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検索結果: 27件

愛猫の死について

1か月前、12年二人で生活を共にした愛猫がリンパ腫による呼吸不全の為自宅の寝室で亡くなりました。 この日は朝から食欲もなく、水も飲まず、しんどそうで夜には呼吸が荒くなり朝に病院に連れて行こうと思いましたが、少しでも元気になるようにと思いビタミン剤とステロイド薬をポンプで飲ませました。飲み込むのもしんどく器官がキューと鳴り口から垂れ流しになった為、ポンプで水も飲ませましたが苦しそうに動かない体で逃げていきました。 少し落ち着いたので寝やすいように隣の部屋で一人寝させていたのですが、それから2時間後に気になり見に行くと立ったり座ったりして呼吸が荒くなり浅くなり苦しみだしました。約10分ぐらい苦しみ逝ってしまいました。 リンパ腫と判明して1か月後のことです。発見は早期でしたが癌細胞が強く気性も荒い子なので抗がん剤治療は辞めて毎日家でのステロイド注射と、容態が変わればすぐに通院し病気が判明して1か月間8回の通院をしました。抗がん剤治療は断念しましたがそれ以外のことは何でもしてやろうと思っていました。もう少し長く生きてくれると思ったのに、あの日が最後になるとは思いませんでした。 亡くなって2日後に火葬して骨は全部持ち帰り、顔入りのクリスタル位牌を作りテーブルを置いて遺骨と位牌を置いて毎日餌と水をあげ、四十九日まではと渦巻線香(部屋が狭いので線香は換気の良いと場所に置く)を焚いています。 亡くなったのも居ないのも理解していますが、心の奥でまだ納得できないのと寂しさと、助けれなかった後悔と、この子が生きた証が無くなるのが嫌でこの子が好きだったリビングの掃除ができません。亡くなってから毎日ピンセットとルーペ片手に1本1本猫の毛を集めています。トイレも片付けようとしたが、最後の日にしんどいのに頑張ってトイレに行った時の足跡が残っていて捨てれてないです。シートも最後のおしっこが捨てれないです。   写真もスマホの画像を少し現像しましたが1冊のアルバムを作ったのが今では5冊になりました。まだ増えそうです。 亡くなった時間には毎日30分ぐらい位牌の前で泣きながら話をして、週命日には亡くなった場所に移動して話をしています。 四十九日まではと思っていますが、エスカレートしてしまうかもしれません。こんなことして猫は迷惑でないでしょうか。成仏しにくくなりませんか?

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2021/05/11

愛猫を亡くしました

先日16歳の愛猫を亡くしました。 心臓と肺の病気で病院に連れて行った時には余命僅かな状態でした。 病院の先生のおすすめで酸素ハウスをレンタルし、自宅で看取ることにしました。 最後の4日間は呼吸が苦しく寝たきりで全く動けなくなり、ケージから出られず、排泄物で身体が汚れてしまいました。 猫が食欲無いのに無理矢理薬を飲ませてしまいました。 ベッドで腕枕をして寝るのが大好きな子だったのですごく辛かっただろうなと思い胸が苦しいです。 私が自宅で看取ると決めた事で、猫が余計に長く苦しんだのではないか、 猫の為を思うなら安楽死させてあげるべきだったのではないか、という考えが頭から離れません。 一度、あまりにも猫が苦しそうだったので安楽死の相談に行ったのですが、死なせる為に病院へ連れて行く事を想像したら急に怖くなり、辞めてしまいました。 また、苦しそうな猫を見ているのがとても辛くて、まだ生きている猫の前で何度も泣いてしまいました。 猫に「もう頑張らなくていいよ」「早く楽になりますように」とも言ってしまいました。 猫からしたら「早く死ねって事か?」と感じたかもしれません。 苦しくて辛いのは猫なのに、自分の不安が抑えられませんでした。 少しでも猫を安心させてあげられるような態度が取れませんでした。 猫は人の考えている事が分かる、と言う人もいます。 普段私が泣いていると寄り添って慰めてくれるような優しい子でした。 私が「いっそ早く楽になってほしい」と思った事が、最後の数日間で伝わってしまったかもしれません。 身体も動かせず日々呼吸が出来なくなる中で、絶望させてしまったのではないかと思うととても申し訳なくて悲しいです。 私の生きてきた人生の半分を一緒に過ごし、本当に大好きで大切な子だったのに、最後にひどい事をしてしまったのではないか、とても気がかりで心残りで申し訳ないです。

