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検索結果: 22件

肉食妻帯並びに出家と在家の違い

日本の仏教(浄土真宗を除く)は何故『肉食妻帯』が許されるのでしょうか? 浄土真宗を除く宗派は『肉食妻帯』の禁止が前提で作られていたのでは無いのですか。 肉食関して仏陀は肉食を禁止していないや三種の浄肉をおっしゃる方が多くいますが、その部分だけを引用するとそう解釈できるか分からないですけど、当時は「托鉢」や「午後の食事の禁止」が前提の話で、日本の僧は「托鉢」や「午後の食事の禁止」をしているわけではないのに、その部分だけを引用するのは如何なものでしょうか。 また中国経由の日本の仏教には関係のない話であり、仏陀は肉食を禁止されなかったという個々の考えがあるのであれば、上座部やチベット、真宗などに改宗するか新たに肉食を禁止されない宗派を開宗すべきで妻帯の禁止及び菜食主義であった既存の宗派を変える事は以ての外ではないでしょうか 私は肉食妻帯に対して反対しているのではなく、真宗以外の諸派は肉食妻帯な禁止が前提として作られているのだからそこは徹底的にして欲しいのです。 妻帯については後継者問題があるからとは言いますが、なぜそこまで出家にこだわるのに、妻帯の禁止にはこだわらないのでしょうか。出家せずとも知識ある在家としてお寺を見守る家系として生きていけばいいではありませんか。 出家しているのに妻帯だと在家とあまり違いが無いではありませんか。 これは勝手な私論ですが 末法無戒を、唱えた日蓮上人ですら肉食妻帯をしていませんよね?それは「僧が袈裟を着る事」や「人が人を殺す事はいけない事」と同じ様なもので、その当時は肉食妻帯はしないのが当然なので末法無戒には含まれないからでは無いのでしょうか。 もし政府が「僧の服の着用勝手たるべし」とでも法令出したとしても、日蓮上人は直接は言及していないが、服を着るのは当然でその上で末法無戒と言ってるなんて誰でも分かるじゃないですか。 まとめると肉食妻帯の容認を当初からしている真宗以外は、かつてと大きく肉食妻帯に対しての意識が変化しているのにも関わらず、別宗派を作らず元の宗派を名乗ったまま肉食妻帯を許しているのか。 また現在における出家と在家の違いはなんなのかです?

有り難し有り難し 84
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この世からきれいに消えたい

 同じような悩みはたくさん寄せられていますし、わざわざ質問するのもどうかと思ったのですが、アカウント登録してしまいました。 自分はとにかく面倒くさがりです。 この世で起こっている出来事は絵物語のようです。 わざわざ苦労してまで生き続けるのはやはりナンセンスです。 断食や息止めも試しましたが長く続きません。 いっそ不食者になりたいです。 断食のコツも知りたいです。 片付けも遺書も中途半端になってしまいました。 人とかかわるのもやめれたらいいんですが、そこまで徹底できていません。 創作が好きではありますが、同じようなことがぐるぐると巻き起こっている世界でわざわざ物語やら何やらを創造するのもな……と虚無感が起こります。何か物凄い情熱でもあればよかったのかも、と考えましたが、あったらあったで気分が悪そうです。 前のめりだったときに出家しようかとお坊さんに問い合わせたことがありましたが、実際の差別だとかの話を聞いてやっぱり違うと思いました。  生かされているだとか感謝の気持ちが大事とはよく聞きますし、そんな心構えの方がまともなんでしょうが、私は自分の意思と関係なくなんかよくわからないままに生まれさせられたのだと思います。もし生まれる前の世界があるとすれば私は生まれたくないと言ってどこかに隠れるはずだからです。 どうにかして今生ですべてを断ち切れたらいいなと思います。 この世からきれいに消えれたら幸せです。 生きながら無の境地に達するとどうなるんですかね。 どんな仕事でももくもくとこなすのでしょうか。 はたまた大勢の人を救うような活動でもするんでしょうか。  心境を述べているだけですが、何かコメントをいただけると参考になります。

