死にたくないのに自殺しようとしてしまう
教職者と実父から暴力や性的被虐経験ありの、保育士を続けている者です。
子どもはこれから大人になる小さい人としてみていて、
特別子どもがかわいい、好き、という事は思ったことはありません。
高校教師の免許は持っていますが、
「子どもの生きる力を育てたい、
何か困難に直面した時に自分で道を作れるよう、選択肢を教えてあげたい。」
と思い、保育士の資格をとりなおして就職しました。
今迄は被虐経験から、
大人に強い不信感をもっており、
まともな教職者や楽しそうな子ども、
優しい保護者とかかわるなかで、
自分の境遇を否が応でも比較してしまい
「子どもに見せる親の表情は嘘だ。
信頼された教職者の嘘は誰にも見抜けない。
その時に見過ごされた子どもは保護者にも教職者にも救ってもらえない。
辛い。」
と、自分が感じていた過去の恐怖や今の妬みばかりが見え
昨年は体調を崩してしまいました。
その年の担任も終わり、
いまもまだ保育者をつづけているのですが、
ある日ふとした時にそれらの悩みから解放された感覚があり、
保育中ひっそりと苦しむ事もだいぶ減ったのですが、
いまはよくわからない虚無感に毎日苛まれています。
集団を抜けて発信さえ出来れば、
一部の大人が悪かろうがなんとでもできる。
悪人はどこかで罰せられるから、他人を妬まず自分は善い個人である事をする。
だから行って無駄な事などなく、楽しく生きる。
大人はとるに足りない恐ろしいものではない。
そう思えるようになり、
子どもにも楽しい事を話し、気づかせ、冷静で穏やかな気持ちで接しているのですが、
常にさみしさやかなしさばかりが付き纏っています。
やはり、生きている事は苦しい、という結論にいたってしまいました。
気力が萎えてしまい出来る事も日に日に減ってきており、
あと半年ほどでまた体を壊し、
今度は自分も完全に壊れてしまうのではないか、
という自覚もあります。
あまり生きていたくないのです。
ですが、これらは子どもらへ絶対に言ってはならないことだとわかっています。
なんとか死なないように踏みとどまっています。
色々な人に相談をして、何とか生きようとしています。
何を目的に人は生きて、
死んでいくとお坊さんは思いますか?
今の苦しみは、死の先のために、
無駄なものではないのでしょうか。
御回答宜しくお願いします。
有り難し 6
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