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検索結果: 76件

祖父と愛犬の死

似たような悩みが乱立する中大変申し訳ありません。 今年6月末に母方の祖父を、それに続くように7月頭に愛犬を亡くしました。 孫の中でも私を一番に可愛がってくれており、一切ボケることなく強かった自慢の祖父でした。 祖父はいわゆる本家に1人で住んでいたため 今、本家には誰もいない状態になっています。 これから本家を継ぐ人もおらず、母の兄弟たちの中では家を取り壊し、土地を売却する話が進んでいます。 私自身、過去には祖父とともに本家に住んでいた経験もあり、母から売却の話等を聞くたびに複雑な気持ちになってしまいます。 とはいえ私が本家を継ぐこともできず、母たちの意見には賛成なのですが…。 どうしても祖父と暮らした家がなくなること、 もう祖父と話したりすることができないことを考えると涙が止まりません。 時折お墓まいりや家の整理の為、本家には一ヶ月に一度程度出向くのですが、その度に涙が出てしまいます。 愛犬に関しても、家に帰るたびにもう駆け寄ったり撫でたりすることができないんだなと思うたびに胸が締め付けられます。 我が家に来て幸せだったのだろうか、愛情を注げられていたのか、なんども考えてしまいます。 その喪失感からか、気分も落ち込みやすく周囲の結婚などのおめでたい話題に対して心から祝福することができません。 お付き合いしている彼に対してもひどく傷つけてしまうことがあります。 祖父、そして愛犬。 連続して起こった別れからまだ何かあるのではないかと不安で仕方がありません。 どうしたらこの不安感を乗り越えられるでしょうか。

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祖父、愛犬の死について

先日祖父が亡くなりました。そして祖父が亡くなった2日後愛犬も亡くなりました。 祖父は施設に入っていて、コロナ禍ですので本当に危ない状況になって連絡があり、家族で会いに行き、その2時間後に亡くなりました。94歳で大往生だと思っています。しかし、愛犬の死については少し引っかかってしまいます。 愛犬は祖父が亡くなる前日、自宅の2階のベランダから落ちて入院しました。毎朝ベランダに出るのが日課で、その日もいつもの様に母がベランダに出ていましたが、目も見えなくなりまだ朝は暗いのでこのような事故が起きたのかと思います。骨は折れませんでしたが下半身は麻痺していて、命はありましたが介護が必須になりました。お見舞いに行きましたが本当に苦しそうでした。そして祖父のお通夜の日の朝に亡くなったと連絡がありました。その日は友引でしたので、祖父が寂しくないように一緒に連れていってくれたのかなと思います。愛犬も洋犬で16歳まで生きたので大往生だと思っています。このまま命があっても自由に動けず昼間も1人で留守番なので愛犬のためなら、生前とても可愛がってくれた祖父と一緒に逝くのは幸せなのかなと前向きに考えています。 しかし、母が自分のせいてこうなってしまったと責めているところもあります。愛犬も恨んでると不安に思っているところがあります。兄もショックを受けていて、生きている意味が無いと受け入れられてない状況です。私も一気に大切な存在を亡くし、頭が混乱しています。 愛犬が恨んでいるのか、感謝してるいるのかそんなことは愛犬にしか分かりません。ですが、どうしても気になってしまいます。あの事故がなければ生きてたのかなと思ってしまいますし、これも運命、寿命だったとも思っています。今はこの気持ちの波が激しいです。 愛犬は恨みながら、まだ生きたかっと思って亡くなったのでしょうか。幸せだったと感謝してくれているのでしょうか。祖父の死と続いてしまいとても憔悴しています…。何かこの死の連続も意味があるのでしょうか。上手くまとまらず申し訳ありません。お助け下さい。

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大好きだった祖父の死

一ヶ月と少し前、祖父が亡くなりました。 高校を卒業してから大学進学の為に実家を離れたので祖父と会う時間は減ってしまいましたが、お土産を持って帰省したときにはたくさん話をしました。 春休みのその週に帰省する予定はなかったのですが、なぜか「帰らないと」と思い帰省しました。そのまま入院していた祖父をお見舞いに行ったのですが、あまり体調がよくなくて眠っていました。しばらく経って病室を出る時、眠っていたはずの祖父が私の名前を呼びました。しばらく傍にいて「また明日来るね」と言って顔を見せて手を振った数時間後、祖父は眠るように亡くなったのです。 ずっと泣いていた私に祖母は「○○ちゃんば待っとらしたとよ。元気にしとる顔ば見てから安心さしたけん、すっと逝かしたと」と言ってくれました。 初孫だったこともあり、私はとても可愛がってもらいました。「最後に初孫の顔ば見たかったとだろうね」と、祖父が私を呼んだのだと祖母は泣きながら笑っていました。 49日も終え少しは気持ちも落ち着いてきたのですが、夜になると祖父のことを思い出して泣いてしまいます。残された人が悲しんでいたら成仏できないと聞いたことがあるので、祖父が成仏できないのではないかと不安です。 祖父は泣いている私を見て悲しんでいるのではないでしょうか? どうしても泣きたいときは泣いてもいいのでしょうか?

