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検索結果: 761件

父の癌と私の流産

実の父がが2ヶ月前に胃ガンであることがわかりました。66歳で、まさにこれから老後を楽しもう!としていた矢先の出来事でした。 あまりにも珍しい癌でとても予後が悪いものでした。胃を全摘しましたが、その直後に多臓器転移、播種がわかり痛みが出てきて食事も取れなくなってきて、日に日に衰えていくのがわかります。麻薬系の痛み止めが手放せないほどです。2ヶ月の間にまさかそんなことになるとは思っておらず家族みんなは、あっという間の状況についていけず、ただただ落ち込むばかりです。 家族構成は父、母、娘二人(私、妹)と祖母です。父は婿養子です。 娘二人は結婚して、実家から30分弱のところに住んでいますので週末や時間があるときは二人とも実家に帰ってそばにいますが、なにもしてあげれません。3歳の孫を連れて行ったりするのですが反応も薄く。元気な頃は猫可愛がりしていたほどだったのに今はあまり反応をしなくなってしまいました。なんだかふさぎこんでいるというか、諦めているというか、遠くに行ってしまったような、近寄りがたい感じがして話かける言葉が見つかりません。気分が少しでも紛れればと思いマンガ本を差し入れしたところ、それは読んでくれてるようでした。 この質問から2日後に入院し、抗がん剤治療が始まります。私はこの治療が功を奏するかもしれないからまだ悲しむのは早い!と思うのですが、落ち込んで塞ぎ込んでしまってる父はもうすでに気持ちの部分で負けてしまってる気がします。かといって、私も母も今の父を見てると覚悟せざる得ない状況なので最悪の事態にも一応備えて居ります。父は高卒から65歳まで同じところに勤めて、真面目に働き家のために尽くし娘二人を何不自由なく育ててくれました。いつも穏やかで優しい父です。しかし無口な為普段からほとんど会話はしません。なので父の気持ちがよくわからないのです。それでも父の事は大好きなので毎日父の事を考えては涙が出ます。そして父の癌告知のすぐあと私が二人目の赤ちゃんを流産してしまいました。 それを聞いた父もすごく残念がっていました。私も心と体がボロボロになりました。どうしてこんなに苦しい事が一気に重なるのでしょうか。毎朝起きると辛くて涙が出ます。嫌な夢を見て朝に泣いて起きることもあります。 気持ちの持ち方がわかりません。どうか心のお薬をいただければと思います。

有り難し有り難し 27
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2021/11/23

癌になってしまったようです。

先日受けた健康診断で、子宮がん検診の結果がどうやら癌確定のようです。 クラス5、悪性 扁平上皮癌などと書いてありました。 要精密検査という事でまだ最初の検査しかしていませんが、自分ではこの段階でも確実と思っています。浸潤という言葉もありました。 まだ何も見えていない状況ではありますが、息子達や親きょうだいにいつ、何と言ったら良いのか困惑しています。 うちは母子家庭で、今は16歳の次男と二人暮らしです。 正直、言いたくないです。ショックを受けるだろうし、私の事で心配や不安など精神的ダメージを与えるのが嫌です。 特に親には過去にかなり迷惑や心配をかけたので、70歳過ぎた親に今になってまた負担をかけたくありません。 そして、一番近い存在の息子達にはいつどう伝えたら良いのかわかりません。 長男は社会人になって離れていますが、母子家庭で苦楽を共にしてきたので、自分が今頑張れているのはお母さんのお陰だと、感謝してくれたりしています。なので、とてもショックを受けると思います。 次男は少し生きづらい性質で、発達障害の診断があり、中学も高校もうまくいかず、今は高校を休学して家でずっとスマホの毎日を過ごしています。 この状況の次男との毎日がストレスであったり一番の悩みではあったのですが、自分は40代半ばなので、まだしばらく面倒見ながら成長を待つしか無いのかと思っていました。 しかしまさかこんなに早く、自分が何とか出来なくなるかもという状況が来るとは思っていませんでした。  気持ちが弱い子なので、希望も持てずに過ごしている今、更に私が癌だとか入院するなどなったら、もっと自分の人生に失望してしまうかも知れません。   私自身、体調不良もなく考えてもいなかった事なので、とてもショック‥なんだと思います。 家族に何て言ったら良いのか、この先次男がどうなってしまうのか、もう、この結果を見なかった事にしたい気持ちです。 これから私はどういう思いで進んでいったら良いでしょうか。

