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検索結果: 137件

かけがえのない母の死、「死」について

長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。  やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。  父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。  毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。  そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。  母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。  私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。    そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。  生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。  自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。  父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。  今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。

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自死とは

自殺がいけないの分かっています。家族の心を殺してしまう程に悲しませてしまいます。仕事でも私が居なくなってしまうと物理的に経営していくことは無理な状態になってしまいます。 何も良いことはありません。 自死遺族の方のブログなどを読んでいると、何故大切な人を残し逝ってしまうのか涙が出てきます。自殺とは怖いものです。 それを分かっているのに、私は今消えてしまいたい衝動に刈られることが度々あります。 体と精神的な状態をネットで調べる限り、私は鬱病なんでしょう。 個人輸入で薬を買って色々な症状は改善してはいます。 私は父母の経営する小さな会社で働いています。数人の社員とアルバイト色々見てきましたが、その中に鬱病経験の人を数人見てきました。言葉は悪いですが使い物になりません。 私の父母もノイローゼな人は困るねという考え方で私もその様に思います。 もし私が本当に鬱病で何も出来ない状態になってしまったとしたら、最早死んでしまっていると同じなのではないでしょうか? 何も出来ない状態では家族、仕事に迷惑なだけです。 それでは死んでしまっても同じことなのではないのかと思うことがあります。 決して自分から死にたいと思っている訳ではありません。しかし、自分自身の必要性がなくなった場合は生きていく意味とは何なんでしょうか?

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死が怖いです。

死への恐怖について。 こんにちわ現在中学3年生の男子です。 まだまだ人生経験が浅いのに対してこんな事を言うのもあれなんですが、、、 いずれ自分にも必ず訪れる「死」がとても怖いのです。 この恐怖については色々なタイプな恐怖があるそうですが、自分の場合は「自我の喪失」など「永遠の無」への恐怖です。 まだまだ何も分からないのですが本来仏教では浄土も輪廻も釈迦は無記と称していると耳にしたことがあります。 とは言ってもまだ何の証明もされていないので死後がある可能性も0%ではないと思います。 まだこのように思い今後の人生を生きていけたら良いのですが、 「何時か科学で死後は永遠の無だと証明されてしまったらどうしよう。もしそうなってしまったのなら僕はもう生きていけない。」 と思うことがあります。 この原因は自分自身にあります。 死が怖いと言って、心の中だけで留めておいたら良かったもののネットで色々(科学や哲学など)調べてしまったりしたので、余計こういった恐怖が煽られてしまったのかもしれません。 つまり簡潔にまとめると ・永遠の無、自我の消失への恐怖 ・いつか科学などで死後が永遠の無だと証明されてしまうかもしれない恐怖 ・生きる意味がみつからない です。 長い文章になってしまって大変申し訳ございません。 そして質問はどうしたらこの恐怖を取り除くことができますか?です。 ご回答よろしくお願い致します。