有り難し有り難し 49
回答数回答 4
2022/01/03

恵まれているのに消えたい気持ち

閲覧ありがとうございます。 私の悩みについてご意見を賜れればと思い、質問させていただきます。 まずこれまでの出来事を振り返りますと、 ・小学生の頃自宅で祖父を自死で亡くしその場面を見た、知らない人から軽い性犯罪にあった。 ・中学高校の頃はいじめではないにしろ、あまり友人から好かれず悲しい思いだった。 ・18の時に精神疾患を告げられた、そこから4年くらいは辛く苦しい日々だった。 現在ですと、 ・親のありがたみに気がついた、周りの友人知人ともいい関係。 ・母へのわだかまりは解けたが、母に甘えている自分にモヤモヤする。 ・いい職場に恵まれた ・いいパートナーと出会えた。 ・やりたいことはある。 苦しんだ精神疾患は未だに残ってはいるものの、いい病院と出会え、だいぶ良くなりパートで働けるまで回復しました。 祖父のことで苦しんだ実家からも出て暮らせていますし、周りの環境にも恵まれています。周りへの感謝や幸せも日々感じます。 客観的に見ても主観的に見ても「恵まれている」と思っています。 ですが、どうしても「消えたい」という思いが拭えずにいます。 贅沢な悩みであることも重々承知なのです。友人には言いません。親にはこぼしてしまう時はありますが、「考えすぎ」と言われます。 しかし、「消えたいなあ」という思いがずっと頭にあって苦しいです。 「私なんかいない方が迷惑かからなくていいんじゃないか」「跡形もなく消えられたらいいのに。」 そんなことを悶々と考えてしまいます。 しかし、実行はできません。死後の世界を信じているからです。 「ひどく苦しんだあの頃」に比べれば、今は平穏で満ち足りた日々だとは思っています。ですが、なかなか心は難しいのか、本当の平穏が訪れません。 これらを踏まえ、質問の内容は 「いくら恵まれている、幸せだとわかっていてもこの悩みからは逃れられないのでしょうか?」ということです。 自分の弱さがこの悩みを生み出しているのだろうなとも思います。自信のなさも関係しているかもしれません。視野の広げ方がわからずにいます。 拙い長文を失礼致しました。 どうかお坊さん方がもつ見解でご教授いただけたら幸いです。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

現在チベット密教のグルがいます

(編集部より。利用規約により一部修正しています。) 私には個人で救済活動をしているチベット密教を継いだお坊さんに色々電話や、お会いして教えをいただいています。それらは今の腐った金銭目的の仏教界とは異なりお金のない人にもどんな人も救済をしたいという心から出家された方で、私にはヨーガの修行とともに財施を月に2-3度行うよう言われています。 私はこの方と知り合ったのは2ちゃんねるで、個人で活動している祈祷師さんといった形でした。恋愛で悩んでいて助けを求めたところ、得意ですとのことでしたが、何も進展しませんでした。祈祷師というより、仏教の教えを広め、魂の底上げがしたいということでした。話がとてもためになりました。忍辱が私の悪業を滅するとのことでキャバクラでもバイトをしています。 導師、グルという立場で色々な話をしてきたのですが、最近預貯金のこと収入のこと、布施についての話が多く、気が滅入ります。布施は相談をはじめた当初からしていましたが、最近額や頻度についても言及があり辛いです。 基本的には祈祷や法施のために料金はとらず、遠方から来ていただくにも交通費しか受け取りません。とても貧しい暮らしをしている方です。 また、グルの相談者はワーキングプアの方が多く交通費すら自腹のときもあるとのこと。 私は普通かそれ以上の収入があるのですが、何世代分かの功徳を使うほどの幸福を得ている、お金に執着がある、他の人から見て幸せな状況なのにそれ以上の幸せを求めるなら財施をすることで功徳を生じさせるしかないといいます。また、部屋を導師のために借りることで大きな功徳になるといいます。 だんだん辛くなってしまいました。 このことを伝えると、じゃあ布施をしないでください、半年しなければ変わることがわかるはずといいます。体感しないとわからないこと。布施は導師にするのが最も功徳を生むのだから、と。 また、この布施のことで苦しみ、他の方は布施をほとんど払っていないので、そのことを掲示板にかいたことがありましたが、それも悪業で、今後もいろんな人が見るたびに影響を及ぼす、悪業がさらに募ると言われました。 状況を理解していただきたくたくさん書いたけどまだ書ききれないし私の理解の足らないところもあります。 けれど私はただ恋愛成就がしたかった。できないばかりか気持ちは辛くなる。

