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検索結果: 4755件

家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

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2022/07/07

自分の死に起因する母の死について

はじめてご相談させて頂きます。</br> 以前、父が遺伝性、且つ予後不良の神経難病を発症し、 現在は死を待つだけの状態となってしまいました。 そのため、私と妹は遺伝子の検査を実施したのですが、 私に父と同じ遺伝子が存在することがわかりました。</br> 父と同じ病気になる可能性があるとわかった私は、 母に「私が死んでもちゃんと生きてくれ」と話したのですが、 母は、妹と二人の孫がいるにもかかわらず、「それはできない」、 「私が死ねば自分も死ぬ」と泣きながら答えていました。</br> 私は、本人が最期に幸せだと思えればよい人生であると考えております。 父が病気となり亡くなることは、とても悲しくありますが、 父は最期まで幸せであったと信じられるため、耐えられなくはありません。 母に関しても同じで、病気、事故で亡くなってしまった場合、 その時点では幸せであったと信じることができると思います。</br> しかし、私が死んだ後、自死を選んでしまうのであれば、 母の最期は不幸なものではないかと考えてしまいます。</br> 子供に先立たれれば、自分も一緒に死のうと考える親は多いのかと思います。 ですが、実際に実行するかは別であり、時間や周囲の存在が少しでも心の傷を 癒してくれるのでしょう。 それでも、そう思えるのにも関わらず、病気になっていないにも関わらず、 自分が死んだ後、母が前を向いて生きてくれることを信じることができず、 母が後を追ってしまうのではないかとずっと考えてしまい、とても怖いです。 </br> そんな起こってもいないことを心配するような私に、 アドバイスを頂ければ幸いです。

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自分以外の者の死

私は物心ついた頃から「死ぬのが怖い」とよく泣く子供でした。それは自分の死に対してではなく、家族の死に対してです。 せっかく家族で旅行をして楽しい気持ちになっているのに「でもいつかこんな事も出来なくなる…」など余計なことまで考えて気分を台無しにしてしまいます。楽しい事をただ楽しいと感じたいだけなのに、死への恐怖1つでいろんな事を台無しにされてる気がします。 私は今小さな喫茶店で働いており、喫茶店で働く事は好きなのですが、お客さんは本当にお年寄りばかりで、 お年寄りのする会話は基本『寿命』と『病気』の話で、昔から死への恐怖が人一倍な私には苦痛でしかない内容です。 さらにお客さんにはよく「若い人は良いわね、私なんかもう働く事すら出来ないわ」などと言う事をよく言われます、最初はそう言われても嫌な気分も何もしませんでしたが、最近はそんな言葉に怒りさえ覚えてしまいます。 今の私は若い事が嬉しくないんです。 早く歳をとって死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。 大切な人が先にいなくなってしまうくらいなら長生きなんかしたくないです。 大切な人の死を見るくらいなら誰よりも先に死にたいです。 ですが自分がとても恵まれた環境にいて、幸せであるのに最終的に早死にを望んでいる弱くて自分を守る事しか考えてない自分もすごく嫌です。 申し訳なくて親には口が裂けても言えません。 少しでも命と向き合うにはどう考えていかなければならないのでしょうか。

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病気、人の死、自分の死が怖いです

今から約8年前、自分が高校生のとき 事故で急に姉を亡くしました とても仲が良く友達みたいな姉妹でした。 それからなのか人の死がとても怖くなり 家族が家に帰ってくるのが遅いと 事故にあったんじゃないかどっかで 倒れてるんじゃないかとか 異常なくらい心配になります。 また体のどっか気になることが あったりテレビで色々な病気の ドキュメンタリーを見るたび 自分もそーかもしれないと思い込み 病気になった気分になり 病気=死を連想してしまいます 少しどーかあると気になって気になって 色々検索してしまったり 今は卵巣に小さな奇形種があると 言われていてそれが気になってしまい 先生は経過を見ていくしかないと いう風に言ってくれてるのに それで大丈夫なのかとか色々 深く考えてしまいます。 もし病気が進行して手遅れに なってしまったらとか なんか病気だったらとか 考えるとキリがないです。 家族と笑いあってるとそのときは 楽しいのにいつかこの楽しさも なくなるのかなとか 誰かまた亡くなったらとか 考えると悲しくて仕方ないです。 今年は結婚もし赤ちゃんも10月に 産まれる予定です。 嬉しい事が続いてると余計色々 怖くなってしまって どーしたらいいか分からないです。