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2021/12/02

祖父の死と身近な人の死への恐怖

こんばんは、夜分遅くに失礼します。 27歳女、一人っ子として生まれました。 父母ともに初孫で躾は厳しかったですが私立中高一貫校へ行かせてくれたりとかなり愛されて育ったように思います。 現在は医療従事者として病院に勤務しており、そのため疾病や病態の知識は一通りあり、また死やそれに関するご家族の反応などにもとても身近な毎日を送っております。   本題になりますが、祖父の死をきっかけに身近な人の死が恐ろしくてたまりません。 数年前に最愛の祖父を亡くしました。 遠方に住んでいた祖父、私は当時専門学校に在学中でしたが、中高の不登校が再発、単位をかなり落としておりこれ以上はほぼ休めない、というタイミングで祖父の急性増悪を知りました。間質性肺炎と言い、不可逆性で致死率の高い持病が元々あったこともその時に知りました。今ならその事がわかるので、学校側に何と言ってでも祖父の最後に立ち会いに行っていたと思います。   ですが当時の私はとにかく卒業しなければとの一心で、この土日になったら会いに行こう、と少し予定を先延ばしにしてしまい、祖父の死に目に立ち会えませんでした。もともと厳しい祖父、高校生から少し苦手意識が芽生えてしまいあまり会いに行けていませんでした。 亡くなる前日に先に見舞いに向かっていた母の携帯を通じてテレビ電話をほんの一瞬 おじいちゃん大好きだよ、早く良くなってね、と伝えたのが最後になってしまいました。 なぜ無理を言ってでも会いに行かなかったのか、ずっと頭にこびりついて離れません。祖父には私の言葉は聞こえていたでしょうか。   この日から大好きな両親の死、遺された祖母の死が恐ろしくてたまりません。毎日夜泣いてしまいます。 いずれ必ず絶対に訪れる事ですが、特に両親がいなくなった世界で生きていくビジョンが見えません。 両親ともにもう60歳前後、特に父は糖尿病も患っており、あと二十数年ほど生きられれば良い方である、と自分で認識できてしまうのが本当に辛いです。 仕事中に何かあったら、また死に目に会えなかったらどうするのか、、   27歳にもなってこのようなことで泣く自分が情けないです。まだ恩返しもできていないのに、時間が足りると到底思えないです。 どのように考えれば心の整理がつくでしょうか。 どう過ごせばその時を後悔なく迎える事ができるでしょうか。よろしくお願い致します。

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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

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父の死

3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。 私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。 今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。 自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。 今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。

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母の死

母が12月末の木曜日に亡くなりました。前日まで元気に過ごしていたのに信じられません。元気な母にはいつでも会えると思っていました。その週の月曜日の私のお休みに母に電話をするとこれから皮膚科にいくとのこと(遠いところに通っていたため、皮膚科に行く日は往復2、3、時間かかります)、私はだれかと話をしたかったので友達と約束をしてしまいました。母が皮膚科から戻って電話をくれたときには友達と会っていて、「ごめんね、友達と会っているんだ」と話して電話をきってしまいました。元気な母なので、またすぐに会える、冬休みも始まるし子供たちと会いに行けるという気持ちからそのまま電話をすることもなく、その電話が最後になってしまいました。どうして友達と約束をしてしまったのか、少なくとも夕方に母と「さっきはごめんね。友達と約束しちゃて」と話せたのではないかと後悔でいっぱいです。 母が皮膚科に通っていた理由は、2018年の夏くらいから徐々に髪の毛が抜けだし、去年の春くらいにはすっかり髪の毛がなくなってしまいました。病院で検査を受けても異常はなく、本人はいろいろな心配事があるのでストレスではないかといっていたので、いつも元気に動いていたので私も病気ではないと思っていたのです。本当はもっと母と一緒に大きな病院で検査を受ければよかったのではないかと後悔ばかりです。家で倒れてなくなったので、母が亡くなった原因がわからずとてもつらいです。 結婚してから子供ができてからは孫たちの面倒、たくさんの事をしてもらい、これから私が親孝行をしてあげたいと気持ちでは思っていましたが、何もできずにお別れになってしまいました。明るく元気で、小さなことにも感謝の気持ちでいられる母にもう一度会いたいです。、突然になくなった母、気持ちの整理ができません。今から私にできることは母のように誰にでも優しく感謝の気持ちを忘れないこと。子供たちを立派に育てること。私にできることがあれば教えてください。どうかよろしくお願いいたします。

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伯父の事故死

初めて質問させて頂きます。宜しくお願いします。 先日、大好きだった母方の伯父が事故の為亡くなりました。 私は、早くに父を亡くしていて、父のように私達兄弟を可愛がり、私に子供が産まれてからも、本当の孫のように喜び可愛がってくれました。 そんな伯父が突然、仕事中の事故で亡くなりました。あまりにも突然で、また納棺師の方々のお陰でとても綺麗にして頂いたのですが、叔母も憔悴しきるほどの酷い状態だったようです。 また今も捜査中ではありますが、怪しい部分も多いにも関わらず、事故の責任を全て伯父のせいにされそうになっています。 伯父伯母は長男ではありませんでしたが、長男に代わり父母(私からしたら祖父母)の介護が必要な中、ずっとお世話をしてきて、祖父母が亡くなった後も、それはそれは供養も本当にかかすことなく誰よりも祖父母の供養もきちんとされていました。 そんな伯父のこのような死に、私自身悔しくて仕方ありません。 確かに、口が悪く破天荒な部分もありましたが、誰よりも情が深く人情味がある伯父でした。 母も突然このような事になってしまい元気がありません。 伯父は何故このような死を遂げなければいけなかったのでしょうか? 悔しくて悔しくてたまりません。 また、憔悴している伯母や母をどうしたら元気にしてあげられるでしょうか? 宜しくお願いします。

