで生かされていただけている。と理解しています。 では、人が人を殺してしまう行為はなぜ悪だと言えるのでしょうか。憎悪のままに人の命をを手にかける事は当然いけない事だと解ります。では、それが人が生きていくこと。つまりは人が人を食すためだとしたらそれは魚や牛の命をいただくことと同等の正統的行為になるのでしょうか。 戦時中や遭難時など、緊急避難的な状況なら解りますが、それが今私たちの周りにある日常での出来事だとしたらどうお考えになられますか。 改めて申し上げますが、感覚的にそれは大罪であり、禁忌である事は解っております。 世の中には生まれながらに、なぜ人を傷つける事がいけないことであると理解できない脳を持って生れてしまう人間、学術的にいわゆる「サイコパス」という人間がおり、時に恐怖な事件を起こしますが、そのような方が上記のような質問をされた場合、どう説明されますか。 私も人の命の尊さを知る上で、言葉としても理解しておきたいと思います。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 73
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結婚、出産は何のためにするのか

初めて質問いたします。宜しくお願い致します。 世間で言う結婚適齢期も少し過ぎつつある年齢になり、友人知人たちはほとんど結婚して子供がいたり、独身でも彼氏がいたりで、独身、彼氏なしの自分が何だか惨めに思えた時期がありました。 なぜ周りは自然と彼氏が出来、自然の流れで結婚、出産とトントン拍子に幸せになっていけているのに、どうして私は彼氏すら出来ないのだろう、もう年も若くないし、何とかしないと、と焦りに焦る日々を過ごしておりました。 そんな日が続いたある日、ふと疑問に思ったことがあります。 「そもそも、どうして私は結婚して子供が欲しいのだろう」 彼氏がいたらいたで、私のことをどう思っているのかとか、浮気をしていないか等心配事も出てくるわけで、それは結婚しても出産をしても同じこと。 お金のこと、仕事のこと、家族の健康のこと、子供の教育関係等、心配事は尽きないと思います。 ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいになりがちな心配性な性格のため、彼氏や家族という大切な人のこととはいえ、気にかけて世話をしてあげられるだけの余裕が持てるか非常に不安です。 次第に 私には、結婚は向いていないんじゃないか。 幸せになるためには、ひとりでいた方がいいんじゃないか。 と考えるようになってきました。 そのため、私の中で「結婚、出産」=「みんなしているから、何となくするもの」というひとつの結論に至ったわけですが、正直完全に結婚、出産への憧れを断ちきったわけではありません。 生涯を添い遂げられるパートナーがいればどんなに心強いかと思うこともありますし、公園などで幸せそうに遊ぶ子連れの夫婦を見て、いいなあ、子供が欲しいなあと思うこともあります。 その反面、上記のような他者を煩わしく思ってしまう心や、または結婚や出産は単なるエゴだと思ってしまう心もあり、結婚、出産とは何だろう、どうして皆疑問にも思わず、結婚や出産を経験しているのだろう、そして私はどうしたいのだろう、と考え込む日が続いております。 なぜ、人は結婚、出産を求めるのでしょうか。 結婚をしなくても幸せになれるなら、それはそれでいいと思うのですが。 そもそも、「幸せ」とは何なのでしょうか。 お教えください。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 1119
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2022/02/27

モヤモヤして不安な気持ちでいっぱいです

まず、お坊さまへは何度も家の事情を聞いていただきその度に丁寧なご回答をいただき感謝しています。 どうしてもまたモヤモヤして不安な事が湧いてしまいました。気分転換にヨガをしたり本を読んでみたけれど全く晴れないのでまたこちらで書かせてください。 先月、父が亡くなり、来週法要と納骨になります。亡くなった父が悲しむと思い、49日までは何とか母と揉め事は起こしたくないと努めてきました。 両親は離婚しているため喪主は私ですが、やはり元とはいえ本来ならば妻である母が喪主ですから、父の葬儀の事は全て母の意向に沿うようにしてきました。母の希望でコロナ渦で親戚は呼ばない家族葬で見送りましたし、コロナ渦なので親戚への連絡もすぐにはしたくないと母が言うので私からは連絡しませんでした。結局向こうから連絡があった時に話すことにはなったのですが。 そして、納骨には親戚の方々もみなさん行きたいと言ってくれたのですがコロナが治らないからと母が全て断りました。 それなのに、父に縁もゆかりもない自分が信仰する新興宗教の友人を3人も呼ぶというのです。コロナ渦だから親戚を呼びたくないという意見と矛盾しています。 結局のところ、母は自分と疎遠になっている親戚よりも自分のよく知った友人を呼んで安心したいだけなのです。 父と親戚は生前元気な時は毎年お正月に集まっていた仲でしたので、せっかく行きたいと行ってくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱいです。 今さら私からその方々にお断りするということはしませんがその事にずっとモヤモヤしています。 母から7日毎に一緒にお経をあげようと提案されそれも朝早く起きお勤めをし、今朝が最後だったのに、昨日から母は不機嫌で今朝もうお経はあげたからお前はいいと言われ、それもとても残念で悲しいです。 母も歳なので辻褄の合わないことを言う事が多くなっているのは理解しております。こちらが筋の通った事を言ったとしても理解できないで怒り喚き散らし周りに迷惑をかけるだけなので何も言いません。しかし何も言わなければ言わないで母は私は何も出来ない人間だと思っているようです。親戚の若い子にまでうちの子はこれもダメあれもダメと話してるのを聞きまた悲しくなりました。 父の納骨の日までには何とか自分の気持ちを立て直して父を見送ってあげたいのですが、どういった心持ちでいれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 9
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