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検索結果: 742件

あの世に行きたい

私の母は8年前に肺がんで亡くなりました 対人恐怖症でもありました でも全く気づかないくらい明るかったです しかし、今思えばキッチンに大量の処方薬があったこと、私は風邪薬や頭痛薬だと思い気にしていませんでした 気づいてあげられなかった事に後悔しています 母は買い物依存症だったのか、多額の借金がありました 私が中学生の3000円のお小遣いに始まり、お金の無心に来るようになりました 就職して十一万のお給料から30000円家に入れていましたが、それでも足りずまた無心することもしばしば 十三万のお給料から七万渡したこともありました そんな時暇つぶしに登録した出会い系サイトでメル友探しをしていましたが、また30000円貸してと言われ、やけを起こし身売りしました これで母が笑顔になるならいいと思いました 笑顔で受け取っていました 私が何をしたかも知らずにです 恐らくこの事が原因で統合失調症になりました 常に周りを気にしていました そして今は精神科に通院していますが、一向に良くなる気配がなくむしろ悪化し幻聴が出てきました 精神科に通う前母が亡くなった後、祖母の病気の結果を総合病院へ行ったのですが、中学校の同級生に通りすがりに死ねばいいのにと言われました もう一人は笑っていました その人は私を物凄く嫌っていたので幻聴ではありません 天性人語という言葉がありますが、天の声だったのでしょうか? 未だに忘れる事が出来ず、本当に母があの世に連れていってくれたらと毎晩泣いています どうしたらあの世に行けるでしょうか? 魂を抜いて欲しいです 長くなりましたがよろしくお願いいたします

有り難し有り難し 39
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魂とあの世はありますか

彼氏が事故で突然死にました。 世間的には許されない恋愛を何年もしていましたが、全ての解決の見込みがたちました。 しかし結婚の予定がたった矢先彼は 突然事故死しました。 事故後数日間の記憶はなく お通夜、告別式も終わっていました。 涙に明け暮れる毎日で 何日も寝込み点滴で生きる日を過ごし、今日に至っています。 本当に優しく、私を気にかけてくれる彼でした。 私もいつも甘え、頼りにして過ごしていました。 彼の居ない人生なんて考えられませんが どれだけ待っても帰ってきてくれません。 それでも死んだなんて信じられません。 彼の魂は傍にいるのか、私を必ず守ると約束したのを忘れずに見守って居てくれるのか、いつかは会いにきてくれるのか お墓を知らないので行くことも出来ず写真に毎日話しかけては泣いてる日々です。 宗教には詳しくありませんが、彼の実家のお墓が曹洞宗なのは知っています。 世間的には良くない恋愛でしたが私達は本気でした。 あと少しで幸せに手が届くところで居なくなってしまった彼。 今はどうしているのでしょうか。 傍にいるのでしょうか。 話しかけてるのは通じてるのでしょうか。 いつかはまた会えるのでしょうか。 今は幸せに過ごしているのでしょうか。 良くない恋愛だったので地獄へ行ってしまったのでしょうか。 曹洞宗はあの世を認めないような文章も読みましたが、本当に考えるだけ無駄なのでしょうか。 精神的ショックで薬を手離せない私は立ち直れない日々です。 藁にもすがる思いで書かせて頂きました。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2
2022/11/08

宗派が違うとあの世でも別れ別れ?

仏教では 宗派が違うとあの世で別れ別れ 霊になっても生き別れになる と言う解釈になるのですか? 私は歴史小説などを読むのが好きです そこで出てきた話ですが 徳川家康が亡くなる前、病床で藤堂高虎(伊勢国津藩主)に対して 「宗派が違うからあの世では会うこともできない、今が名残惜しい」 のようなことを言い 藤堂高虎が 徳川家康と同じ宗派に改宗した と言う話があります。 これは 仏教では当たり前の考え方ですか? もし仏教ではなく、結婚や養子縁組などで 相手の宗派だけでなく宗教そのものまで違っていた場合 あの世ではもう会えないという考え方が一般的なのですか? ちなみに 徳川将軍家の菩提寺は 増上寺と寛永寺があったと思うのですが 宗派は違います。 どちらに葬られるかはそれぞれの将軍が遺言を残していたと思うのですが 先代将軍と違う寺に葬ってほしいと遺言した場合は 父親、兄、養父などには会えないで構わないという気持ちだったのでしょうか? そうなると 徳川家の血筋で  かつ 江戸時代後期は 養子縁組を繰り返した 会津藩の場合は 代々仏教ではなく 神道でしたが 養子に出る→死後は親に会えない と言う覚悟が必要でしたか?