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母親の死について

昨年末に母親が亡くなりました。最初、父親から連絡がありまず噓だと叫び号泣しました。兎に角信じられず現在も受け入れられず何処かで生きてるんじゃないかと思ってます。正直自分も母親の後を追うと真剣に考えましたけど、何とか踏み止まりました。それからは虚脱感、脱力感、後悔の念ばかりです。母は兎に角昔から頑張り屋で自分が物心付いた時には病室に居た記憶が多いです。癌も患い子宮癌に甲状腺癌と最後は腎臓の透析をしてまして、夜中に大動脈解離で手術は無理という事で亡くなりました。自分と両親は離れて住んでまして私は長野、両親は千葉でして元々母は長野の出身で2年程前には両親は長野に住んでたのですが事情があり弟夫婦と住む事になりました。事情と言うのは、私は長男ですが昔からだらしなく弟の方がしっかり者で兄貴にはこれからの両親面倒は無理と判断したのでしょう、自分が引き取ると言う形になりました。本当に恥ずかしく、情けなく思います。話が逸れましたが私は母ととても仲が良くて買い物や色々と良く出掛けました。他人から見たらマザコンです。兎に角、父も母も弟も皆負けず嫌いで頑張り屋で努力家で自分は皆と正反対の性格で一言で駄目人間です。でもそんな自分にいつも皆は優しく特に両親には一生頭が上がらないです。だからこれから頑張って親孝行したかった。。特に母にはしたかったです。。その矢先に母が亡くなり自分を恨みました。生きてる時に何で何でと思いましたが、親孝行したい時親はなしと言いますが本当にその通りです。今は無念で何かあれば何処でも涙が出て辛いです。今も母の思い出の中で生きてる感じです。人間はいつかは旅立ちますのはわかってますがあの頑張り屋の母がと思うと寂しい悲しい空しい悔しいです。母ではなく自分が代わりにと思いました。後から家族から聞いた話で亡くなる前は私の名前を何度も連呼してたと聞き心が痛くなりました。結局離れて暮らしてからは電話では話たけど合いには一度も行かなかったです。母は痛いし辛かったのを我慢して頑張ってました。本当に辛いです。死にたいと思いますが正直怖いです。私はこれからずっと母の思い出の中で生きてくのでしょうか?どうぞ何卒下らな事ですがご回答の程宜しくお願い致します。

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孤独死を避けたい

こんばんは。 もともと仏教に興味があることもあって、死期を悟った時は安らかに終末を迎えたいと思っています。 病気、貧困、痴呆などで孤独死することもあると思いますが、それも受け入れたいと思います。 ですが、その後、腐敗したまま発見されないのではないか?と想像すると怖くてなりません。孤独死した身内を発見して、凄惨な現場を見たトラウマがあります。自分が、夫が、親が、またあの状態になるのではないかと、毎日考えてしまいます。不安がわいたきっかけはコロナウィルスです。高齢の親が遠方にいて、夫とは仕事の関係で離れることがあります。安否確認はとっていますが、間に合わないこともあると思います。また、夫婦もどちらか先に逝くので、遺された方は一人暮らしになります。子供はいません。家庭の事情と仕事の関係で地域との繋がりも薄いです。 例えば、終末期の老人であれば、看取り介護や見守りサービスが受けられます。でも、元気な高齢者や若者の方は一人暮らしが続くため、孤独死の可能性が高いのではないでしょうか。 そこで、ご質問させてください。病気、貧困、痴呆などやむにやまれない事情で、死期を悟り、静かに死にたい人達の看取りホームのようなもがあれば気が楽になると思ったのです。本人が納得したら医療を受けず、最低限の水と塩だけ与えて貰い、誰かに背中をさすって貰い静かに死ぬ施設で生き絶えれば、すぐ火葬もしてもらえると思います。ぎりぎりまで頑張って自殺しようとされる方がそうした施設で最期を迎えるという選択肢もあるのではないでしょうか。イメージしたのはインドの死を待つ家ですが。私も介護年齢になる前に、コロナの治療が受けられないとか、病気で働けない、介護や生活保護は受けられない、でも一人暮らしが難しいとなった時、そうした最後の瞬間には、看取りの施設に入りたいと思いました。 私は人に迷惑をかけたくないという考えが強く、孤独死から近隣に影響を与えることに抵抗を覚えます。孤独死した身内も決して幸せだったと思えませんし。 ですが、私が考えるような終末期の家は、日本では法に触れたり、犯罪の恐れを呼んだりするのでしょうか? もしも許されるなら元気なうちにそこでボランティアしたいとさえ思うのですが。 終末期の家の考えはおかしいでしょうか? だとすれば、地域とつながりのない一人暮らしの人が孤独死を避けるにはどうすれば良いのでしょうか?

