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検索結果: 3957件

自分の幸せ…

バツイチ子持ちの女性と約8年間付き合っており、自分も覚悟を決めて両親に彼女との将来について話をしました。 まだ両親と2、3度話をしただけです… 最初から自分も予想はしてましたが当然ながら賛成なんてしもらえるわけもなく猛反対… ここまで彼女がどういう人なのかという話をすることもなく…両親が言うことは面倒を見てもらいたくない・苦労するに決まってる…両親は自分の幸せを考えるとどうしても幸せになれるとは思えないようです。 ですがその本人である自分は彼女との将来のことしか考えれないですし、彼女と一緒になることが自分の幸せです。 当然ながらいいことばかりではないことも覚悟して受け止める気持ちもあります。 彼女との将来については何を言われようとも変わらないからとも両親には伝えてあります。 物事にはやっていいこと・悪いことがあってバツイチ子持ちの面倒をみることは両親から言わせると悪いことらしいです…それを聞いたとき自分は残念な気持ちになりました。 たしかに自分の取った行動は自分のことしか考えてないことだってことは分かってます。 でも…あまり言いたくはないですが両親の言ってることも同じことのような気がしてなりません。 お互いのことを考えると分かり合った上で祝福しあえることが1番だと考えています。 まだ2、3度しか話をしてないのですが…自分の気持ちが変わらないのであれば親子の縁を切ると言われましたし、もうすでに両親は覚悟を決めているようです。 ですが自分から言わせてもらうと人生の岐路に立っている状況でもあるのでもっと時間をかけていくべきだし、言い合いではなく話し合いを重ねるべきだと思うのですが… 長文失礼致しました。

有り難し有り難し 6
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2024/01/13

hasunohaが繋いでくれた幸せの縁

いつもありがとうございます。母の命日にお寺の近くで怪我をし門前の治療院で出会ったご縁、おかげさまで順調です。 その後、異動先でも彼は健気でした。もちろん治療院全体の患者に対する姿勢でもありましょうが、ちょっとした気遣いで人としての器を広げていく仕事環境や切磋琢磨している姿は、とても清々しく素敵でした。 気丈に振る舞いながらも新天地で生まれた弱音をこぼしてくれたこと、カーテンの向こうで波に揉まれている様子、三兄弟の次男らしく、周りに可愛がられながら、彼なりに努力している姿がありました。 帰り際、先輩からビシッと突っ込みがあった時に思わず「すみませんすみません!私の方がウッカリな所があって…」と、異動前にあったエピソード「私が予約を間違えた時に、彼が怒ったこと」や、「山程お客様に頂いた甘栗をそのまま手技療法の治療家に渡すわけにはいかないと、硬い皮をむいて、人数分差し入れた話」をこぼしました。あり過ぎて皮付きのまま渡した分は「僕と〇〇先生で、食べてましたよ」など先輩方には冗談として笑ってもらえたような記憶です。 去年の春まで介護支援記録を書いていたことから、一言一言を記し事実と感情を客観的に振り返る習慣が自分の中に未だにあるのですが、改めて今、彼の言葉の奥にある優しさや気遣い=愛情とその「真逆の言葉との違い」について鮮明になる今日この頃です。 彼が望むものは何だろうか…ずっと考えました。 きっと「自分が尽くせる存在、自分の好意を認めてくれる人」であり、自然と出る優しさ=自分の存在価値を肯定されることで、安心や落ち着き、自信に繋がるのかと思いました。 まだまだ経験を積んでいる段階なので「失敗や弱点などのミスも受けとめてくれる存在」「必要に応じてより良くなるためのアドバイスや、別の視点からヒントをくれる人」が何より有難く映るのかとも…チームそのものが成長したい気持ちに満ちた風土なので、陰からありのままを包み込んで「疲れた時に休ませてくれる存在」がいれば「ひとりでにまた前進していく」そんな風に映りました。そしてそれは、私がかつて施術者として探求、観じていた理想と一致しました。 二人共「精神的な繋がり、思いやり」があればそれぞれが日常の目標・自己実現に向かって頑張れる。そんな絆に恵まれたこと、幸せに結びつくご縁をhasunohaが繋いでくれたことに深謝の限りです。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

結婚と縁について

44歳独身男です。30代前半で婚約し式を挙げるも相手の約束破りのために入籍を取りやめました。その相手は自分の要求に合う別の方とご結婚されたと聞きました。そこから12年ほど、仕事に打ち込みながら実績を積むことができ、東日本大震災にも負けずにがんばってきました。 最近、前回の入籍取りやめの気持ちからようやく解き放たれ、40過ぎてここからの人生をやはりひとりぼっちではなくパートナーと歩みたいと思い始めました。自分の幸せは何かを悩み色々な本を読み、自分なりの決意と覚悟を持ちました。幸せの形は人それぞれとの話が蔓延していて・・・でも私にとってはやはり結婚生活が幸せの形であると自分の気持ちに素直になることにしました。 そうして色々と外に出るようになると、不思議とご縁の話を数件いただきました。前置きが長くなりましたが、その中のお一人と現在お付き合いしていて、その方は4年前に私の父の葬儀に参列してくださった方のご近所の方で、その方からご紹介をいただきました。決断には4年かかりました。父のお兄さん(伯父)が父の通夜葬儀の際に「亡くなる人は魂を置いていくから、何か出会いがあるかもしれないので、それを逃すな!」とおっしゃっていたので、ずっと心に引っかかっていました。私の結婚をずっと心配してくれた父が引き寄せてくれたんじゃないかと勝手に思っています。年齢的に3歳年下で職種も同じ、学生時代の部活動も同じ種目ですので話が合いますが、今後のお付き合い次第でどうなるかはわかりませんが・・・。 自分の中で更に納得して気持ちを固めたいので、お坊さんの世界では、このようなご縁について、どのような考えがあるかお聞かせいただけるとありがたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1
2022/06/17

