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検索結果: 1650件

懺悔

短大生の時、アルバイトをいくつかしててその内の1つが障害者の方のお世話、具体的には日曜日に出勤し、掃除、洗濯をするという内容でした。日曜日なので障害者の方は出かけたり、家族と過ごしていたりで誰もいない時が多かったです。居ても部屋でテレビを見てゆっくりしてるとかでした。最初はできる限り、話しかけたり、お昼ご飯食べた後しばらく話ししたらしていたのですが、辞める数ヶ月前からその人達もお昼から出かける事が多くなり、家事以外はやる事がなく、自分が出勤する意味がわからなくなり、やることやってればいいやと思い本当は10時から出勤なのに、12時前に来てやることやって退勤時間の17時には帰ってという事を何回かしてしまいました。タイムカードは手書きで10時に来てることにしてしまってました。スタッフも私一人だけで、当時は悪気がありませんでした。やる事やってるし。だけでした。ある日マネージャーにバレて注意されただけでしたが、私はやる意味を感じられなくなりやめました。今思えばとんでもない事をしてたな、いい加減に働いてたなと思い後悔ばかりしてます。ただ疑問に思う事が、何故あの時マネージャーは注意だけしたのでしょうか。普通、クビだ!とか訴えてやる!とかなってもおかしくないと思います。働いてないのに、お給料貰おうとしたのですから。それとも今こうして後悔の念に駆られ苦しむ事がマネージャーの狙いだったのでしょうか。今更、会社に実はこんな事してましたと、謝罪するべきなのでしょうが、就職先で働き始めた今問題を出したくない自分がいます。家族に迷惑かけたくないので、、、 こんな事してすみませんでした。と心のうちで謝れば懺悔の内に入るでしょうか。本当は寄付とかもするべきなのですが、一人暮らしで働いたばかり、お金がありません。

有り難し有り難し 33
回答数回答 3
2023/01/20

【懺悔】私にできる事

 いつもお世話になっております。このたび、諸般の事情により 疲れ果て、普段通院している精神病院に入院しておりました。  外来も病棟も担当している主治医が診てくれたのですが、 改めて先生の偉大さ、背中の大きさに気が付きました。  一度、先生に対して、殴られても仕方のないレベルの失礼な 言動や態度を取ってしまったことがあります。それに対して、 先生は、反論するどころか休暇を返上して、こんなバカ一人の ために出勤し、1時間近く時間をとって話し合いをしてくださり、 さらに私が反芻しやすいように、やり取りを文書化してください ました。  ちなみに、先生方にとって、休暇はとても貴重です。特に、 病棟と外来を兼務している先生方は、朝から24時間当直勤務後、 休まずにそのまま外来へ行くこともあるため、休まないと、 大変な事になるでしょう。  入院中、消灯になってから、ずっと枕を濡らしていました。 自分は、本当に愚か者だと。そして昨夜も、泣きました。  毎週の体調確認の面談で、先生に、 「あの時は、失礼なことを言ってしまって、申し訳ありません でした」 と謝ったら、 「いいですよ。むしろ、素直に言ってください」 と優しげな口調でお許しのお言葉をいただきましたが…  先生は、とても一生懸命な方です。患者に暴行されても、人を 呼ぶことなく一人でご対処なさり、落ち着かせたこともあるそうです。  ですが、まじめな人ほど体調を崩しやすいと言われています。現に、 私はそういう人を見ました。明らかに様子がおかしくなり、やがて 離職…ベテランの看護師さんです。  私は、先生がそうなってしまうのが何より怖いのです。先生がそう ならないためにも、私には何ができるでしょうか?  先生は、 「ロータスさんは、まじめすぎるほどまじめに自分の特性と向き 合って、戦っていますよ。立派です」 と褒めてくださいます。しかし、 「自分、性格なんで治らないんでwww」 と障害を錦の御旗に居直り放逸に振舞うバカもたくさんいて、 先生は、そんなバカどもの相手を毎日なさっています。大変な 労力です。  同類にならないように努めるのが、先生へのいたわりであり、 恩返しかとも思うのですが。  ご高見、賜りたく存じます。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1
2022/03/15

