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浄土真宗本願寺派の方(特に関東の方)

先日は、道を示して頂きまして有難うございました。 さて、今回は、この時期になるとフツフツと湧き上がるモヤモヤについてご教示願いたいと思い相談させて頂きます。 5年前に叔父(父の弟)が亡くなり父実家の宗派である浄土真宗本願寺派のお葬式をしたのですが、 叔父は此方の地元を離れ関東に住んでおりましたので、其方の浄土真宗本願寺派の導師様にお願いをしたのですが、お焼香の方が、まだ数十人単位 いらっしゃったのに『後は、ご自由に…。』と言って帰ってしまわれたのです。 お経も中途半端で、和讃を省いていました。 此方では正信偈の後に和讃が続くので、何だか いい加減な感じがしたのは否めません。 やはり、何より一番、モヤモヤするのは、お焼香の方が、いらっしゃるのに帰ってしまわれた事 その時は、恥ずかしいやら、情け無いやら、腹立たしいやらで、叔父を悼む気持ちも吹っ飛んでしまいました。 ですが、冷静になって考えてみると同じ宗派だからと言って地域が違えば作法も習慣も違う事もあるのでは?と思い相談させて頂きました。 関東の浄土真宗本願寺派の方、実際は、どうなんでしょうか? やはり、この導師様のように、お焼香の方がいらしても途中で帰るのが一般的なんでしょうか? それとも、この導師様が間違っていたのでしょうか? 叔父の命日が近付く、この頃になると毎年思い出して、モヤモヤします。 どうか、其方での正しい作法を教えて下さい。

有り難し有り難し 32
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どうしても過去の後悔から逃れられない

本当にお恥ずかしい限りです。8か月ほどまえに『あきらめるには』で質問させていただき、ありがたいご回答をいただいたものです。 過去は変えられないものであること、すぐにはあきらめることは難しいので仕事や趣味にうちこまれては…とお教えいただきました。 仕事も当時はパートでしたが、頑張りをみとめられ来月より正社員になることになりました。趣味は以前庭仕事と山登りがすきだったので時々それらをするようにしております。 しかしどうしてもどうしても過去にしてしまった失敗を忘れることが出来ません。事情により相手に謝ることもお詫びすることもできず、自責の念は時間を追うごとに膨れ上がるばかりです。毎日が苦しくてたまりません。家族にはできるだけ迷惑をかけないようにだけは心がけています。しかし自分を責める気持ちがつよすぎて1人のときは恐ろしい言葉で自分を責めたり、自分の体をたたいたり傷つけたりしてしまいます。(ちなみに心療内科にもかかりお薬もいただいています。先生はそのうちよくなるよ…とおっしゃいますが、もう1年たちます) 過去に過ちを犯した人はやはりこうやって一生苦しむべきなのですか?もしそれが罰というものならあきらめてこのまま生きていこうと思っています。できれば過去にしてしまったことから離れて楽になりたい…と願うのは罰当たりなことでしょうか。 このまま苦しむのが本当につらく自死さえ考えてしまいそうになりますが、20年前に弟を自死で亡くしており、自死が周りに与える苦についてもよくわかっているので、家族のことを考えるとそういう選択は絶対にありえません。しかし苦しいあまり時々誘惑に負けてしまいそうになります。 仏教の教えでは過去にした失敗はどのように償うものなのでしょうか。自責の念からは逃れることはできないのでしょうか。 もしできるならこの自責の念からすこしでも楽になる方法を教えていただけませんでしょうか。たよってばかりの弱い人間ですみません。

有り難し有り難し 26
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ダウン症の子を出産しましたが受容できない

お恥ずかしいながらも、正直な気持ちを書かせて頂きたいと思います。 約3ヶ月前に出産した息子(第2子)がダウン症でしたが、私はどうしても受け入れることができないのです。 出産直後、幸せな気持ちから一気に奈落の底へ落とされた感じで、妊娠前に戻りたい…その気持ちに囚われています。 障害を抱えた我が子との将来に悲観の気持ちしか持てません。 私たち夫婦は高齢で長女もいるので、長女の将来も不安です。 よく「今」をみて生きるように言われますがどうしても先々のことを考えてしまいます。 将来に向けての備えも必要になってくると思うので先々を見ないわけにもいかないと思うのですが… 不安ばかりが大きくて何を楽しみにこの先過ごしたらいいのかわかりません。 知的な部分での遅れはもちろん特徴的な見た目も辛いです。 外出先でジロジロ見られたりするんだろうか。 私は赤ちゃんの今でさえ息子を可愛いと思えないのです。 ダウン症のお子さんを持つ方にもいろいろお話を聞きましたが私にはどんな言葉も届きませんでした。 逆に成長したダウン症の子供たちを見て現実を目の当たりにしたように感じ辛くなりました。 そして、逃げの気持ちからですが養子縁組に辿り着きました。 NPO団体の方とやりとりして、最初から障害だとわかって受入れてくださる養親さんのご家庭があるならば、その方がこの子にとっても私にとってもいいのではないかと思えて仕方ないのです。 私も第三者の立場ならそんなこと考えられないと思います。でも、今当事者としてそんな綺麗事ではいられない気持ちです。 障害があったから受入れられないなんて非道なことだとわかっています 障害をもって産まれた子は産まれる前に自分で決めているということ、母親を選んで産まれてくることなど聞くので、運命なんだと思えたらいいのですが、どうしても無理なんです。 私が今まで何か悪いことをしたのか、何で私のところに産まれて来たのか…後悔はどんどん遡って、不妊治療してきたこと、長女の存在、結婚自体にまで全て後悔の気持ちでいっぱいになります。 親の自覚がないこと、甘ったれたことを言っているのはわかっていますが、どうすれば受け入れられるようになるでしょうか。 また、どうしても無理な場合、養子縁組はそんなに悪い事でしょうか。

有り難し有り難し 56
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