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愛猫の死との向き合い方

愛猫の最期について後悔に苛まれています。 私が大学生のときに拾った子猫で、拾った時点で感染性の血液の病気であることはわかっていたのですが(発病はしていない)大切に育てていました。しかし、私が転勤族な現夫と結婚することになり、猫は実家に預けたまま離れることとなりました。とても寂しがりで人にくっついて寝るのが大好きな子だったのですが、実家では病気を先住猫にうつさないように夜は1匹の部屋で過ごしていました。 それから10年近く実家で元気に過ごしていたのですが去年病気が発病し全身に癌が広がり先日、肺に水が溜まって亡くなりました。 亡くなる前日の夜は私が実家に泊まり夜通しそばにいてあげられたのですが、亡くなる日の晩は私も授乳中の子どもがいたため自分の家に帰っておりました。朝一で駆けつける予定だったのですが、早朝に猫の部屋を覗いた母から「ダメだった」との連絡が入りました。 実家に預けられてからも私に人一倍甘えてくれており私を本当の母のように求めてくれていた子だったのに、娘が生まれてからはあまりかまってあげることができず、最後の最期もひとりぼっちで死なせてしまいました。肺に水が溜まっていくのは水の中で溺れながらどうにか少し息をするような苦しみだそうです。数日かけてどんどん息ができなくなっていく恐怖に最期は独りでどんな思いだっただろうか、私がせめてそばにいてあげられたら少しは安心できたのではないか、最期に私に助けを求めていたのではないかと悔やんでも悔やみきれません。 普段は考えないようにしていますが、ふと彼女の苦しみや寂しさがフラッシュバックのように鮮明に頭の中を埋めつくし、吐き気をもよおすような悲しみが襲います。 「最後苦しむ姿をあなたに見せないようにしてくれたのかも」とも言われましたが、死の前日も彼女は別れ際私にすがるような目をしていましたし、大人になっても赤ちゃんのような甘えん坊だったので、それはないと思ってしまいます。 彼女は幸せだったかそうでないか、魂は苦しみから解き放たれただろうか、来世も苦しんでしまわないだろうか、そのような考えと後悔と愛おしさとがごちゃまぜで、どのように彼女の死と向き合い消化していけばよいかわかりません。 僧侶の皆様に道筋を少しでも教えていただけると幸いです。

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愛猫を不注意で亡くしました

長文ではありますがお読み頂き、何かしらのお言葉を頂けると有り難く思います。 今月、私の不注意で十一と半年一緒に過ごした愛猫を亡くしました。 あの子が寝転んでいる近くに物を落としてしまい、すぐ後ろに落ちたこともあってそれに驚いた愛猫は心臓発作を起こしました。 元々、心臓に欠陥がありあまり興奮させないように獣医師から指導されていたのに、私が驚かして殺したんです。 おもちゃで遊ぶのも少しだけ、ご飯だって結石が出来ないようにするために療法食フードで、たくさん我慢させての最期がです。 結婚して一ヶ月半ほどしてから飼い始めた子で、子どもがいない自分にとっては子どものようにも思っていた子へ自分がしたことが信じられず、後悔しましたし何より自分自身に怒りが込み上げてきてどうしようもありません。 動物霊園をされているお寺で葬儀をし、共同墓地ではあるものの納骨をしました。 あの子のために何かできるのは、もうそれぐらいしかないと思っていたからです。 私の不注意で殺したようなものなのに、生あるものの生き死にはどうしようもないことだからと夫は私を責めず、お寺へも運転していってくれ、当人も落ち込んでいるだろうに色々と慰めてもくれ、助かりました。 ですが、夫が言った一言が許せないんです。 火葬場で骨になった姿にショクを受けたというようなことを言った後に「肉の焼けた美味しそうな臭いがした」とも言ったんです。 私の中に今回のことで、それまであった申し訳なさや感謝の気持ちが怒りに変わりました。 あの子の生前には、私自身が冗談で食べちゃいたいくらい可愛いと言ったこともありますが、思ったとしても言うようなことではないだろうと。 でも、今回のことは私自身によって起きたことです。怒る資格なんて私にはないのだとも思います。 あの子へ自分のしたことが許せず、夫の一言が引っ掛かり、心の整理をつけられそうになく、十二月から始める予定の本格的な不妊治療も不安ばかりしか感じられず、延期をお願いしようと考えていますがそれ以外は何も考えていません。 心の整理には時間が必要だとは知ってはいますが、あまりにも今は感情が混乱しすぎて、心の整理かつくまで夫へどう接すれば良いのかわかりません。