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祖父の死から1ヶ月、今思うこと

祖父の死から1ヶ月が過ぎ、あと10日ほどで四十九日の法要を迎えます。 なんだか未だに祖父はあの時幸せだったのだろうか、もっと一緒にいてあげれたらよかったという気持ちが渦巻く瞬間があります。 幸いにも温泉旅行に連れていけたことや、祖父の最期を看取れたこと、聞こえていたかは分かりませんが伝えたいことを伝えられたこと。が出来たのはよかったと思います。 亡くなる前から嫌な予感がしていて多少覚悟もしていましたし、亡くなってから葬儀を終えるまで、少しでもそばにいたくて冷たくなった祖父のそばにいました。 亡くなってから葬儀を終えるまでこれでもかというほど我慢せず泣いたので、少し気持ち的にスッキリしています。 しかしながら私の生活の中で生前よりも今の方が祖父のことを考える時間も増えましたし、なんとなくそばに居てくれている感覚があります。 祖父が亡くなってから、少しでも発進が遅れていたら車が突っ込んできて危なかった、とかあと少しでぶつかりそうになるなど、普段ここまで起きないような状況下での車の事故が起きてしまいそうな瞬間が何度かありましたが、すべて何事もなく無事だったので祖父のおかげかなと思い、家に帰る度「今日も助けてくれてありがとう」とお礼を伝えています。それ以外におはよう、いってきます、ただいま、おやすみも欠かしていません。 なんだかいつも座っていた場所にまだ祖父がいる感覚がします。 会えるものなら会いたいとも思ってしまいますが、あまり強く思いすぎても祖父が安心して成仏できないのもつらいので、祖父は楽になったんだなと思うようにはしています。 寂しさが思ったよりもないのはそばにいる感覚、今までより近く感じるからで、その感覚は思い込みではないと信じたいです。 小さい頃から私を可愛がってくれた祖父。大きくなって生意気になり、自分のことばかり優先してしまい、一緒に住んでいながらなかなか一緒にいてあげられなかった情けない孫です。 それなのにいつも私の帰りを心待ちにしてくれていた優しい祖父は、私が孫でよかったと思ってくれていたのでしょうか。

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亡き祖父と私。

こんばんは。 不眠症と自殺願望に悩む女性です。 去年、祖父が亡くなり、私のことを可愛がってくれていた祖父が天国へいってしまいました。 たまに短い睡眠時間の中で夢に祖父が出てきます。 亡くなる前、やせ細り、会話もままならなかった祖父がふくよかになり、笑顔を見せてくれる夢です。 私はその夢を見るたびに幸せな気持ちになります。 ただ、それ以上に睡眠時間が2、3時間しかとれない今の現状が辛いです。 また、父が難病を患っていて、病院の診察の一週間前から父を亡くしてしまう不安で、体が震え、余計に眠れなくなります。 こんな状態が続いてから、ふと自殺を考えるようになりました。 なにより一番辛いのは父の方なのに... 勿論、両親より先に死ぬことは親不孝だと分かっています。 でも私は祖父の元へいきたいのです。 今まで中学生から死についてずっと考えてきました。 ふと湧き出る衝動にどう対処していいか分からない時もあります。 私は自殺を考えながらも、これからも頑張って生きていかなければと、自分を奮い立たせていますが、限界です。 私のこの想いは自分勝手だとも分かっています。 私が自殺を選んだとしても、祖父に会えることはないとも分かっています。 祖父を亡くした痛みはいつか癒えて、祖父との思い出を幸せだったと思える日がいつか来るのでしょうか?

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祖父の自殺から立ち直るには

祖父が先日自殺しました。病死した祖母に会いたかったのだと思います。 亡くなった時に祖父が着ていた服のポケットに祖母の写真がたくさん入っており、遺書にも「これで祖母のところに行けます」と書いていたそうです。 祖母の49日が終わるまで決行すると決めていたのでしょう、遺言書の作成や身の回りの整理や手続きを知らない間に済ませていました。カレンダーに書いていた命日以降の予定にもバツ印をつけており、亡くなった時間も祖母の死亡時刻と同じ(推定時刻にはなりますが)で発見されるまでもがき苦しんだ跡もなく両手に握りこぶしを作っていたそうです。 死んで祖母に会う覚悟を決めていたのかもしれません。 祖母の遺骨は祖父の49日と同時に納骨することになり2人の遺骨を並べているのですが、それを見て「祖父はこうしてほしかったのかもしれない」と私は思っています。 祖母に会えるなら死ぬのも怖くなかったのでしょう。 それでも、1人淡々と準備を進めている祖父の姿を想像すると苦しいです。最近手術したばかりで成功し助かった命でした。健康に人一倍気を使っていましたし、もっと長生きすると思っていました。 一番不安なのは、祖母に会えているかどうかです。自殺すると、地獄に落ちる、死んだ瞬間の苦しみが永遠に続くとよく聞くため、祖父が向こうの世界で穏やかに過ごせているか心配です。 祖父が亡くなった日、父が夢で祖父と祖母が手を繋いで歩き父の方を向いて笑っており、今まで亡くなった親族が全員出てきたそうです。「会えたよ」というメッセージだったのでしょうか。 そしてこれから私はどのような気持ちで過ごしていけば良いのか分かりません。

