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検索結果: 1817件

先祖供養の方法について

新年明けましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。 先祖供養した方がいいなと思って、質問しました。 あまり、先祖に対して、いいイメージはありませんが、 それでも、自分の肉体や無意識の領域にあるものは、父や母から上の世代から受け継いだもので、 ご先祖様がいなければ今の自分はいないと思っています。 動物や植物からいただいている命や周りの人の感謝する気持ちを持ち、 自分の目標を宣言するために、神社にお参りし、今年神棚を設置しました。 神棚を含む住環境を整えているところです。 年賀状や手紙でも、少しずつ感謝の気持ちを伝えていけたらと思い、少しずつ実行しています。 先祖に対して供養できていないし、方法が分かりません。 父の実家とは、10年前ごろから不仲になって、お墓参りにも行けていません。 親は、「自分達がしっかり供養するから」と言っています。 しかし、「これでいいのだろうか?」と思っています。 実家が遠いところで状況は分かりませんが、これまでの状況から供養をやっているとは思えないのです。 そもそも、供養というものを理解していないのではないかとさえ感じます。 私も理解していません。なので、教えていただきたいと思っています。 供養とは「先祖の苦しみや怒り、悲しみなどを理解し、受け入れ、ゆるすこと」だと、私は考えています。 私たちは、胎内にいるときから、親戚を中心とする周囲の人の教えを受け、脳の無意識の領域に記憶していると考えています。 その教えは、家系の中で代々受け継がれていると思います。ただ、無意識なので、なぜそのような行動をするのか理解できていないのですが。 供養をするということは、最終的には自分自身を認めることになると思うのです。 だから、先祖供養が大切だと思いますが、どのようにやっていけばいいのでしょうか? 分かりづらい文章で申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 12
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師匠とどういう気持ちで付き合えばいいかわからなくなってきた

私は流産、大ケガを経験し、今は転移ガンの治療中です。 その間に、尊敬する師匠に赤ちゃんが産まれました。 厳しかった師匠が、赤ちゃんを稽古場に連れてきて、生徒に子守りをさせその微笑ましい様子を動画で録画しています。 赤ちゃんを連れてこない日は、その分生徒へのしごきがすごいです。 30年以上続ける自分のライフワークでもある趣味で、師匠の技術も作品も大変尊敬してきました。 しかしこの数年の自分の経験により、師匠に対してなんとも言えない気持ちなのです。 私はもう子供を望めず、なるべく赤ちゃんのいる稽古日は師匠に接しないことで自分の心を守っています。 自分のことに集中するのみと思っています。 そして日毎にアップダウンの大きい稽古は、治療中の体への負担が大きいことも伝え、休憩をとりつつ続けようと思っています。 師匠は、ガン治療中の私に、特別なかたちで1人の発表の場を与えてくれました。 稽古が私の治療のモチベーションになってることを理解してくれています。 そういった配慮や心遣いは大変ありがたいのです。 しかし、今まで気分で態度を変えられたり、私の尊敬心を弄ばれるように感じてしまったことも実はあります。 人間だから仕方ないとも思います。 そして、尊敬する師匠が幸せそうなのはとても良いことで、治療中の私への気づかいも大変ありがたい。 しかし稽古中に心がえぐられるような気持ちになる瞬間があることも事実です。 小さな頃からした経験や、いまは転移ガンや流産を経験し、なんだかさめたような気持ちになっていることもあります。 30年以上のこのライフワークはできれば続けたいです。 しょせんは他人。 しかし余計なねたみやつらい気持ちが、自分で自分を苦しめています やはり尊敬している部分はあり、恩もあるので、真心をもって接したいとも思いますが、どこまでが真心なのか。 「自分はもう子供は望めないが、稽古が毎日のモチベーションになっている」ということを、新生児をかかえたお母さん(師匠)に言うのも、どうかと… 師匠とどんな気持ちで付き合っていけばいいでしょうか

有り難し有り難し 11
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とても辛い2018年

2018年ももうすぐ終わりますが、私にとって2017年年末から2018年にかけて、さまざまな意味での別れが続き、楽しかったこと幸せだったこともたくさんありましたが、それ以上に悲しい出来事が多く、とても辛い一年でした。2017年年末に祖祖母が亡くなり、春には付き合っていても辛いという状況でしたがそれでも大好きだった彼氏と苦しい別れ方をし、少しずつ彼への気持ちが落ち着いてきたと思っていたら、昨日10年一緒に過ごしてきた愛犬を病気で亡くしました。心臓病を抱えており通院しながら闘病していましたが、急変とのことでした。覚悟はしていましたが、愛犬の死は耐えられないほど辛いものです。今までも周りの友人たちに支えられ、一つずつ乗り越えてきたつもりですが、愛犬が亡くなったことは私に追い打ちをかける出来事で、もう乗り越えたと思っていた過去の出来事についても思い出してしまい、また苦しくなってしまいました。もう明日が来るのも辛くて、喪失感が大きすぎてどういう気持ちで2019年を迎えていいのかわからないです。ですが、2019年を今年よりもはるかに素敵な一年にしようという気持ちももちろんあります。新しい一年をいい一年にするにはどのような心持ちでいたら良いのでしょうか。今の私に助言を頂きたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 31
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二回のご回答も何にもならず・・・