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2021/05/10

父の死に対して、自分がわかりません

一昨日の晩、父が亡くなりました。 父は四年ほど前に脳梗塞で倒れ、半身麻痺と高次脳機能障害を患い、会話もできず、話しかけたことに反射的に頷くだけの状態になってました。 意思疎通ができているのか分からない状態でしたが、少しでも良くなれば、と思い、入院していました。 最初の1-2年はリハビリも出来ていましたが、3年目になってくると面会に行っても眠っていることが多く、一方的に話しかけるだけになってました。 1年前、コロナの予防のため面会が出来なくなり、月に一度、15分のビデオ通話をしていました。 一昨日の夕方、父の容態が急変し、今際の際で「ありがとう」「よく頑張ったね」「お父さんの子供に生まれてきてよかった」と本心から伝えました。 そのせいか、まだ二日目だというのに「やり切った」という気持ちがあるのです。 「父はよく頑張った」「私も、家族もよく頑張った」という気持ちが出てきてしまってます。 こんな早く、割り切り始めている自分がすごく嫌です。 大好きだった父への想いはそんなに浅いものだったのか、と自分が信じられません。 実は、二年前、母が介護鬱を発症しました。 今も自宅療養をしていて、一日中ベッドから起きれない日も多いです。 母が重度の鬱になったのを「父が倒れなければ」と思ったこともあります。 母を自宅で看ながら、父の面会に行く忙しさにイライラしたこともあります。すぐに「そんなこと考えて死んでしまったらどうするんだ!」という気持ちが出てきて、イライラは消えるのですが、その瞬間は確かにあったのです。 また、これは完全に自分の責任ですが、仕事、看病、面会、各種手続きなどで疲労が溜まっていたせいか、一年ほど前に、事故を起こしてしまい、罰金刑を受けました。あの日あんなに疲労していなければ、と時々思ってしまうのです。 (お相手の方を骨折させてしまいましたが、命に別条はなく、リハビリも終えられているとのこと) それでも、父に会うたび、今際の際で「良い人生だった」と思って欲しい、そのために何かしてあげたい、という気持ちが湧いたのも事実です。 父の死が悲しいのか、よく頑張ったと見送れる気分なのか。 今抱えている悲しさや悔しさは、父の死に対してなのか、「父の死をきちんと悲しめない善き人ではない自分」に対してなのか。 私は人として間違っているのか。 今、自分がわかりません。

有り難し有り難し 10
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2023/04/02

父の死から、死について考えてばかりいる

死について考えてばかりいます。 ちゃんと仕事に行き、普通に毎日を過ごしていますが、頭の片隅にはいつも『死』が居座っています。楽しいこともするし、おいしいものも食べる。でも『死』を考えないことはないのです。 積極的に死のうとは思わないのですが、親が生きている間は死ねないなぁと思っています。昨年の夏父が亡くなりましたが、死んでからどこへ行くのだろうと考えます。あの世なんてあるのかな、そんなものあるわけないとか、考えは逡巡します。 死について初めて考えたのは小学生の頃だと記憶しています。自分が死んだ後も世界は回っていくんだ、今死んだら明日起こることは自分にはわからないんだと気づいて恐ろしくなりました。 死にたい(というか消えたい)思いと、親や夫、子どものことを考えると死ねないと言う思い、振り子のようにこの2つの思いの間を行ったり来たりしています。 今の自分の意識がなくなることが恐ろしいのかな。考えたりしている自分がいなくなる。それがこわいのかな。あの世なんてあるのかな。死んだらどこへ行くのかな。 そんなことを考えながら何食わぬ顔で普通に生活している自分に疲れてしまい、休日はほぼ寝たきりで過ごしています。 どうか死について教えてください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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母の死に対し、自分が憎い

母を亡くしました。 癌でした。 既に全身に転移をしており、長くはないとは言われていました。 最期は転移した場所が悪く、発見が遅れたこともあり真面に話すこともできぬままの別れとなりました。 感染症予防のため最期の入院の、約2ヶ月間は面会が制限され、非常に寂しい終末期を過ごさせてしまったと思っています。 病院側ならびに看護師のお計らいにより、泊まり込みにて死目には立ち会うことができましたが、やはり、寂しい終末期には後悔の念しかありません。 母にはもっと笑っていて欲しかった。 非常に辛い結婚生活を送り続けた結果がこれでは浮かばれない。そう思ってしまいます。 父と母とは所謂できちゃった結婚です。 父は結婚後すぐに心を病みました。 母に癌が見つかった後は病気を自己責任と突っ撥ね、治療費は出さぬの一点張り。買い物依存症になり、湯水の如く金を使い不要なものを買い続けました。 治療費は母の貯金と私の貯金とを切り崩すことでどうにか繋いでおりましたが、十分なことは出来ずじまいでした。 生前母が「もっと笑って生きていたかった」と言っているのを聞いたことがあります。 少なくとも私が生まれなければ、父と一緒になることも強いられず、母はもっと笑顔でいられたでしょう。 母の力にもなれず、癌を早くに見つけてあげられなかった私が伸う伸うと生きていることが憎い。恨めしい。 もう母は美味しいものに感動もできません。 綺麗な景色を目に焼き付けることもできません。 もう笑顔にもなれません。 自分の生きていく意味や、生きてきた意味のないことに震える私が、ただ憎く、ただ恨めしいだけです。

