過去の罪悪感とこれからの在り方
先日執念との向き合い方でお世話になりました。
また話を聞いていただけますでしょうか。
30過ぎて恥ずかしいのですがようやく自分を振り返って見つめています。
いつも感情が暴走して自分を客観視できてないのでは?と知人に言われようやくです。
そうしたら自分にとって生きづらい世の中であるなと自覚はしていたものの自分が一番正しいと思っていた世界はまったく違くて自分はひどい愚行を繰り返し、人や生き物に悲しみや迷惑ばかりかけていたのがわかりました。
そしてとんでもなく悪いことも。
むしろ悪人だなと捉えています。
過去の出来事は変えることができない。
それを認知しようとすればするほどどうしようもない罪悪感に覆い尽くされてしまいます。その出来事を認知できないのです。過去の経験があり今を生きなくてはいけないのはわかっているのですが認めれない完璧主義というのにも気づいてなかなか厄介な自分です。認知する事は今後の自分の行いで出来る事なのでしょうか?
そして私はまだ診断は下りませんが精神科の先生から発達障害の可能性が強いと言われました。
このまま生きていても自分を変えることができずまた愚行を繰り返してしまいそうでそれがまた億劫とさせますが、たくさん考えた結果私は世の中のためになる事をしながら生きていきたいです。
しかし昔から私は何をやっても上手くこなすことが出来ず先生や親、人からずっと呆れ顔で匙を投げられています。
発達障害の事をたくさん調べる中色んな意見もあり、発達障害を言い訳にするなとか、
発達障害だから仕方ない事とか。
世の中にはいろんな捉え方がありますが、お坊さん達は愚行を繰り返さず、今を生きてこの世の為になる事をされていらっしゃいますが、愚行を繰り返し何も得意とせずのうのうと生きてきた自分はこのまま生きて世の中の為に何かしたいと考えることはおこがましく愚かな事では無いでしょうか?
こういう事を考えるのは煩悩でしょうか?
努力をすれば出来る事すらもこなす事が困難な自分、過去の罪悪感に囚われている自分に世の中の為になる事ができるのだろうかという自己否定ばかりで情けないのです。
御言葉いただければ幸いです。
有り難し 4
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