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検索結果: 1233件

いじめ等の加害者と被害者について

すいません。質問ではないのですが。 いじめの被害者は、どうすれば加害者を憎むことをやめられるのかと苦悩します。 相談サイトで等を見ると加害者は、どうすれば被害者に許してもらえるかと質問をしています。 理不尽ではないですか?なぜ加害者は被害者に行動を求めるのでしょうか。 加害者にわかるのでしょうか? 前から人が歩いてきただけで心の芯が凍るような感覚が。 自分と他人の集まりでしか考えられず延々と続く孤独感の辛さが。 友人、恋人、家族に憧れとそれを持てないと言う諦めと絶望感が。 日常を生活できるのは回復したからではありません。心を誤魔化し隠す力がついただけです。 結婚したから、子供が産まれるから記念に許してもらおう。こんな考えで過去の暴力を背景に、被害者の今の環境を人質にとって謝罪を受け入れの強要。 自分は幸せだから不幸なお前は自分を許せとでも言うつもりか? 回りを巻き込み謝罪を許否すれば被害者が心の狭い人扱い。 言葉では許すと言いますが心では許してなどいません。 本当に悪いと思っているならタイムマシンでも開発していじめを無かった事にすれば良い。 被害者の心の傷を綺麗に取り去り今までの人生を上回る幸せな人生を与えて親族引き連れて被害者から半径5万キロ離れたところで暮らせば良い。 どれも無理ならここのお坊様の言う通り被害者に関わらないでほしい。 被害者は加害者の顔と名前は忘れても恨みは忘れない。 もし、死ぬときに恨みが風化されずに残れば加害者の子孫に祟るくらいはしますよ。 加害者は被害者へ謝罪をする権利など無いですし、被害者も謝罪を受け入れる義務は無いです。 安易な謝罪よりどう償うか考えて見れば良いのです。人の人生を狂わせた事と対等な償いを粛々とこなせば良いだけです。そんなものがあるのであれば。

有り難し有り難し 16
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善とは、善の行為とは、難しいので教えて頂けますか。

常日頃、よく考えることですが、とても難しいので教えて頂けますか。 善とは、善に基づく行為とは、どのようなものかということです。 心から他人のために何かをしたりしようと思うときに、必ずしも相手の価値観と自分のそれとは一致しないからです。しかし、相手のためにと純粋に思うなら、それは善の心ではないかと思います。ただ、何でもやって良いわけではないので、常識という規範が伴います。 自分が相手から、何かをしていただいたら、素直に有り難く思えるし、逆に何かいじめられたりひどい仕打ちを受けても、それをばねに前進してきたので、何が良いとも限らないと思って生きております。しかし、世の中には私と同じ価値観の方ばかりではないので、私がやって差し上げることで、善意を逆の意味にとらえる方もおられるかもしれません。そうであっても、世間の常識、良識、公序良俗に反しない行いであれば、相手がどう受け取ろうと、善と思う行為をやって差し上げたほうがよいのでしょうか、それとも、それこそ私の独善的な自己満足で本当の意味で相手の気持ちを考えていないからやるべきではないのでしょうか。理屈っぽくなりましたが、何年も何十年も折に触れて考えることなので、どうかお坊様、ご助言頂けますでしょうか、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 70
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他人の旦那さんが羨ましい

初めて相談させて頂きます。タイトルの通り、他人の旦那さんがとても羨ましいです。私の夫は高卒、年齢も若いので給料も低いです。それに比べて、友人知人の旦那さんは大卒、給料は低かったとしても私の夫よりはもらっており、また大卒ということは転職をしようとした時に大手企業への転職も叶います。一方、うちの夫は転職しようとしても最終学歴が高卒の為、入れる会社が限られてしまいます。(殆ど中小企業)結婚した時は、それでも夫に対して好きな気持ちはありした。ただ、年齢的に焦っていたこともあり、その辺を考えずに結婚してしまった自分に今激しく後悔してしまっています…夫は育児にも協力的で、家事も完璧ではないですが手伝ってくれるので、決して悪い人ではないのですが、私が考えすぎてネガティブになってしまい、現在夫と笑って話すことが出来ません…自分が夫に対し最低なことをしているな、と思って自己嫌悪に陥ってしまいます…しかし、子供も生まれてこの先の将来を考えると、どうしてもこのような考えに囚われてしまいなかなかこの状況から抜け出せません。どうしたら、もっと物事をポジティブに考え人と比べずに生きていけるでしょうか…

有り難し有り難し 86
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人のために生きるのは悪いことですか

わたしは昔から自分のことが嫌いでした。 自分に厳しくしすぎたのか、とうとう鬱になりました。その一年後、自殺未遂をして警察に保護されました。 親が泣きながら迎えにきてくれましたが、自分でも驚くほどわたしはなんとも思えませんでした。それだけ生きることに絶望していました。 でも、付き合っているYさんにお願いだから死なないで、僕のために生きていてと言われたとき、ああ生きなきゃいけないなと思いました。 それからわたしの生きる意味は、Yさんです。それしかないんです。 よく、自分のために生きなさい、と本でもネットでも言われています。 人のために生きるのはやめなさいと言う言葉を何度も目にしました。 でも、生きる理由が見つからない、と調べると、家族のため、恋人のため、友人のためでいいから生きなさい、と言われます。 死にたいと言ったら誰かのために生きろと言われ、誰かのために生きると言ったら自分のために生きろと言われる、結局自分のために生きること以外は悪いことなんでしょうか。 わたしは理由もわからないのに自分が嫌いで自分のための生きる意味がすぐ見つかるとは到底思えません。 また、生きる意味がYさんだからといって執着したり重荷をかけたりしている訳ではありません。 それでも人のために生きてはいけないんでしょうか。 自分のために生きられない人は生きる価値がないんでしょうか。 分からないんです。苦しいです。 助けてください。