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2021/12/24

愛猫の死から逃げたため後悔で苦しいです。

数ヶ月前から異変に気づいていたのに、病気が発覚する怖さに囚われて病院に行きませんでした。 3ヶ月前病院に連れていき、もう長くないだろうと。それでも、死んでしまうなんて思っていませんでした。 ほんとに、もっともっと生きると思ってました。 シリンジでお水を飲むのが好きな子でしたがまんどくさがってあんまりシリンジから水をあげませんでした。 寝ているときお腹に乗ってきたり、スマホを触っていると構ってほしいとやってきて、でも鬱陶しいとあまり構ってあげませんでした。 もともと人好きな子で、慣れてしまっていました。仲もよく、あの子も愛情を分かってくれていたと思いますが、なぜもっと構ってやれなかったのか悔やんでいます。 最期の数週間、具合が悪いのに気づいていましたが、死を受け入れられずに現実逃避していました。 甘えてきても、いつも通り、そんなに特別構うわけでもなく、スマホを触ったり絵を描いてばかりでした。 死ぬことなんて認められなかったんです。まだまだ生きる、わざわざ撫でたりかまったりなんてしない、そしたらこの子が死ぬことを容認して諦めてしまうような気がしていました。そんな感情が、死と向き合うことが、正直とっても面倒くさく避けたかったです。 ほんとに、見てみぬふりをしていました。 なくなる2日前頃から死に直面しだして、必死に撫でたりしました。 反応は芳しくなかったですが、それでも力を振り絞って私のいるベットに来たりしてくれました。 でも、最後の最後まで死に向き合えなかった私は、また現実逃避して、絵をずっと描いていました。まだ、生きると、あと一日は生きる、だから、もう少し目を逸らして、いよいよ最後になったら撫でてそばにいて見送ろうと思ってたんです。 そしたら、絵を描いている間に、静かに一人で死んでしまいました。とても安らかに。 生きているうちに、あの子と一緒にいるチャンスを、現実から目をそらしたせいで失いました。 目を逸らしていたときは楽でした。でも、あの子が死んでしまってから、死ぬほど辛いです。 なんであの時、向き合えなかったんだろう。 後悔ばかりです。なぜ私は、いつも現実から逃げてしまうのか。自分が憎くて仕方がありません。 辛いです、だめな自分に、勝手ですが、少しでも楽になる言葉を頂けませんか。 あの子は私を恨んでなんかないとしっています。