有り難し有り難し 54
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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
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生きる意味、生かされてる意味

こんにちは。 初めてメールします。 人付き合いは良い方で、友達が昔はいっぱいいたり、結婚式を誰かが挙げたら、必ず歌ってくれ、友人代表のスピーチしてくれ、等々どれだけやったかわかりません。 でも、プロフィールの通り、周りの皆が結婚し 子供ができ、忙しくなると、簡単に、本当に簡単に、人を切る。 ヤクザみたいな人にからまれて、助けを乞うために必死で向かった場所も友達の勤め先で、その時友達が電話の受話器上げて、営業妨害だからと、警察に連絡しようとしたので、帰りました。 僕にはもう友達は一人しか居ません。 一生続けていきたいですが、20年、30年付き合っても簡単に消えちゃう人も居るので、いつか、消えてしまうと怖い所もある。 私は未年で、別れた両親の父親方の方に遊びに行った時、大日如来のカード?みたいな金色のカード状のモノをずっと10年近く財布に入れてます。 で、やっと質問なんですが、自傷行為をずっと続けて来たので、そんなのは知れてる。 守り神?の大日如来を背中に入れました。 痛かったです、ものすごく。 今後、何があっても耐えれる気がします。 でも、誰にもこの事は言えません。 人は必ずいつか死ぬ。 それは、今日ではダメでしょうか?

有り難し有り難し 135
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今後は何をすればいいか

先月、副住職をしていた彼が自ら命をたちました。父親がお坊さんを志して住職になったものの、彼はその道を嫌がり後を継がなければ、勘当される。海外にバックパッカーをして自由に生きるか、寺に戻るかの選択を迫られて昨年に副住職についたようです。彼の性格は自己肯定感が低く、今までは鬱が入るとパーティーと呼ばれるクラブの様な場所で大麻を吸って気持ちを盛り上げる事もしていました。私と付き合ってからはそれに関わる人間関係さえも禁止にしました。亡くなる前は鬱がはいり耐えられないから安定剤をのんでいました。遠距離恋愛なので長電話でつらい、幸せにできない、薬のんだ、が始まったので私は電話に出ない拒否をしました。今までにも何度かこのような事はありましたが励まし、ぶつかり、会って回復するの繰り返しでした。話を聞いてくれ、薬も誤解なんだ、と30分前にも着信がありましたが5時半だったこともあり寝てしまいました。最後に追い詰めたのは私です。彼は本当にいい人なのでいつも感謝の気持ちを話し、LINEで届いた遺書も感謝、ずっと好きです。でした。彼のいないお盆は大変とのことで寺の手伝いにいきます、養女としてお父さんの寺を守りたい。とも思います。何かしたいけども相手の気持ちも考えず、今後も家に行くこと、連絡をとることはどうなのかと思います。そして私自身、9月の納骨までは目標を持っていますがそのあとは生きていく希望がありません。あちらの家と縁を切ることも辛いのです。心の中で南無阿弥陀物を唱え続ければ楽になるのか、苦しいことが苦しいと思わない智恵が沢山しりたいです。言葉とか