幸せになりたいです

解離性障害で入院中の学生です。 これまでの人生、自分なりに努力してきたつもりでしたが、心の糸がぷつんと切れてしまいました。 学校からも、家庭からも逃げ出してしまいました。 今はまるで心が空っぽになったかのように感じています。 主治医の先生からは、逃げるべきだった。それでいいと言われました。しかし先生からそう言ってもらった上に病名がついてもなお、これはただの甘えではないか、責任回避ではないのかと自分を責めてしまいます。 まだたった20年にも満たない人生ですが、このまま生きていていいのか、生きていて幸せになんてなれるのか…色々なことが不安です。 そう思うのにはいくつか理由があります。一つが、私は欠陥だらけの人間だと思うからです。当たり前のことができなかったり、いつも何か普通ではないのです。おそらく世間ではマイノリティな存在なんだろうな、とは薄々感じています。 そのせいか、人から理解を得ることが難しいです。先生や友人からはもちろんのこと、一番身近な存在である親からも分かってもらえませんでした。 いつも、いつも孤独感に苛まれています。どこにいても独りぼっちです。精神面や、体調も安定せず生きているだけで精一杯なのが現状です。 二つ目が、人を愛せないがために自分を愛してもらうこともできないということです。家族や友人を愛すのも難しく、自分を責めてきました。 当たり前に、幸せそうで楽しそうで充実した毎日を過ごしている周りの人たちが羨ましいです。私もそんな人生を送りたい。普通になりたいです。 しかし今の状況は全て自分の行動や選択に責任があるのだと自覚しています。 こんな私ですが、生きているうちに幸せになるにはどうすればいいのでしょうか。ご助言をいただけると嬉しいです。 長文、乱文失礼しました。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

幸せ

私は数年前、その時手にしていた幸せを自らすべて捨てました。 私がそれまでの人生で望んでいた幸せを何もかも持っていたのに、手に入れてしまったらその価値を忘れ、自分は満たされていないと思い込み、くだらないことに没頭し、大事なことが何なのかわからなくなって、全て捨てて、今は何もありません。 何もではないかもしれない。 本当にほんの少しだけど、残っているものもあります。 だから、その少しでも残ってくれた大事なものの為だけに私は今生きています。 だけど、たまに、自分が失った、愚かな自分が捨ててしまった尊いものたちのことを思うと、どうしようもなく苦しくなります。 なんて自分は馬鹿だったのか、何故そんなことをしてしまったのか、後悔の思いでいっぱいになり、苦しくて、苦しくて… でも死ぬことはできません。 少しだけ残った大事なものの為に、私はまだ絶対に生きていなくてはいけません。 死ぬことは、それすらも捨てることになってしまうからです。 私は生きなくてはいけない。 でも苦しい。 いつになったら、この苦しさから抜け出せるのか、人生が終わるまでこの苦しみは終わらないのか。 この苦しさこそが、私が犯した罪への贖罪であるのだから、苦しみ続けるべきだと思うこともありますが、辛いです。 私は苦しまなくてはいけない。 楽になるなんて許されない。 時間を戻せるなら、あの頃に戻りたい。

有り難し有り難し 20
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2024/02/06

幸せなのに、幸せになる覚悟がもてません

私は、過去に沢山の苦しい事がありました。 虐め、虐待、ネグレクト、性被害、沢山苦しい事があり、幼少期から重い精神疾患でした。苦しいことが沢山あった中で、「私は幸せになってはいけない」という価値観で自衛するようになりました。それは今は呪いになってて「ダメ出しの存在」として私の中で、私の主導権を奪っています。だから今の私から見える世界は全て呪いの目から見たものになってて辛いです。 4年前に信頼できる精神科の医者に出会え、そこから努力と周りのフォローもあり、どんどん病は良くなるものの、自分ではそれを認められず、最後の最後にある「ダメ出しの存在」という存在が、私の幸せを踏み荒らすのを許してしまってます。 幸せなのに「お前は不幸だ、一生不幸だ、幸せになんてなれない」と呪いの言葉を何度もぶつけて、その存在と一体になってしまってます。 私は幸せになりたい、この4年で支えてくれた人達と幸せでいたいし、幸せなのに、呪いの言葉で私は不幸、という思い込みが消えずに辛いです。 人生は苦という事を何度も医者からも教わっていて、 呪いの言葉で私は、「自分は不幸だからもっと頑張らないと」と、頑張ることを止められず、人生は苦という事から逃げ出そうとして苦しむし、 不幸じゃないのに不幸だという妄想で苦しんでます。 人に感謝して生きてきたい。ありのままの自分を愛していきたい。 どうかアドバイスを頂けませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
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