2022/02/20私には「否定」が受け入れられない
抽象的なタイトルで申し訳ありません。この質問は今現在起こっている、プロゲーマーの方の心無い発言が「炎上」所属チームとの契約を解除された出来事と周囲の方達の態度を見て思ったことです。
ここで明文化するのも憚られるので、大分端折って述べますが、そのプロゲーマーの方は「人権」を軽視した発言をした。
それだけではなく以前から、世間的な正しさ(これも抽象的ですみません)から逸脱した発言が散見されたようで、それらが積み重なった上での今回の炎上、契約解除という運びになった。
そしてそれを周囲の方達は「当然だ」というような態度でいる。
私の色眼鏡を通した言葉になってしまいますが「安易にその人がそこに居ることを否定することを肯定している」
確かに、よろしくない行為を働いたことは事実です。あまり素行といいますか人格が良いものではないと捉えられても仕方ないでしょう。
そこに対して、批判を受けるところ「まで」は当然だと私も考えます。、
しかしそれが「否定を正当化する」ところにまでは行き着かないのです。どうしても。
その人が「そこに居ること」「こう在ること」を「否定」して良い理由には絶対にならない、と考えているのです。
今、私が挙げた事例と近づけて言うならば「人格」や「素行」で「否定」して良い理由には絶対にならないと考えているのです。
でも、世間はどうも、そうではないみたいです。
私の拡大解釈かもしれませんが「はっきり言って私が異常ですらある」と言った様相です。
どうしてなのか。少し考えてみました。
結果、「周りは私ほど、否定の持つ力の恐ろしさを理解していないのでは」「否定を否定で返すことの恐ろしさ、虚しさを知らないのでは」と言う結論が出てきました。あまりにも周りを軽く見た解答になってしまったのですが……
でもそれほどまでに、私は「否定」ができない。できないし、「否定」を「向け合う」行為を容認できない。しかしそれは正常ではない。私は世間が間違っているとすら思う。
……正しいのはどちらでしょうか。また、そう考えることの意味はどこまであるのでしょうか。
有り難し 13
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