有り難し有り難し 9
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母の癌…

お世話になります。 昨年末、73歳の母がステージ3の肺癌であることが判明しました。 年明けから、抗がん剤治療、放射線治療を行い、不幸中の幸いで、手術出来る段階まで小さくなったのですが… 母が「手術はしたくない」と言い出して、戸惑っています。 手術したくない理由は、「これ以上体力を落としたくない。これからは上手に癌と付き合い、生きていきたい」と。 内科の担当の先生も、「せっかく手術出来るのに」と説明して下さいましたが、本人の意志は固いようで、何やら吹っ切れたように、逆に元気になっています。 親の病、生き方に関しては、本人の気持ちを尊重すべきで、いくら娘でも、口は出せない、母か決めた事だから…と自分を納得させていますが、「このまま母が弱って死んだらどうしよう」と悪い方にばかり考えてしまい、涙が止まりません。 現在、夫の転勤で県外に住み、地元を離れているため、母のお見舞いに行けるのは週に何日かだけ。 それでも自分なりに精一杯やっているつもりですが、「私が母の近くに住んでたら、もっと早く病に気付けたはず」と自分を責める気持ちが治まりません。 老いていく親の大病、やがてくる死、どのような心持ちでいれば、私自身も心穏やかに過ごせるか、ご教示いただけたらありがたいです。

有り難し有り難し 5
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病気が怖い、特に癌が怖い。

2年程前に妻が乳癌になり、それを機に私自身が心気症(病気不安症)になってしまいました。 幸い妻は無事手術も終わり、現在は通常の生活を過ごしております。 私はいまだに、体調に異変があると癌だったらどうしようと考え、直ぐに病院行き出来る限りの検査をしてもらい、納得出来なければ、別の病院で検査してもらうといった事を繰り返しております。 今、一番不安なのが一年半程前に親知らずを抜いた歯茎の違和感です。 歯医者で診てもらったところ、大丈夫だと思うけど、心配なら大きな病院で診てもらったらと言われ、大学病院を受診しましたが、特に心配無いと言われて一旦は落ち着いたのですが、数日後やはり気になり、以前通院していた市民病院で再度診てもらったらところ、今は問題無いけど、歯磨きなどで何度も傷つけると悪いものになる可能性もあるから、一年後にまた診せてと言われたことがショックでなりません。 このまま一年間毎日悪いものになったらどうしようと怖い思いをしながら過ごす事を考えたら辛くて仕方ありません。 妻や知人に話すと、考え過ぎとか一年に一回の健康診断と同じとの意見や細胞なんて破壊と再生を身体中で繰り返してるんだから同じだよと言われました。 私も頭では分かっていても気持ちや考え方が切り替わらなく、仕事も休んでしまう状態になってしまいました。 どうか気持ちや考え方が変わる良い知恵を授かりたいと思いますので、宜しくお願い致します。

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癌末期の主人の愛人について

この度も複雑な内容ですが、どうかよろしくお願いします。 前回からそれ程、日数も経っていませんが、その後主人の病状があっというまに悪化して、主治医の話で早くて一ヶ月。長くても半年と言われて下半身付随の車椅子生活です。 主治医からは本人には、「足に麻痺が残るかもしれない」と伝えてあるそうですが、余命に関しては告げられてないそうです。 レーサー仲間の若い愛人がいます。 その方から、年賀状やレースのお誘いのお手紙が今年に入ってから計3通送られて来ました。 当然、主人には渡さずに破棄しています。 二人は連絡は取り合っているので、退院して 私が手紙を破棄しているを気づくと、当たり散らします。 私だって、主人に対して愛情などないので そういう事が、あるたびに早く死ねばいいと思ってしまいます。 主人は癌が分かった時には、最初は余命5年と言われたようです。それもあってか少し体調がよくなると、バイクに乗ってあちこち出かけ、時間もお金も使いたい放題でした。 一度も子供達に自分から声をかけたり、もちろんどこかへ連れて行く事もなく… 日によって体調が凄く悪く、苦しそうに病院のベッドで寝ていると可哀想でアレコレしてあげたいと思いますが、少し元気になると 愛人と思うように会えない苛立ちなのか、私が病室へ行って、差し入れなど持っても当たりまえのように無視しています。 苦しそうな時は、可哀想と思い、元気になって 傍若無人にふるまう時は早く死ねばいいと思います。近々、自宅介護が始まります。 本人はきっと私たちと過ごしたいわけでないし、まさか余命が半年切っているなんて、思いもしていないと思うので、また元気になって 愛人レーサーと一緒にツーリングへ行く事を夢見ていると思います。 もちろん愛人もすでに下半身付随という事は知らない様子で、「一緒に戦いましょう」などと 平気で年賀状に書いて送ってくるような人物です。ただでさえ、嫌々と義務感だけで、介護をしているのにそんな、手紙がこれからも頻繁に来たら、気が狂いそうです。私がおかしくなる前に一日も早く死んでもらって愛人宛に主人は死にました。と連絡してやりたいです。 子供が悲しむのがつらいから我慢しているだけです。こんな私に何か救われる方法があれば教えてください。どうかよろしくお願いします。