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孤独死を迎えるにあたって

お世話になっております。 以前、「自業自得の孤独を乗り切る方法」という内容でご相談した者です。 あれから丸一年、就業先を自分なりに探してみましたがやはり現実は厳しく、現在も無職かつ貯蓄も底を尽きそうな日々を過ごしております。 本日お伺いしたいのは 「孤独死」が確定した中で「今生での生活」を営む事すら金銭的に厳しくなる中どうしたら、せめて心穏やかに旅立てるのか、です。 行政、各所支援団体含め当たった上でも 「生(活)」する為の資金は得られず、かと言って自死する勇気もなく、だらだらと毎日息をする日々。待っているのは老いと病→いつかどこかで物理的に腐敗し、発見されて、最上の弔いがあった所で無縁仏です。 死ぬ瞬間はいつ、どこで来るかわかりませんし、死後の世界も未知の中、 【質問】 ・どう思って生きれば、死の瞬間を穏やかに迎えられるのか(物理的苦痛少なくの意味) ・今生で「ただ息をして今日を生きる(現実的にそうするしかない状況)」に意味はあるのか、あるならば何が出来るのか ・死に方により、死後の世界?は変わるのか ※各宗派により見解異なるかと思いますが、少しでも苦痛少なく、今生を終えられたら、と思います。

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夫の自死

初めまして。 先月42歳の夫が自死しました。その日仕事を終えた後、行方不明になり数日後ダムで発見されました。 行方不明になる日、旅行に行こうと夫が有給もとってくれました。私も子供達が社会人になり2人きりで行く旅行を楽しみにしていた矢先の自死。 何が夫にあったのか、死を選ばなければいけない程悩んでいたことがあったのか..結婚して22年も一緒にいたのに気がつく事が出来ず胸が苦しいです。 夫のその日の苦しみを思うと息が出来ないくらい苦しいんです。行方不明になる日の他愛もないLINEをしていた時間が近づく度に居てもたっていられないくらい胸がざわざわしてしまいます。 ただ、今すぐ夫の元に行きたいとは思ってはいません。子供達もまだ21歳と18歳、これからの成長を見守りたいですし、今回のような思いを誰もしてほしくないからです。 夫はもうこの世にはいません。会えません。わかっているんですが でも会いたい、抱き締めてほしい 名前を呼んでほしい、ご飯を作って美味しいって言ってほしい。 仕事中はどうにか仕事に集中しているのですが、ひとりきりの時間は、長く孤独な寂しい時間を過ごしています。思い出を思い出したくないくらいな気持ちです。 夫は今、何を思っているんでしょうか? 最後ダムを飛び降りた瞬間はどういう気持ちだったんでしょうか。 夫が今、悩みから解放されてくれているのが私の願いです。 私はまだこちらの世界で支えてくれる子供達や義理の父母、妹や友人に感謝しながら、悲しいけど生きていこうと思っています。 聞いてくださりありがとうございました。

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