有り難し有り難し 12
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死恐怖症改善したい

初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。

有り難し有り難し 102
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不倫で相手のご家族を傷付けてしまいました

私はバツイチ子持ちです。元夫の女癖が悪く、離婚してしばらくしてからやっと決まった派遣先の会社で不倫をしてしまいました。その人は年上で子供がいる私をなにかと気にかけてくれる人でした。結婚しているのを知っていたし、何度か誘いも断っていました。そのうち奥さんがヒステリックで家に帰るのが辛いと相談を受けました、それで私はまんまと信用し子供の話をするうちに不倫関係になってしまいました。いけないこと、自分がされて嫌な事はしちゃいけないってわかってるのに誰かに頼りたくて1年ほど関係を続けてしまいました。その後奥さんにバレたと社内メールしてきました。今まで話してた内容は全部嘘で、本当は奥さんを愛してる申し訳ないけど金輪際関わらないで、やり直すからと一方的に言われてその後奥さんから内容証明が届きました。でも奥さんは慰謝料を請求しませんでした。だから、仕事をやめました。どう償っていいかわからなかったからです。それから半年後実家に手紙が届き、不倫が原因で病気になったと知りました。お金を振り込むように言われ、振り込みをしました。 全部自分が悪い、男に頼った私が全部悪いと分かっててもたまに思い出して情けなさと罪悪感で押し潰されそうになって私は二度と幸せになっちゃいけないんだなって思うと生きるのが辛いです。悪いことしたからもう笑っちゃだめですか?私も人生壊されないと償えないですか?

有り難し有り難し 35
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仏教の今後

仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?

有り難し有り難し 236
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殺生を避けられない業種について

お坊様へ 私は今、転職活動の最中にあります。 年齢的にも苦戦しております。 その中、たまたま講演会で 講師で食肉処理センターの社長の話を聞くことがありました。 興味があれば見学に来ませんか? というお話もございましたが諸事情でまだ連絡をしておりません。 パンフレットから企業研究をしておりますが「と畜」を行っているようです。 書いてある作業工程をインターネットで調べますと、一般的技術として行われる工程が殺生ですから私にとってはショックに感ずる可能性があります。 消費者として普段肉は食べております。 食卓に届くまでに欠かせない業種であると思います。 この会社に応募するかまだ分かりませんが、 お坊様から見て職務上避けられない殺生という事についてどのように考えたらよいかいくつか伺いたいと思います。 ・地元のお寺の行事ではお坊様が 「私の後に続いて唱えてください、では『不殺生』…」という形でお唱えしますが、これが守れないようになりますがどうしたらよいですか? ・この業種では100kg位の動物のと畜を専門にしており、 最初の工程では生きている状態の動物にかなり接近して処理を行うようですが、その動物にどのような態度で臨めばよいですか? (「感謝」はするべきだと思いますが、動物にとっては自分の生き死にですので、どこまで許してくれるかわかりません。 また、一日の処理頭数はかなりあるのが一般的なようなので、 「特別なお祈り動作」をしていると作業上事故の元になる恐れが考えられます。) ・ある程度頻繁にお祓いに行く、或いは毎日・毎週・毎月の単位で慰霊碑や近隣寺院にお参りに行くなどという事をするべきですか? (何らかのたたりなどへの心配) ・工場の衛生基準で持ち込めるか不明ですが、何かお守りを所持した方がよろしいですか? ・この仕事に従事することで、 将来例えば「お坊さんになることができなくなる」とか 「一定のお寺に参拝できなくなる」とか 何か仏教上のペナルティのような何かが発生することはありますか? とんでもない事を質問しているかもしれません。 ただ「TPPで日本の畜産がどうなるか」は他で調べられても、 こういうことはお坊様でないとお伺いできそうにありません。 大変恐れ入りますが、お坊様どうか何卒ご教示お願い申し上げます。

有り難し有り難し 211
回答数回答 7

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