有り難し有り難し 48
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母親に癌になったと伝えるのが辛いです。

30代です。子宮体癌を宣告されました。 まだステージ等は不確定ですが、全摘出は決まっており、現在他に転移がないかの検査をするスケジュール調整をしています。 生きる死ぬについては当たり前のように怖く、とても冷静ではいられません。それでもなってしまったものは仕方がないと、思っています。 それよりも気鬱なのが、70になる母親についてです。 母親は常々自分が癌になったらああしてほしい、こうしてほしいというように、何かあるのであれば、老齢の自分であると自認している人です。 また、子どもである私や姉が少し大きな病を患うと、何十年たとうとその時の心配や不安を口にし、子どもは健康でいるのが当たり前だと考えている、愛情深い人です。 その母親に黙っていることはできません。それでも、伝えることで母親が受けるだろう衝撃や苦痛を思うと、なんと親不孝なのかと涙がとまりません。 仕事も安定し、これから母親に楽をしてほしい、たくさん旅行につれていこうとしていた矢先でもあり、申し訳なくて、苦しい。楽しい時間を過ごしてほしいのに、それを無駄するのが私なのです。 私は母親に今後何をしてあげられるでしょうか。 どんな安心や幸せを届けることができるでしょうか。 多くの質問があり、日々の業務にもお忙しい中とは思いますが、もし、アドバイスいただけるのでしたらこんなに嬉しいことはありません。

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夫の癌闘病

以前、超高齢の両親の面倒と、夫の癌のことでお世話になりました。 あれから、夫は闘病を頑張っておりましたが、続けていた抗がん剤が効かなくなって癌が大きくなり、今回は、3日間4種類の抗がん剤を点滴し続けるという強い治療を受けました。 わずかでも希望があるならと、本人も家族も力を合わせて頑張ってまいりましたが、今回の治療は心身に厳しく、昨晩夫と二人で話し合って、この治療をやめることを決心いたしました。 もう骨と皮に痩せているのですが、抗がん剤が追い打ちをかけ、抗がん剤のメリットをデメリットが上回っていると判断しました。 ほとんど食べられず、歩くことさえ困難になっています。ここまで心身を苦しめる意味を見出せません。 この治療を受ける前は、一緒に散歩したりもできました。単なる延命でなく、なるべく生活の質を落とさずにやっていくことを二人とも希望しておりました。 先生にお話しして、別の道を選択し、最後まで、在宅医療と在宅介護でやりたいことも相談いたします。 これは諦めではなく、新しい選択で新しい道を精一杯歩いていくつもりです。 しかし、しっかりと死を見つめ、覚悟しながらやっていくことは、とてつもなく辛いです。涙が止まりません。 どうか、この覚悟を少しでも支えていただけるようなお言葉をお願いできますでしょうか。 いつも本当にありがとうございます。

有り難し有り難し 16
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癌で余命半年の父

物心付く前に両親が離婚。父が頑なに主張し父に引き取られたと聞いています。 父はその後、私を祖父母に預け、そちらで育てられます。 高校を卒業を機に、父の働いていた大阪に出ました。数年して良い人ができて父に紹介しようとすると断られ、それがきっかけで20年近く疎遠でした。 細々と手紙でやり取りしておりましたところ、自分は癌であり、治療、延命治療などは一切断った。余命はこの夏までくらいだろう。始末料を送るので後始末してくれ、との手紙を受け取りました。 ・癌の相談がなかったこと。それにより進行し、余命も少ないこと。 ・始末料などどお金を送ってくること。それよりも家族としての会話が大事じゃないのか。 さかのぼって、 ・なぜ自分を引き取ったのか?勝手に自分の死を決めれるくらいしか、自分のことを大事に思っていてくれなかったのか? 父も辛いでしょうが、どうしても自分勝手だと思ってしまい、怒りや悲しい気持ちが起きてきてしまいます。 こういった気持ちにどう対処するべきか、いまの状況を乗り越え、前を向いて生きていくためには、どのような心構え、気持ちが必要かお教えください。 宜しくお願い致します。