自分の考え方や生き方をそうしろと言われたからと言って、なかなか変えられるものではありません。 お答えを聞いて、じゃあやってみようと思ってそれを実行しても自分には何の実りにもなりませんでした。 私の家の近くに、ちょうど念仏を唱えて下さるお坊様がいたので、お話を聞きに行きました。 11時に予約をとって行ったのですが、お話されていることがどう聴いてもご自身がやってきたこと、やっていることの話ばかりで、こちらの話を聞いていただけませんでした。何のためにここまで来たのかよくわからなくなりました。 自分はこれだけのことを知っている、これだけのことを今やっていること、私も昔はこんな人間だったと、苦労話、説法とはなんだろうと、何だったのだろうと考えさせられましたが、答えは出ませんでした。ちなみに15時に解放されました。 結局は誰かに救いを求めても誰も助けてはくれないということ、死にたいと思う心は変えられないということはよくわかりました。 死にたいと思ったらその場で刃物で心臓を突き刺す勇気をください。 走行中の車から飛び降りようとしたことも何度もあります。 私はもう人間ではないんでしょうか・・・ 死しか考えられない。、早く死にたいです。

有り難し有り難し 318
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2024/05/18

亡くなった母の為に出来ること

数日前に母を亡くしました。闘病の末ではありましたが、あまりにも突然で心の準備もろくに出来ておらず、いつも明るく優しかった母を失い人生で最も大きなショックを受けています。 今も毎日ふとした瞬間に涙を流していますが、葬儀等を通じて少しずつ母の死を受け入れられるようにもなり、単に悲しむというよりは、他界した母の為に自分は何をしてあげられるのか?してあげるべきなのか?と考えるようになりました。(とりわけ、他界して間もない今だからこそ母に届くものがあるのではないかと信じています) 以下、質問というよりは、どなたかに「きっとそうだよ」と後押しをして欲しいだけのものもあるかも知れませんが、私の質問にお付き合いいただけますと幸いです。 ① 葬儀で母の棺に数々の思い出の品を副葬品として入れました。特に、楽しかった思い出をたくさんまとめたアルバムはなんとしてでも母に届けたい一心で準備しました。あのアルバムは、あの世の母のもとへは届いていますでしょうか?また、もし届いているとすれば、母はどういう思いでアルバムを眺めているのでしょうか?(もっと生きたかった、という具合に現世への悔い?それとも、楽しかった思い出を糧にしてくれているのか?) ② 母はとても愛情深い人で、これまでも愛犬の死や親族の他界にとても心を痛めていました。この度亡くなったことにより、母は、愛犬や親族に会えているのでしょうか?(延いては、私もいつかどこかでまた会えるのでしょうか?) ③ 死後1週間もたっていませんが、母はいまどういう状況にあるのでしょうか?そのために私が今、母のためにしてあげられることは何なのでしょうか? 具体的な行動(どこどこへ行く、何々をする、等)に紐つけてアドバイスをいただけると、私もそれを実践することで母を感じ、気が楽になる部分もありますので、そのようにご助言いただければ尚有難いです。 長文・乱文となり申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 22
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手遅れの人生、せめて憂さ晴らししたいが、他にやることは?

利己的な質問です。 最近、何の罪もない子供を殺したくなります。なぜかというと、それが自分に可能な、もっとも世の中を不幸にできる方法だと思うからです。 値打ちのない人生でした。 幼少期は日常的な虐待。親が相手の親に嫌われて、友達もいませんでした。今、故郷に帰っても、思い出話できる人はいません。 中学生の頃に、激化した家庭内暴力の末、両親は離婚。電灯もつかない部屋で貧乏生活をしました。 それでも若い頃は人生をなんとかしたかったので、一応は頑張りました。一流大学にも合格し、仕事も、土日を潰して学んだおかげで、搾取されるばかりの派遣社員になった今でも食うには困りません。 ただ、もともと虚弱だった体はもう、喜びを知りません。苦痛だけがあります。 気がつくと、大切なものは何もありませんでした。友人、家族、恋人、誇れる仕事、実績や思い出。皆無です。 人並みにそれらを大事にしようとして、随分痛い目をみました。時間とお金と健康を犠牲にして、裏切り、搾取が一通り済んで、気付くと周囲には何もありません。 これが自分の本当の姿だったんだ、とわかりました。 もうこの年齢です。未来もありません。富も地位も名誉も愛情も。 人生の敗北はもう確定しました。仮に今から宝くじに当選しても、大して意味がないくらいに。 代わりに恨みだけは山ほどあります。ここに至って気付きました。 私は三つの誤りを犯しました。 生まれたこと。自殺しなかったこと。なんとかしようとしたこと。 努力しようがなんだろうが、私は出来損ないだったのです。 そして、私はこの世界に何の責任もありません。 大事なものは何も残っていない、でもなんとなく腹が立つ、であれば面白半分に壊しても構わないのではないか? そもそも私はもう破滅するしかないのだから、私にとっては世界の終末と同じです。 被害者面などしません。弱いのが悪いのです。なら、私に傷つけられる誰かがいても、その本人が悪いだけでしょう。 あとは苦しみながらゆっくり死んでいくだけ。なら最後に自由を満喫して、思う存分命を嘲って、ちょっとだけサッパリしていこうと思っています。 ただ、他にもっといいプランがありますでしょうか? あればご教示ください。

有り難し有り難し 22
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