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愛猫に苦しい最期を迎えさせてしまいました

懺悔もかねて相談させてください。よろしくお願いします。 昨日、愛猫を看取りました。まだ7歳の若い子ですが、末期がんで治療ができず、緩和ケアの末に自宅で亡くなりました。 子猫の時からいろんな病気と闘ってきた子で、短い人生の中で何度も入院し、注射や点滴は数え切れないほど経験してきました。 亡くなる前、獣医さんからは安楽死を数回提案されましたが、 「短い一生だけど、1日でも長く生きてほしい」 「最期までがんばって生きようとしてるこの子の気持ちを尊重したい」 「天命を全うして自然なタイミングで旅立ってほしい」 「注射が大嫌いな子だから、せめて最期は注射で終わらせたくない」 そんな思いから、安楽死を選びませんでした。 でも、実際は「この子の人生を自分の選択で終わらせる大きな責任から逃れたい、安楽死を選んだことを後悔して引きずるのがこわい」というずるい本音もありました。 しかしその結果、あの子は苦しい最期を迎えることになってしまいました。亡くなる前の1日はずっと呼吸が辛そうで、発作→少し落ち着く→発作を繰り返し、最後はこれまでに聞いたことがないような声で何度も叫んで、のた打ち回って亡くなりました。最後の最後まで必死に生きようと闘ってもがいて、まさに命のエネルギーをすべて燃やし尽くして息を引き取りました。 今にして思えば、人生で何度も病気で辛い思いをしてきた子だから、最期くらい苦しませず安らかに終わらせてあげればよかった。そうしたらあんなにこわくて辛くて、自分の身に何が起こっているかわからない混乱のまま逝かせることにはならなかった。 ですが、私のずるい責任逃れで安楽死を選んであげなかったことを謝りたくても後悔したくても、それはそれで必死に闘ったあの子の最期を否定してしまうような気がして、気持ちの持って行き場がわかりません。 私はどうしたらいいのでしょうか?また、命のすべてを燃やし尽くして苦しい亡くなり方をしても、あの子の魂はきちんと成仏して天国で安らかに楽しく過ごせているでしょうか? あわせて、私たちは海外に住んでおり、お仏壇を用意できません。遺灰と遺影に手を合わせてごはんとお水を供えていますが、あの子が天国で楽しく過ごせるように何かしてあげられることはありますか? 長くなってしまい申し訳ありません。ご回答いただけましたらうれしいです。何卒よろしくお願いします。

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病気が怖くて死にたくなります。

言ってることがめちゃくちゃで まとまりがなかったらごめんなさい。 5年前に愛猫を亡くしてから 死の恐怖と病気の恐怖に襲われました。 最近は、逆に恐怖に疲れて 自ら死にたくなる時があります。 涙も自然に出てきて自分が無意識に どうなるか分からなくて 遺書まで書きました。 腕を切ったらどうなるんだろう、 この川に身を投げたらどうなるんだろうと 考えることが最近は増えました。 人前で字を書くのにも手が震えたり テンパってしまい意味のわからない 発言をしてしまったり。 周りから悪口を 言われてるような感覚にもなります。 体の不調も出てきました。 胃痛や胸焼け、体の痛み 何か大病だと思い込みが止まりません。 家族には軽く自分の悩みを相談してますが 「そんな生き方してて人生損しない?」 「あんたは大丈夫」 「この約立たず」 もう、余計に死にたくなります。 それでも頑張って生きると言うと 姉に否定されます。 「頑張って生きる必要ないでしょ」と.. じゃあ、どうしたらいいのか... 幼少期から布団に入るとすぐに 体が動かなくなっているはずのない 友人が現れたり、誰かが後ろで 話していたり...意識はちゃんとあるのに 幻覚幻聴のようなものにも悩んでいます。 精神科のほうに予約の電話をしても 自分が悩んでいる症状を話すと 面倒なのか断られてしまい、母には 「くだらない恥ずかしい」と言われ 誰に相談したらいいかも分からず 相談させていただきました。