懺悔

懺悔をします。 私は今までの人生で、たくさんの罪を犯してきました。  小学生の頃、近所のお墓にあるいくつかのお地蔵さんを、当時のいじめっ子的な存在だった子と一緒になって壊したことがあります。当時の私の立場は弱く、従うしかなかった面もありますが、それは言い訳にしかなりません。  2人で逃げた後、暫く経って1人でこっそり現場を見に行くと、警察の方が沢山集まっていました。それを見た時、自分がやってしまったことの重大さ、罪深さを痛感しました。  そして、時が経って高校生の頃の話です。 私は中学生の頃に親を1人亡くしていたのですが、当時熱中していたゲームや遊びのために、私はとんでもないことをしてしまいます。  亡くなった親の財布から、数万円を抜き取ったのです。最低な行為です。立派な犯罪です。  しかし、その時の私は何故か善悪の判断が麻痺していて、少しぐらいいいか、などと考えていました。なぜあんなことをしてしまったのか、今でも当時の私の感覚が理解できません。  私が犯した大きな2つの罪は上記のことですが、他にも受験勉強期に「親の死が原因で勉強が手につかない」と自己暗示をかけて勉強をサボったり等、おおよそ人の心があるとは思えない最低最悪な行為をしていました。  今では当時の行いを猛省し、沢山の迷惑をかけてしまったにも関わらず育ててくれた親にも感謝していて、そこそこまともな生き方をするようになりました。  しかし、当然過去の最低な行為は無かったことにはならず、思い出すたびに自己嫌悪に陥り、苦しくて仕方がありません。  当然の報いであることは分かっているのですが、辛いです。楽になりたいと思ってしまうのは、流石に烏滸がましいでしょうか。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

懺悔

現在高二なのですが、私は中学のころ、あだ名を言う、言われるの二つの体験をしました。 私は唇が太く、ぼってりしているのでそのことであだ名をつけられ、また不細工なのでからかわれ、当時は、家に帰ると独りで泣き、鏡を見て絶望し、自分なんかいないほうが良い、と考えていました。そのネガティブな気持ちはつい最近まで続き、もともとの神経質も関係し、苦しかったです。 また、私は、苗字があるレスラーといっしょだということで、プロレスラーというあだ名をつけたり、態度がおっさんぽくて目が丸く大きいということでおやっさんというあだ名をつけたりして、数人とそのあだ名を言い合って笑ったりもしていました。後悔するころには前者は転校、後者は転塾していました。彼女らには、実際会ったりや、メールで謝るなどの行為はもうできませんが、心の中でなんども謝り、またそれがきっかけで自分をかえることができ、今ではネガティブには決してならず、不平不満悪口も一切言わないようになりました。 このことは全て親に話し「実際に謝れないのなら、心でしっかり謝り、罪悪感を持つのではなく反省をしなさい」と言われました。当時共にあだ名を言っていた者にも相談したのですが、彼らは、罪悪感など一切なく、あだ名を言ったのも青春の1ページさ、などと言っていました。 最低な行為をしたことはわかっています。しかし過去は変えれませんし、過去に縛られていては未来でも同じ過ちを犯してしまうかもしれません。そうは思っていても、私は極悪人で、まわりとはけた外れに悪いことをしてしまったのではないかと思い、勉強にも手がつきません。 これから私は、どのように過去の過ちを捉えていけばよいのでしょうか?また、罪悪感を持つことと、反省とは違うのですか?どうか御回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 37
回答数回答 4

懺悔

うつになった私を助けようとした友人たちがいました。 彼女が善かれとしてくれたことは、うつに負担がかかるものでした。 彼女のアドバイスは『それが出来ればそもそもうつにならない』ものでした。 心身や環境の都合でアドバイスを実践できないことがつらく、自信を失い頻繁にうつがぶり返すようになりました。 知人にオシャレを褒められ、彼女が選んでくれた服だと自慢したら、居合わせた彼女に後で「自立できない女に見られるからやめた方がいい」と言われました。 「貴方の手柄を自分のものにできないし、貴方を自慢したかったのにどうしてそんなことを言うの?傷ついたよ。悲しいよ」と訴えても傷つけるつもりはなかったと言い訳して謝らず、一言ごめんねがほしかったと伝えたら丁重な謝罪と共に縁を切られました。 貴方と付き合っているとこちらも病んでくる、と。 最後に「自信を付けるなら料理教室やヨガ教室など新しいことに挑戦するといい」とアドバイスされて 彼女を傷つけた反省と自分の心と向き合う機会も兼ねて、以前から気になっていたお寺の写経や滝行、御朱印集めに挑戦しようとしましたが 彼女から私とのやり取りを聞いた別の友人が「頑張るベクトルが違うよね?どうして自分で分からないの?」「なんで正論に反論して謝らせようとするの?」と責められ、その子からも縁を切られました。 彼女の愚痴を聞いた一部の知り合いも距離を置くようになりました。 新しいことに挑戦しているのに、どうしてお寺行事を否定する? 彼女の提案したレールを進み続けることしか許されない? 自立できない発言は正論だから謝らない? 結局お寺に行けず、代わりにこちらを見つけて現在に至ります。 共通の知り合いに私側の主張を聞いて欲しいけど怖くて言い出せず 今も不意にフラッシュバックし、彼女たちを案じる気持ちは憎悪に変わりつつあります。 この件はどちらが悪いわけでもないのに、私を責めて周囲の印象操作したり、謝罪したら許されたい欲が出てると一蹴し、別の場所で頑張れと言いつつ行きたい会に先回りして私を来させないようにする彼女が許せないのです。 お寺に行く時間が無く一人瞑想で落ち着かせようとしていますが、限界なので吐露しました。自分の器の小ささがつらいです。 読んでくださりありがとうございます。 心穏やかに日々を過ごせるようになりたいです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

