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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 ニート どうしたらいい」
検索結果: 173件

転勤族の妻で、働く意欲がありません。

37歳で離婚し、介護士をしながら40歳で准看護師の資格を取りました。特養で准看護師として働き、1年後に再婚。その夫が関東から九州に転勤。半年ほど別居後、特養を年末付けで退職し夫の待つ九州へ。 1月3日に九州に辿り着き、引っ越し作業も済んだ矢先、夫が2月から滋賀県へ半年間の出張になり、知り合いもいない九州に置いていかれるのも嫌なので、九州の社宅はそのままに滋賀へ。半年過ぎ、また九州へ。 その間、体調を崩し39度台の熱を2度も経験した上、九州へ戻り婦人科を受診すると子宮筋腫と極度の貧血が発覚。貧血は静脈内注射と内服で治療し、子宮筋腫は経過観察。ようやく落ち着いた10月下旬、就職活動を始めた矢先に、11月から再度滋賀へ、今度は転勤とのこと。 就職活動熱が冷めない内にと、引っ越し後直ぐに滋賀県で面接を受け12月下旬から働く事に。 しかし、1月にインフルエンザで39度の熱発。その後、それまでのゴタゴタがたたったのか、不眠症になり心療内科を受診。眠剤を内服しても全く眠れず困り果てるが、3月末に風邪を引き、やっと睡魔が襲ってきたと思ったら明け方実家から電話。父が亡くなったとの知らせ。しかも自殺でした。 法要で休みを取り、東京土産を会社の人に買って戻るが、同僚からは「ディズニーランドは楽しかったかい?」と嫌味を言われる始末。 精神的に落ち込み8月に仕事を辞め、アパートで過ごす日々。 そして年末、夫に再び九州へ転勤との辞令が。 九州に越して体調も最悪で食欲もなく、一週間程カロリーメイトゼリーを一日一個で過ごすが、このままではいけないと分かるので何とか食欲を戻す。 落ち着いてくると、父の自殺がゆっくりと私の精神を蝕み始める。それと同時に、夫が亡くなったらどうしようとの恐怖も襲ってくる。 4月になると、また謎の体調不良と熱発。命日反応だと後日知る。 そうして、九州に戻ってきてから1年と数カ月が過ぎました。 現在、特に用事がなければ出掛けない私に対して団地の住人が「男がまた泊まりに来てる〜」「男に飯食わせてもらって自分は働かないニート」「ひ!き!こ!も!り!」などと言ってきます。 普通40代カップルが住んでいれば、夫婦と思うとは思うのですが、童顔で看護学校の同級生には、中学生に勘違いされた事も。恐らく、団地の住人も同様の勘違いをしているとは思うのですが、働きに出る事が出来ません。

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2023/08/03

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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現代のお坊さんと世間のイメージについて

先日初めて質問させていただきました。 そこで、お坊さんも色々な戒律や教えに従って日々修行されているのだなと感じました。 そして新たに疑問に思った事があります。 ①お坊さんがパチンコなどのギャンブルをする事はどのような教えなのか? ②お坊さんが風俗に行く事はどのような教えなのか? ③上記の様な事がよろしくない事だった場合、その事をしているお坊さんは少数派かもしれませんが、そういうお坊さんを他のお坊さんは野放しにしているのはどのような教えにのっとっているのか?徹底するべきではないのか? ④お坊さんは高級車に乗っているイメージがありますが、乗る車について何か決まりでもあるのか?また、決まりがないとしたら、高級車に乗っている事はお坊さんとして恥ずかしくないのか? 他にも色々ありますが、とりあえず以上の4つについて出来るだけ簡潔に教えていただきたいです。 日本は無宗派が進んできているなどと言われていますが、お坊さんに対するイメージの変化も影響があるのではないかと思います。 あのお布施はパチンコに使われるのかな...とか、例えそうでなくても心のどこかで思ってしまうのはつらいです。どうしてもやりたいならお坊さんやめてやって欲しい訳です。 「悟りを得る為に良いことも悪いことも経験しよう」という人なら良いのかもしれませんが、悪い事を継続的にやる必要はないでしょうし、第一そういう心構えの人はそういう事をやってなさそうです。欲が絡むのは良くないと思うわけです。 無宗派が進む日本を変えようとするなら 人々を変えようとするのではなく まず、お坊さん自信が徹底して変わっていくのが一番の近道なのではないでしょうか。 最後に ここまで読んでいただきありがとうございました。私の無知さと出しゃばった発言、お許しください。決して、陥れようと思い書いたわけではございません。 ただただ、これからお世話になっていくであろうお坊さんの真実が知りたいだけです。

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