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子猫を救えなかった後悔が消えません

一昨年の夏の終わり頃の話です。 朝、私の家の庭で鼻水と目やにで顔をぐちゃぐちゃにしながらずっと鳴いている子猫がいることに気がつきました。 恐らく生後一ヶ月ぐらいの猫で、満足に走ったりすることのできるほど元気な猫ではありませんでした。 夕方になっても同じ場所で鳴いていたので恐らくもう親猫は来ないだろうと思ったのですが、小さな可能性にかけて子猫をそのままにしてしまいました。 顔が汚れていたという単純なことで家に入れる気にならなかったのだと心の中ではわかっていました。 次の日、前日より少し声は小さいながらも、ほとんど前日にいた位置と変わらぬ位置でまだ鳴き続けていました。 流石にいたたまれなくなり動物病院に連れて行ったところ、難しいがもしかしたら可能性はあると先生がおっしゃってくれたので家に入れて看病しました。 しかし、残念ながらその次の日に子猫は天に召されました。 私の親は「もし最初の日に看病していたとしても助からなかった」と気を遣って慰めてくれましたが、生死とは別に子猫を助けた方が良いとわかっていたのにすぐに行動に移さなかった私の愚かさ、そしてその理由が腹立たしいのです。 私はアトピー性皮膚炎で自殺を考えるほど苦しんだ経験があります。 理解のない人からは気持ち悪いとか汚いなどと言われがちな病気です。 そんな病気で苦しんだ私が汚いからという理由で子猫をすぐに助けなかったことになおさら罪の意識を感じ、今でも思い出すと胸が痛くなります。 二度と同じ過ちを繰り返さないことは大前提として、この罪の意識で私は一生苦しみ続けるべきでしょうか。 それとも過ぎたことはしょうがないと前向きに考えるべきなのでしょうか。 よろしくお願いします。

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最愛のペットを亡くし後悔、懺悔

こんばんは。はじめまして。 今年の1月15日に大切な我が子を亡くしました。 あの子は私にとって大切な大切な家族でした。 なのに、あの子が生きている時はあの子が今生きていること、朝はおはよう、 夜はおやすみを言える事が当たり前になってしまい、あの子の気持ちを考えることもほとんど無く、何事も自分優先、あの子たちの事は後回しになってしまっていました。 就職で実家を離れてから一人暮らしになり、仕事から帰ってきたらすぐに出かけ、夜遅くになる事も何度もありました。 去年の11月頃から体調を崩し、良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。 体調が悪くなったら懸命に看護し、悪い間は生きた心地がしないほど心配で心配でたまりませんでした。 なので前日体調が悪そうな様子に気付いた時も、また良くなってくれると心から願っていましたし信じていましたが、それは叶わず翌日の18時58分頃息を引き取りました。 あの子が亡くなってなぜ病院に連れて行かなかったのか、なぜ今までこれで大丈夫だったから今回も大丈夫なんて思ってしまったのか、それ以前になぜ正しい知識をもっと学ぼうとしなかったのか、自分で自分が憎くてたまりません 私の保温不足が原因でした。 14日の昼、お昼休みに家に帰ったとき、元気そうで室温も高かったので、寒暖差がいけないと思いケージ内のヒーターを消して仕事に戻りました。 その後仕事から帰宅し、ただいまーと挨拶し、あの子が元気そうなのをチラッと確認しただけで、自分はお腹が空いたからとお菓子を食べたり祖母に電話をしたりして、あの子がまた体調悪そうにしている事に気づいたのが2時間後くらいでした。 あの子は寒さに耐えながら必死に生きてくれていましたが限界だったのだと思います。 どうしようもない後悔、毎日毎日後悔しています。 私が殺してしまったも同然。私が殺してしまったんです。 なぜ罪のないあの子が死に、大罪をおかした私が今この世に生きているのか、あの子は懸命に生きようとしてくれたのに。 明日で49日を迎えますが、後悔と懺悔、自責の念でいっぱいです。 死んであの子の元にいき、心から謝りたいです。 私にこの世で生きていく資格はないと思いますが 支えてくれている家族や今生きているペット達の為にもこの世で償いながら生きて行かなければならないという事もわかっています。 ですがどう償えばいいのか分かりません。

有り難し有り難し 33
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後悔、亡くなった彼の無念さで心が雁字搦めです。