有り難し有り難し 29
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2022/12/20

霊魂やあの世についてお坊さんの考え方

お坊さんは霊の存在 あの世の存在について 「真実はどこにあるのか」意見交換のようなことはしないのでしょうか? 普通 専門分野には 「学会」などがありますよね 例を挙げると 医者の世界なら 学会で 様々な治験結果を発表して 病気に対してどんな治療法が有効なのか 意見交換をしたりします。 そして その結果は一般人も知ることができ普段の生活習慣や食生活などにも気を遣うようになる人もいます 仏教でも宗派によって「霊魂は存在するか否か」についても見解が違うようですね。 真実がどこにあるのか情報収集をしたり学会のような意見交換はないのでしょうか? (どのように敬称を使うのかわからないので 以下敬称略で書きます。申し訳ありません) 歴史のタラレバの話になりますが もしも 最澄や空海が乗船していた遣唐使船が暴風雨に見舞われた時に海没していれば後の天台宗や真言宗はありませんでした。 法然が父親の敵討ちのために武士になる道を選んでいれば後の浄土宗はありませんでしたし、弟子の親鸞も存在せず浄土真宗もなかったかも知れません。 土御門道親が長命で朝廷の権力争いに勝ち位人臣を極めていれば道元も公家としての生き方をして曹洞宗はなかったと思います。 北条時宗が平頼綱を止めなければ日蓮は殺害されて日蓮宗はなかったと思います。 ちょっと歴史が変わっていれば、現在仏教の宗派も存在しなかったり、新しい宗派ができていた可能性もありますが それによって霊魂やあの世の存在について真実が変わることもないはずです。 多くの人に嫌われたり 尊属にも虐待されて生きてきた人 周囲と仲良くやってきて尊属の愛情を感じて生きてきた人 人それぞれです、 友人やペットなどに対する思いも人それぞれです 霊感商法に騙されて 宗教=悪と思っている人もいると思います あの世や霊魂があるのか 真実を知ることで生き方も変わってくると思います お坊さん=霊能者 ではないことはわかっていますが いろいろな人の体験談を聞いたりして 何か真実なのか調べようとすることはないのでしょうか?

有り難し有り難し 38
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あの世にしか私の味方がいない

以前旦那さんが亡くなってすぐに質問させていただきました。 あれから3ヵ月半経ちました。 たった3ヵ月半ですが、私はもう何十年生きたくらい、生きるのに疲れました。 旦那さんとお別れした当初は、これからは色んな人に助けてもらえると思っていました。 けれども今、誰にも自分の気持ちを話さず、1分1秒ごとにくる苦しみを1人で耐えている地獄のような毎日です。 歯を食いしばりすぎて、そろそろ顎が割れそうです。 両親には毎日夫婦のやり取りを見せられています。 ご飯の味が濃いか薄いか、私の息子が今日こんなことをした等、毎日小さなことをなんでもお互いに報告する姿を見せられています。 もう彼らにとっては日常で、芸能人の訃報がテレビで出れば、へー!死んじゃったんだ!と言われます。 お父さんとお母さんでベビーカー押してる人がいたよ!と言われます。 義理の家族には、百箇日の法要を勝手に私の誕生日に開催されました。 その時に、あなたの誕生日だから、よかったら来ない?家族のみでやろうと思ってるの!と言われました。 彼の家族は私と息子なはずなのにおまけです。 私の誕生日に彼は喪服を着て祈ってほしいと思っているようです。 また納得できないから、彼の健康診断の結果を見せてほしいと言われました。 妻の私の至らなさをあーだこーだ言われそうです。 それらを聞いても、私の両親は義理の家族に何も言いません。 むしろ返事をしない私が失礼をしたと、謝っています。 友達も最初は連絡してくるくせに、今はほとんど連絡してきません。 私に死なないでほしいと言います。 でも何も助けられなくてごめんと言われます。 彼を失っただけでも辛く悲しいのに、世界はさらに私を傷つけてきます。 味方は旦那さんだけだったと、つくづく思い知らされます。 もう生きるのが辛い。 息子を養護施設に置いてくる勇気さえあれば、すぐに死ねます。 息子の前では必死に笑っていますが、毎日何度も何度も死にたいと口にしてしまいそうです。 自殺する方の気持ちがよくわかります。 生きるのが辛いんです。 死んで、周りの人たちにどれだけ苦しいか思い知らせてやりたいんです。 この世界に味方はいない、誰も助けてくれない。 なぜ、私は生きなければならないのでしょうか。 彼を救えなかったのは私です。 謝っても許されない、その罰を受けるので、誰か私を殺してください。

有り難し有り難し 91
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父と母はあの世で会えたのでしょうか

父を十数年前に亡くしております。先日母も亡くなり、もうすぐ四十九日をむかえようとしております。 父は生前病気を患っており、父が亡くなるまで母は介護や自分が良いと思った治療を懸命に行っておりました。とにかく良くなってほしいと諦めませんでした。 母自身も重い持病があったにもかかわらず、父が病に倒れてからは私達兄弟を一人で大切に育ててくれました。 母の晩年、自分の病気が酷くなり、よく仏壇の父に向かって自分の病状を嘆いていたものです。 しかし、子供も独立しそれぞれ家庭を持って孫も産まれて、持病があってもお母さんは幸せだと言っていました。 そんな母の最後の入院中、苦しさのあまり早く父に迎えに来てほしいと訴えていました。うなされながらも感謝の言葉と父の事を何度も呼んでいました。 最後は眠るように穏やかに亡くなったのですが、意識が無かったのにも関わらず最後に声を上げたのです。 入院中に何度も言っていた「ありがとう」という皆への感謝だったのか、父を呼んだのかは分かりませんがあの声は忘れられません。 父は迎えに来てくれて、二人は会えたのでしょうか? ずっと気になっています。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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