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2022/08/01

亡くなった祖父と、遺されたわたし

 こんばんは。  母方の祖父が亡くなってしまいました。幼い頃からいろいろな場所を一緒に歩き、人生の節目節目で思い悩む私を励ましてくれた祖父は、言葉では言い尽くせないほどかけがえのない存在でした。最晩年の数年は記憶力が著しく衰えてしまいましたが、最期まで身の周りのことは自分でできていました。こうした祖父の生きざまは、私にはとても理想的で自然な老い方に見えました。一方で歳を重ねていく祖父を見ていて、祖父がいなくなることは私の最も恐れるところでしたが、現実は受け入れがたい悲しみがあります。  これから順を追ってお通夜とお葬式に臨むことになっているのですが、さて自分は祖父ときちんとお別れができるのか?、これから生きていく気力を保てるのか?、ということをとても不安に感じております。私にできることと言えば、悲しむこと、祈ること、偲ぶことくらいですが、喪失感が大きいゆえに祖父が安らかな眠りに就くことへ本当につながるのかどうか、何をしても虚しい気持ちがしています。亡くなった人の「存在」はどうなるのでしょうか。私たちの身近なところで見守ってくれているのでしょうか、それとも新しい生を受けて、全く違った形で次の命をつないでいるのでしょうか。御礼や悲しみの気持ちを、どう伝えたらよいのでしょう。  さらには、これほど大きな存在であった祖父を喪い、生きていく希望を持てない身の上となりました。私の周りには近しい親族もおりますが、祖父のいない人生を考えると、すぐにでも死後の世界へ行けるならどれだけよいだろうという気持ちを持ってしまいます。現実には不孝なことはしたくないという自覚があるものの、喪失感は如何ともし難いです。  かけがえのない肉親を喪った方は、皆さんこのような思いをお持ちになることと思いますが、この世で一人しかいない祖父がいなくなってしまったことは只々悲しく苦しいです。これから直面することになる故人とのお別れや、故人を喪った人生の意味についてお教えを願いたく存じます。乱文で、身勝手な相談とも思うのですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

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2023/10/16

祖父の火葬に立ち会えませんでした

昨日、祖父を亡くしました。 祖父は今年の2月に肺がんを宣告され、自宅療養をしておりました。 祖父、伯父夫婦(祖父の長男と奥様)、父(次男)、私の5人で同居をしていて、次男である私の父がずっと祖父の面倒をみていました。 一昨日の夜に容態が悪くなり救急車で病院へ運ばれ、そのまま入院するということになったのですがその翌朝には逝ってしまいました。 遺体は自宅には戻さないということになり、葬儀の日程が決まり、最後に顔を見てお別れが出来るものだと思っていたら、先ほどもう既に火葬が済んだということを父から聞かされました。 祖父は生前から家族葬を希望しており、私たち家族だけで見送ってほしい、盛大な葬儀などはやらないでほしい、と強く父に言っていたそうです。 葬儀の準備などは全て伯父夫婦が進めており、祖父の意向と家族葬であることを伝えると先に火葬することを勧められたそうです。 調べてみると骨葬といって、地域によっては先に火葬を済ませてお骨の状態で葬儀を執り行うことが普通のところもあるということを知ったのですが、家族である私たちが最後に顔を見れずに終わってしまうことなんてあるのだろうかと納得がいきません。 その火葬には伯父夫婦も立ち会ってはいないそうです。 父が言うには、霊柩車で自宅に遺体を安置するとご近所の皆さんに知られてしまい祖父の意向に反してしまうし、斎場にも場所が無かったのかもしれない、 専門の知識がない我々はお寺の方に従うのが一番安心で故人を気持ちよく送ってあげられる、と納得している様子なのですが、顔を見てお別れができるものだと思っていた私は心が空っぽになったような気持ちです。 焼かれて骨を拾うことで気持ちの整理がつけられるとも思っていました。 救急車で運ばれた際の検査で祖父がコロナにも感染していたことがわかり、コロナに感染したご遺体は家族と顔を合わせることができないというケースを聞いたことがあるので、そういった要因もあるのかなと思ってはいるのですが、 突然骨だけになって帰ってきた姿を見て、自分が気持ちに踏ん切りをつけられるのかが不安でしかたがありません。 葬儀やそういったことに詳しいお坊さんのご意見を聞かせていただきたく、このような質問をさせていただきました。

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2024/02/08

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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2021/08/03

死について考えてしまいます。

こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。

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家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

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死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

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