よろしくお願いします。 2年半同棲していた婚約者が今月に入り入院。2週間で急変し亡くなりました。彼は外国人であり,空手の師範を取得修行の為に日本に来ており日本に身内もなく、本国の母親もそちらで埋葬してくれと頼まれ荼毘に付しました。 病気がわかったその瞬間から、最後まで看取りました。最後,私の名を呼び “愛している。何が起こっても君のせいでは、ない。道場の仲間には、ありがとうと。そして道場の先生には,成し遂げる事が出来なくて申し訳ない、私を道場に向かいいれてくれてありがとう。愛猫の名を呼び、お母さんと言い…また私へ愛していると述べ、病気と闘ってくるから。”と述べ、 更にあれ、ここは元の病院だ、新しい病院じゃないよ、なぜ?と私に問い、私は嘘をつき、今は苦しさをとるだけ。そして新しい病院へ運ぶからね、と伝えて病院のスタッフが私を止めるまで手を握りしめていました。。 最後の日は1日でいいから普通の日を過ごし母親に説明をしたいという希望でした。主治医も付き添いながら帰宅し、私も考えが甘かったのでしょう。最初は、”太陽だよ。やっと家に帰れたね、お腹空いたよ、”などと言っておりましたが、2.3時間で急変。あの苦しい表情が忘れられません。意識は一度戻り、先程のべた言葉を言って息をひきとりました。。 彼の道半ばでの無念さ、死への恐怖や悔しさ。また,私は何故あの時強く自宅へ帰る事を強く止めず転院までの話を一緒にしてしまったのかという最大の後悔と、もちろん大切な人でありましたが彼を本当に愛していたのかと悩む瞬間もありながらの同棲生活。彼がどれだけ私を愛していたのかを最後の瞬間にまで伝えられ,深い愛情に悔いの涙しかありません。 今後,49日を過ぎた時の御遺骨を本当に私が預かっていいのか,やはり本国へ送り帰した方がよいのかと、現実問題としても悩みがつきません。彼の母親は精神が不安定な為,日本で埋葬していいと言ってはおりましたが確かかはっきり分からない状態です。 彼の無念さ、大切な人を失った哀しみと後悔の念、この先どうしたらよいのか、とこの気持ちに雁字搦めであります。。お言葉を頂ければ幸いです。1日、1日を生きていくという事は分かっておりますが、雁字搦めの心に、、とても生きていく事に疲れており、苦しいです。

有り難し有り難し 9
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2022/11/23

最愛の猫を亡くしました。

機能不全家族の中で育ち、母の自死をきっかけに十代から一人暮らしをしています。 突然、母を失い、悲しみや喪失感を感じる間もなく生きる私の心の支えとなってくれたのが愛猫でした。 とても甘えん坊で居場所はいつも私のお腹や膝の上。抱っこが大好きで、目に入れても痛くない愛しい子でした。 そんな愛猫も十三歳になり、病気を患いながらもこの数か月は毎週の通院と投薬、点滴でなんとか命を繋いでいました。 お腹が床につきそうなほどふっくらしていた姿がいつのまにか2kgにも満たないやせ細った姿になり、この子はもう長くないかもしれないと思ったその矢先のことでした。 吐き気のせいでごはんが食べられず、水も飲めず、寝たきりになった愛猫を病院に連れていこうと予約をいれた直後に、荒い呼吸が始まり、それが落ち着いたかと思えば、すーっと眠るように息を引き取りました。すぐそばにいたのに一瞬気づかなかったほど、静かな最期だったと思います。 その日から、一日中泣き暮らしています。 後悔や反省も尽きません。私の努力が、配慮が足りなかったせいであの子を失ってしまったと、もっと早く病院に行っておけば、もっと早く異変に気づいていたら、と考えては苦しくなり、自分は飼い主失格だと申し訳なくなります。 あの子が病気で苦しかった日々から解放されて良かったと前向きに捉えようと試みてはいるのですが、どうしても、ずっとそばにいてほしかった、もっと一緒に生きたかったと涙が溢れてしまいます。 これまで何度も希死念慮が襲ってきた私の人生ですが、この子がいるから生きないとダメだといつも引き止めてくれた存在です。 家族もなく、頼れる人もいない私にとって最も大切でかけがえのない存在でした。 間違いなく、私が今世を生きる理由でした。 そんな子がいなくなった今、どうやって生きていけばいいのか分からなくなっています。 どうかもう一度、同じ姿で私の目の前に現れてほしいと願ってしまいます。 そこでお聞きしたいです。 死後の世界はどうなっていますか。 愛猫は本当に苦しみから解放されたのでしょうか。 不自由のない健康な体で天国にいますか。 また、私は愛猫の死をどのように捉えたら悲しみから解放されますか。 輪廻転生を信じて、いつか愛猫が姿を変えてでも帰ってきてくれると信じていいですか。 この先私は何を希望に生きていけばいいでしょうか。