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癌で心が壊れる

8ヶ月前、妊娠中に乳癌が判明。その後流産して質問させていただいた者です。 昨年の7月、乳房温存手術を受けました。1センチ以下の初期乳癌。リンパ節転移もないとのことでしたが、術中検査でリンパ節に2つ転移が見つかり、リンパ節も切除。病理結果が出るまで鬱になりそうでした。リンパ節転移が4つ以上でステージIII。聞いていたステージIより格段に生存率が下がります。自分の命より子どもを産みたかった。家族に迷惑ばかりかけるなら今ここから飛び降りてしまおうか。夫は再婚して、娘にも兄弟ができる。家族にとって私はいない方が幸せなのではないか。 しかし、リンパ節転移は2つのみで、ステージII。亡くなった子どもが助けてくれたと、泣きました。生きなければと思いました。 手術後は4ヶ月半の抗ガン剤予定でしたが、入院数日前にふと、最初に気付いたシコリ(良性の物と言われていた)の下にシコリを見つけました。病院に行くと、触った感じもエコーも問題ないが、一応細胞検査ということに。入院当日、横になっていると、突然先生から細胞検査の結果、癌であったと伝えられました。呆然としました。急遽数ヶ所の細胞検査。結局、手術した所以外の三ヶ所から小さな癌が見つかり、多発性乳癌との診断でした。なぜ最初から分からなかったのか。妊娠中であったからだそうです。抗ガン剤は1番強い薬を2種類、半年。その後全摘手術と言われました。頭が真っ白でした。私が最初に見つけたシコリは癌だったのに、ずっと無視されてこの結末。でも治療しないわけにいかず、納得するまで主治医と話し、今は2種類目の薬を半分終えました。 2度の流産。髪はゴッソリ抜け、抗ガン剤の副作用で救急車で運ばれることもありました。左胸はなくなります。リンパ節転移のせいで、放射線治療もあります。放射線を当てると乳房再建は難しいそうです。私はまだ30代で、娘は5歳です。もう、娘の大好きな温泉やプールには行けない。様々なものがなくなっていきます。家族に負担をかけてばかり。それでも再発転移の可能性は消えない。手術は恐怖です。胸をなくしたら娘はどう思うのか。「胸がなくても関係ない」と夫は言ってくれますが、私自身がきっと卑屈になってしまう。誰かを苦しめたり、悪いことをした覚えはないのに、なぜこんな思いばかりしなければならないのでしょう。生きていることに感謝する反面、悔しくて苦しいです。

有り難し有り難し 33
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2022/12/19

父が膵臓癌で亡くなりました

11月前半に膵臓癌が発覚し、11月後半にあっという間に逝ってしまった父。 私は実家から遠く離れて暮らしていて、最近はコロナ禍も有り4年帰省も出来ていない状態でした。 生前父は母に苦労かけているなと感じていたこともあり私は父に好意的な感情は持っていませんでした。でも父は幼い頃から私の事を大事に大事に思ってくれていることは明らかでした。 癌が発覚した時点でとても悪い状態とのことで、入院してしまう前に会いたいと思い帰省しました。私が帰省した日の夜から体調が急変し、翌日救急車で運ばれ、その時点でいつ逝ってもおかしくない状態だと医師に言われました。その翌日父は亡くなりました。 私が帰る前に余命は2ヶ月くらいだと言われていたのに、あまりにも急に逝ってしまったんです。母と私、弟に看取られながらでした。弟も遠方から帰省した翌日のことでした。家族4人が揃う事なんてここ何年もないことだったので、みんながいる時に逝きたかったのかな…とか、亡くなる前日は身体中痛かったり苦しがっていたからその痛さや苦しみから早く解放されて良かったのかもしれない、とかあらゆる理由を考えたりしました。看取ったのに未だ死を受け止められない自分がいるからです。 亡くなってからは父のことが常に頭の中にあり、ふとした時に涙が止まらなくなったり悲しさや虚しさで心が苦しくなり、一人残った母親とのいずれ来るであろう別れを想像してしまい、これからどうやって生きていけばいいのか分からなくなります。 父にももっとたくさん帰省して会っていれば良かったとか、もっと優しく接していれば…話もしていればよかった…と後悔です。 悩みの相談がはっきりせずあやふやで申し訳ないのですが、何かお言葉を頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 4
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