有り難し有り難し 14
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祖母の死が自分のせいではないか。

今月祖母が亡くなりました。脳梗塞からの誤嚥性肺炎で、死因は急性呼吸狭窄症候群というものでした。 ここ一年は、胃ろう生活で口から食べることを一切許されない状態でした。 その状態を、不憫に思った私は、施設に往診に来てくれている主治医に、何とか口から食べさせたい旨を伝えて、なんとか、検査入院させてもらえました。結果は、やはり、難しいとのことでした。丁度、胃ろうの交換の時期に当たっていて、いつもはA病院でして貰っていた物を、今回は検査入院できる、B病院で、胃ろうの交換をすることになりました。 入院中は、意識もはっきりしていて、ハナセハしない物の、手は動かせたりしてました。しかし、胃ろうの交換の時、胃の内容物が、逆流してしまい、肺に入ってしまったと主治医からの説明がありました。極めて危ない状態であると言われました。交換から帰ってきた祖母は、とても、苦しそうな呼吸にかわっていて、私は大変なことをおばあちゃんにしてしまったと思いました。主治医は、簡単な処置だから付き添いも要らないですよ、と言われてたので、とても、納得出来ませんでした。そこから、六時間後には、もう、祖母の意識は薄れているようで、マスクタイプの人口呼吸器などを付けて貰いましたが、翌早朝、いきをひきとりました。 私が、口から食べさせたいなんて、思わなければ、相談しなければ、こんな結果にならなかったんじゃないか。おばあちゃんは、息が出来なくて、苦しみながら亡くなったんだと、母や、母のお姉さんに、申し訳ない、いろんなきもちがわっと来て、胸が苦しいです。 ネットとかで調べても、そもそも、胃ろうしてる時点で、延命治療なんだから、とか、胃ろう交換に、耐える体力がなくて、病気や老いの方が、何枚も上手なだけだったとか、でてくるのですが、いつもの、A病院で、いつも通り交換を、していたら、まだ、おばあちゃんは、生きてて、あんな苦しい死に方しなかったんじゃないかと、自分を責めてばかりです。 おばあちゃんは、今どう思っているのでしょうか。

有り難し有り難し 16
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かけがえのない母の死、「死」について

長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。  やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。  父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。  毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。  そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。  母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。  私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。    そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。  生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。  自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。  父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。  今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。

有り難し有り難し 129
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2021/10/20

猫の死 自分のせい

昨年、飼っていた猫が亡くなりました。 まだ1歳でした。 今思えば、避妊手術をしたあとくらいから、性格が大人しくなり、食欲にも波があるようでした。 もう1匹の猫と元気に戯れたりもしていたし、ワクチン接種などで、病院には行っていました。 ある日、後ろ足がふらっとしていました。 その日は日曜日で、かかりつけの病院はお休みでした。でも、他の病院はやっているところもありました。 ですが去年もコロナが流行っていて、猫もコロナにかかる、という話を聞いていたため、病院も日曜は混んでいると思い、翌日の朝、病院へ行くことにしました。 翌朝、病院へ連れて行くと、「貧血だね」と言われました。 「吐いたり下痢したりはしてない?」と聞かれ、それはなかったので、「はい」と答えました。 点滴とステロイド注射をしてもらい、液体のご飯を食べさせてもらい、様子を見るように言われました。 帰宅し、ずっと猫と2人で横になっていました。 午後、猫が何度か鳴き、具合が悪そうに見えたので、朝とは別の、家の近くの病院へ行きました。 その病院では、「再生不良性貧血の可能性が高い。生きられても、明日、明後日まで」と言われました。 もう少し早く病院に行っていれば、助かったのかどうか聞きました。すると「それは分からない。だけど再生不良性貧血の場合は、助かっても定期的な輸血が必要で、体が弱い子だと輸血中に亡くなってしまうこともある。」と言われました。 その日も輸血することで、延命できることもあると言われたので、輸血のできる病院を探しました。なかなか見つからず、県外の病院にも電話しましたが、電話をしているうちに、猫は私の腕の中で亡くなってしまいました。   まさか、そんなに悪い病気だとは知らず、日曜日で病院も混んでると思って、翌朝に病院へ行くことを決めた自分が憎たらしくて、仕方ありません。 家には、犬と猫が他にもいます。本当はもう動物を飼う資格なんてありません。 猫が亡くなって1年経ちますが、母が、飼ってくれる人が他に見つからなかった、と言い、知り合いの人が保護した猫を連れてきました。 もちろん、大事に飼っていますが、本当は私は動物達と暮らす資格なんてないんです。 あの時すぐに病院へ行けば、もしかしたら再生不良性貧血とは別の病気で、助かっていたかもしれない。。 悔やんでも悔やみきれません。 私は最低です。

有り難し有り難し 58
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人や自分の死の受け止め方

先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
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