懺悔します。

前は大きな心の傷の話をしましたが今回はもう少し小さな傷の話をさせてください。 私は犬を飼っていました。兄弟のように一緒に成長していきました。 犬種はジャーマンシェパードでとても頭が良い犬でした。 始めに貰いに行ったときは風邪を引いていてこの子は10年も生きられないと言われましたが、14年生きました。 私が家を出て2年たった頃、犬が脳溢血で倒れたとの連絡が入りました。 急いで家に帰り様子を見ると、息はしていましたが体を動かすことができない状態でした。 撫でるとビクッとしましたがすぐに落ち着いて撫でさせていました。 トイレで離れるときに何とか顔をあげて「行かないで!」と言っていました。 言葉はなくとも分かりました。 その時私は仕事でひどく疲れていたので少し休もうと自室に行きました。まだ余裕があると思ったからです。 その時も犬は顔をあげようともがき必死に私を引き留めようとしました。 結果、私が休んでいる間に犬は死にました。兄弟のように育った犬を看取れなかったのです。たった一匹で誰に看取られることなく旅立ってしまいました。 原因は私の油断と決め付けでした。 それからはただただ後悔の念が有ります。 最近その犬の夢をよく見るようになったので吐き出しました。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

懺悔いたします

懺悔させて下さい。 20数年前、私は一度中絶をしました。(主人との子になります。) 避妊に失敗して、妊娠しました。 その当時、私自身の子供を持つことにかなり抵抗がありました。愛を知らない私が子供を持っても虐待するだけだ、結婚さえしてはいけないものだと思ってました。更に傲慢な事に「自分の人生に不必要なもの」とも感じました。 主人の気持ちも聞かず、決断し、中絶をしました。供養もせず、忘れたい過去として封印しました。(2年前、供養として一度お参りしました) 不思議とご縁が続き、主人が「結婚したい」と言ってくれました。「殺してしまった子を産み直してあげれるかも。」と思い、結婚し、数年経ってから「今なら子供を育てられる」と感じた時に子供を作りました。 特に息子は「殺してしまった子の分も愛情を注ごう」と神経質な位の育児をしていたと思います。その思いも目の前の育児に追われ、次第に薄れていきました。 2年前、錯乱した時、「中絶した罰があたったんだ」と思いました。自分の我が儘でゴミのように棄ててしまった子。次は私がゴミのように棄てられる番だと。地獄に行って罰を受ける時が来たと覚悟しました。 なのに、私は誰からも棄てられませんでした。 離婚も死ぬことも許されませんでした。 反対に「生きてくれ」と今でも必死に支えてくれる主人と子供たち。 私は殺人者です。犯罪者なんです。 なのにのうのうと生きていて良いのでしょうか。こんなに愛してもらって良いのでしょうか。死ななくていいのですか。 死んで詫びれるものでもないですが。 「あの子も愛してあげたかった」と思いますが、あの時はどうしても無理だった。 あの子も生きる資格があったはずなのに奪ってしまった。 罪は罪です。罰は受けないといけません。 ただ、輪廻があるとしたら、あの子が幸せになっててくれたらと願っています。 本当にごめんなさいとしか言えません。 今はこんな私の側にいて愛してくれる主人と子供たちにも申し訳なくて。 さっさと死んだ方が良い。 地獄はきっと壮絶な苦しみでしょうが罪は償わないといけません。 でも、離れがたくて。死にたいけど死ねない。 懺悔しても仕方がないかもしれませんが お聞き下さってありがとうございました。 やはり死ぬのも地獄も怖いです…。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1
2023/09/02

過去の懺悔

中学生の時、虐められていました。 他のクラスの同じく虐められていた人と友人になりました。 お互い虐められていたことで意気投合し、自殺したいね、と、よく話ししてました。 ある日、私は理科室の掃除当番で普段は鍵の掛けられている劇薬の入った扉が空いているのをみつけ、薬を盗みました。 そして、友人とどうしようか、と、話しました。そして、友人はその薬を飲み、私は飲まなかったのです。次の日彼女は、学校を休みました。翌々日は、一緒に登校しました。 彼女も私も、薬のこと休んだことには一切触れませんでした。 仏様の導きだったのだと思います。彼女が死ななくて良かったと、今は思っています。 当時は、自殺幇助罪なんて言葉も知らないほどに幼かった私たちでした。 その事があったことを、ずっと私は忘れていて、最近ふと思い出したのです。そのことについて。今、彼女がどうしてるのかは頼りも絶えて何も分かりませんが、この罪の重さを思い出し、彼女の無事をただただご神仏にありがとうございましたと伝えることしか出来ず、それだけしか出来ない自分に不甲斐なさを感じ、また、彼女に謝りたくても謝れない今の状況に、悲しみを覚えています。 仏様は、こんな私でも許してくれるのでしょうか。また、彼女は、許してくれているのか、仏様に縋って聞くしかないのです。 その懺悔を聞いて頂きたく、こちらに胸の内を明かしました。ありがとうございました。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

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