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2022/06/09

大切な存在を失い、生きる糧をなくした

大切な存在とは、約13年間ともに生きてきた猫です。 たくさんペット関連の相談がありますが、愛猫が亡くなってから約一週間かけほぼ全ての投稿を読み、お坊さん方のご回答も閲覧した上で、意を決し投稿させていただきます。 愛猫が亡くなってからと書きましたが、未だに受け入れられず、そばにいてくれていた頃と同じように一緒に寝、遺骨を片時も離せず、一日なにもできないで空虚な時間を過ごし、主人に全てを任せ、ろくに食事も摂らず、心が堕ちていく日々です。 約13年前、保護された姉妹猫の片ほうだった愛猫を里親さんから譲り受け、それ以後、度重なる転居やモラハラだった元夫との荒んだ生活、離婚前後の不安定な私をずっとずっと支えてくれました。 猫は環境に住まうというのに、何度お部屋が変わっても同居する人間が変わっても、私を信用し、頼り、すぐに新しい環境に適応してくれる、本当に賢く優しい猫でした。 今年の二月に悪性腫瘍がみつかり、手術をしました。 もう遅いのに、亡くなってからも毎日病気や治療のことを調べ、手術が実はよくなかったこと、別な治療法を選択すべきだったこと、セカンドオピニオンや転院も考えるべきだったことがみえてきました。 先月再発が発覚し、今月3日に二回目の手術をしましたが、この手術後の麻酔から覚めず、亡くなりました。 病院から連絡を受けた時は頭が真っ白で、急いで駆けつけ手術台に目を見開いて横たわっている姿をみても、その現実が信じられませんでした。先生は心臓マッサージを、私は手を握り泣きながら名前をよび続け戻ってきてと懇願しましたが、だめでした。 あの時の光景、術中もそばにいてやれなかったこと、これまでの治療や病院へ連れて行くタイミング、病院の選択、若い頃与えていた安価なご飯…これまでの猫との人生で考えうる私の失態、誤った判断が次々と思い浮かび、後悔といった簡単な二文字では処理しきれない大きな喪失感と、謝っても謝りきれない謝罪の念に襲われています。 夫には「◯(猫)が私の一番大切なもので、◯(夫)は永遠に二位だからね」と冗談混りに伝えていましたが、それが冗談ではなかったことを夫は知っていて、それでも俺は永遠に二位でいいと言ってくれるほど、私と猫の関係は唯一無二で、誰も割って入ることのできないものでした。 そんな存在を失い、この先どう生きていけばいいかわかりません。

有り難し有り難し 15
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因果応報が辛い

先月からお世話になっております。 きなこです。 先程ペットの愛猫が亡くなりました。まだ1歳でした。死因は貧血です。 実は同じ症状で7月から10匹亡くなっています。 私の家は多頭飼いですが、感染症とは違うみたいで原因はわからないそうです。 経済的にも余裕は無いのですが何匹か輸血もしましたが、皆亡くなりました。 病院の先生から経済的にも負担になるので、家で看取ればどうですか?と言われていたのに、もしかしたらと思い輸血して1匹で死なせてしまって後悔。 なので、全く同じ症状なので今回は家で看取りましたが、もっと経済的余裕があればとか、この子は輸血したら助かったかもとか、また後悔です。 後悔ばかりしてる私に、動物病院の患者さんが、もっと苦しむ事を言ってきました。 それは「猫は死ぬとき飼い主の不幸をしょえるだけ背負って逝く。人間の不幸は大きく重いので、足元がヨロヨロしながら進む。飼い主が悲しむと前に進めず立ち往生。」(まだ続きがあります。その方もネット上で見たそうです。 内容はあってますが、元のとは言葉が違うかもしれないです) 私は仏教徒です。何か文献で見ましたが仏教では、自分の不幸(悪いこと)は自分の行いが還ってきてる(因果応報)と書かれてました。 私の不幸(良くない事)は自分自身が引き起こしたのに、それを猫達が小さな肩に乗せて旅立つのは申し訳なさすぎです。 実際はどうかわかりません。そんな事無い!と言われるかもですが、猫達が何匹も亡くなって精神的に苦しい人には心に突き刺さる話でした。 私は愛猫達には幸せだけをもって旅立ってほしいです。 私に因果応報で還ってきた不幸の身代わりになってほしくないです。 病気の原因もわからないし、もしかしたら愛猫が3日に渡って1匹づつ亡くなった事や1ヶ月ちょっとで10匹亡くなった事が、私への因果応報ではないかと考え、ダメすぎる自分自身が嫌になります。 生きる必要ある?と最近よく思います。 読みづらく、乱雑な文面で申し訳ございません。

