大学に行きたかった
私は手に職つける系の仕事を目指していて、専門学校などで技術を学んできました。専門分野内では知識もあります。
でもそうなったのは、病気で半分寝込むのが10年くらい続き、大学進学どころではなかったからです。
勉強が好きでした。
大学で論文を書くことに憧れていました。
教養のある人は知性的で素敵だと思います。
病気になる前は、成績が良かったです。
大学で勉強するのが、夢だったのです。
夢破れていま手に職つけようとしています。
今選んだ道はなんやかんやあってすごく好きになれました。
一生をかけて極めるつもりです。
でも、ものすごく大学に思い入れがあるので、大学のことを思い出すような刺激があると、「健康な子はいいな…。私には教養が無い。でも私はこの道で一流になって、見返してやるんだ。大成功してお金持ちになったら、通信制の大学くらいなら、老後通えるかもしれないし…」と煩悩が渦巻きます。
正直嫉妬だと思います。
嫉妬すると「努力するぞ!」と思えますが、仏教ではそういうのはよくないと本にあったので、どうしたらいいのだろうと思い質問しました。
仏教の本に書いてあったのですが、
「ネガティブな気持ちから頑張るのではなく、応援してくれる人のために頑張ろうとか、喜んでもらうために頑張ろうとか、喜びや慈悲の気持ちから行動すると、追い込まれなくても火事場の馬鹿力と同じくらい頑張れますよ」と書いてあったのです。
素敵な考えだと思うのです。
今の道で成功できたら嫉妬しなくなるかなぁと思うのですが、それまでの期間ずっと嫉妬を持ち続けるのは、仏道的になんだか違うような気がします。
手に職つけるということは、もともと体力が足りない私にとって、使える時間をすべて技術の訓練や専門知識の勉強にあてて、ようやく一人前になれるかどうかという感じで、教養を学ぶ暇はありません。
だったら一人前になる方がいいと自分で選んだのですがこんなザマなのです。
どうすれば「大学に行きたかったのに」という気持ちを浄化し、それを原動力に前に進むのではなく、「応援してくれる人のために」とか、そういう気持ちを原動力に努力していけるでしょうか?
有り難し 15
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