有り難し有り難し 47
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生きるのも死ぬのも嫌な時は、、

初めまして。ご覧いただきありがとうございます。 私は現在29歳ですが、これからの人生を生きるということに迷いがあります。 なぜ迷っているのかをお話しする前に、私の生い立ちを書かせてください。 私は本来あまり喋らない性分ゆえ、小学生時代はいじめっ子の標的でした。 そのため中学に上がる際には、いじめられたくないという思いから、本来の自分よりも明るく振る舞い、他人に嫌われないようにすることを第一に心掛けました。 また、親が厳しかったことからも、親の機嫌を損ねないようにすることを無意識にしていました。すると、気づいたときには、嫌われない・怒られないように他人の顔色ばかりうかがい、自分のやりたいことなど何もない主体性のない人間になっていました。 中学・高校時代は幸いなことに友達にも恵まれ、勉強部活恋愛全てにおいてとても充実していました。大学受験も成功し、就職も無事できましたが、特に入りたかった企業ではありませんでした。 そして働いて数年が経つころに、先述した自らの主体性のなさに気がつきます。 そこから自分のやりたいことは何だろうと考えたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく、生きる意欲だけが削がれる堂々巡りが続きます。そこに、愛犬の死が訪れます。 身近な存在の死は幼い時に祖父を亡くして以来で、非常に辛いものでした。そしてこれ以降、人生において特にやりたいこともないのに、これから先には家族や友人の死、自分自身の老いなど、向き合いたくないことが沢山待ちかまえているとなると、もう生きなくても良いのではと思うようになりました。 既に書いたように、非常に充実した学生時代を過ごしました。十分楽しんだと胸を張って言えます。しかし、私が死ぬと悲しむ人がいるため、簡単に自ら死ぬことはできません。 生きる意味がわからないながらも日々頑張って生活している人が多数いることはわかっていますが、多数がそうしているのだからそれにならって頑張りなさいというのは腑に落ちないのです。常に多数派が正しいとは限らないからです。 自分自身が納得する結論は出ないと思います。主体性がないので、やりたいことが見つかることはきっとありません。 しかし、生きるべきか死ぬべきか、生きるならどうするべきか、途方もない難題に苦しむ日々が嫌になりました。少しでも楽になる方法はありますでしょうか。長文失礼しました。

有り難し有り難し 11
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感興のことば第26章13の内容について

仏典についての質問です。 正式に仏教の知識を学んだこともありません。 己の体験と仏典を照らし合わせて仏道に勤しんでいます。 浅学でお恥ずかしいのですがお答えいただければ幸いです。 感興のことば第26章 安らぎ(ニルヴァーナ)の13です。 僧侶であればだれでもが親しんでおられる仏典だと思われます。 「13 ①前にはあったが、そのときには無かった。②前には無かったが、そのときにはあった。③前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」の内容をお知らせください。 個人的な一考察ですが、 ①「前にはあったが、そのときには無かった」とは、 A:前には「認識している私」という意識があったが、そのとき(=安らぎ)ではすでに「私」というものは無い。 B:前には「渇愛」があったが、そのとき(=安らぎ)では「渇愛」はない。 ②「前には無かったが、そのときにはあった。」とは、 前には「智慧」は無く「無明」であったが、そのとき(=安らぎ)には「智慧」があった。 ③「前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」とは、 前にも「魂」は無かったし、のちにも「魂」はないであろう。また今も「魂」など存在しない。  という勝手な考察ですが、お坊さんの体験された内容をご伝授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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ネガティヴ過ぎる友人への返信に困っています

はじめて質問させていただきます。 私には、元同僚で、仕事を辞めてからも時折食事をするような関係の友人が何人かいます。 その中に、実際に会った時はとても明るく気さくなのに、会っていない数ヶ月の間のメールや電話のやりとりは、とてもネガティヴで、愚痴やマイナス発言ばかり…という友人がいます。 昼夜問わず届くメールや着信にも、すぐに返信し、話を聞いたりしています。 しかし、核心をつくような事を言うと、無視されたり、体調が悪くなった、もう寝る…などと言われます。 アドバイスしたり、明るい話題をふっても、もちろん無視され、またネガティヴな言葉で上書きされます。 軽い愚痴なら聞き流すのですが、悲しい、虚しい、生きている意味がない、自分だけ時が止まっている…などと言われると、深刻な悩みのように感じ、受け答えをするのですが、何年経っても悩みの内容も変わらず、最近ではメールが来るたびに、暗い気持ちになってしまうようになりました。 他の友人や、家族にはこのような面は一切みせていないようで、自分が聞いてあげなくては…という気持ちと、こちらの意見は大抵無視されるので、ただのはけ口にされているように思う気持ちがあります。 なんと返信すれば良いのか、正直わかりません。 少しでも前向きになってもらえるような、魔法の言葉はないでしょうか…?

有り難し有り難し 43
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