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病死した猫に会いたいです。

先月12月14日に愛猫10歳を亡くしました。イヤイヤ期の子育てに翻弄され常にイライラしていた私は愛猫の体調不良に気づいてやれず、優しくしてやれませんでした。実家の倉庫で野良だった母猫から産まれ、6匹兄弟の中で一番身体が大きく、強く、甘えん坊の女のコでした。すこし鼻呼吸に問題がありましたが、強い身体の持ち主で筋肉も凄くて大食いでした。東京から福岡までの引越しドライブもへっちゃらでした。なので私は完全に彼女に甘えていました。11月から異常に吐くようになり病院に連れて行きましたが遅かったのでしょう。3度病院に行き、やはり精密検査しないと解らないと医師に言われ、検査しましたが結果何の病気か解らないと言われました。その後、検査から三日目の朝9時に逝ってしまいました。血の混じった嘔吐物を吐いていたのに、死んでほしくなくて、食べたくない食事を無理矢理させて、薬を飲ませて、熱もありお腹もとても痛かったろうと思います。火葬後、お腹の辺りが血で赤黒かったそうです。死ぬ寸前の私の腕の中で見た濁った瞳が忘れられません。長く寂しい思いをさせました。あんなに甘えてきてたのに、子育てばかりで構ってやらず、邪魔にしてしまいました。後悔ばかりで謝りたくて毎日泣いています。お供えも毎日して名前も呼んでいます。一緒に連れてきた姉妹猫も朝方まで夜鳴きをし、骨壷にすり寄っています。叶うならもう一度、彼女に全てを謝って一緒に暮らし直したいです。生まれ変わって帰ってきてほしいと一方的に身勝手に思っています。花や水、大好きだった餌を供えても気分は落ち込むばかりです。たくさん撫でてやれば良かったと今更後悔しています。姿の見えない毎日に気が沈みます。 1月2日に夢を見ました。彼女は実家の風呂場に嬉しそうに現れました。実家には母猫が居り元気にしています。49日までは母猫の側に居るのでしょうか...。私のような飼い主のところへは二度と来てくれないのでないか、そんな気がしてならないです。

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「死にたい」という言葉に囚われています

本当に死にたいわけではないのに、何に対しても「死にたい」って思ってしまいます。 例えば後悔した記憶や恥ずかしかった記憶を思い返しては「なんであんなことをしたんだろう死にたい、死ねばいいのに」って考えてしまったり、楽しい事があっても「私なんかが楽しんでいるなんて許されないから死にたい」と、そういう風に考えたり口に出す癖みたいなものが昔からあるのですがここ数年それがとても酷くなってきて、どうしたらいいのかわからずにいます。 酷くなった引き金は、生きがいだった愛猫が病気で亡くなってしまい、再就職に失敗したからです。現状実家暮らしのフリーターな事もあり自分への失望感や負い目が酷く他人との関わりも極力避けるようになりました。 自分が落ち込んだり悲しんでいると心配してくれる家族がいます。楽しいと感じることも嬉しいと感じることもこれからやりたいこともあったと思います。 でもすべてが「死にたい」という言葉に直結してしまって、酷い息苦しさと八方ふさがりのような、生きにくさみたいなものに囚われています。死以外に道はないぞと自分自身で言いきかせているようで怖いです。 どうしたらこのような気持ちに囚われず前向きに生きていけるのでしょうか。ご意見聞かせて頂けたら幸いです。

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