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検索結果: 365件

死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

有り難し有り難し 19
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死後の世界について

こんばんは。 明日、ひいお婆ちゃんのお葬式があります。 どうして人は死ななければいけないのか、 おばあちゃんや親族とと一緒にいた方が幸せなのに、どうして離れなければいけないのか、全部忘れてしまうのかと 死 についてずっと考えていました。 夜、ねれなくて、死後の世界について調べていると、天国や地獄も実際にあることを、臨死体験の方の証言で知りました。 証言によると、お釈迦様やイエス様の愛が心にある人は天国へ行き、守れなかった人は(宗教が心になかった人は)永遠に地獄で苦しんでいること。誰もが死の後、この裁きを受けこと。 急に全てが怖くなりました。 ひいおばあちゃんも裁きを受けるのか、天国で安らかに過ごしてほしいです。 そして自分も、今、23才ですが、不平不満を言ったり、自己中心的であったり、自分のことが嫌いだったり、正しい行いはできていません。これから正していけば、赦していただけるでしょうか。とても怖いです。 大切な家族や、友人や恋人も、 いつも宗教が心にあるわけではないと思います。 すごく熱心に宗教に精通している家族ではないので、、申し訳ありません。 お釈迦様、イエス様の教えに背いてしまったり、してしまうこともあったのかもしれません。(わたしよりはみんなとてもいい人たちなのですが、) それでも大切な人たちにはみんな天国で過ごしてほしいです。 明日のお別れが辛いこと、 そして今後、大切な人たちや、自分も裁きを受けることが不安で、 死への恐怖が、裁きへの恐怖が怖くてどうしたらいいかわかりません。 これから行きていく上での指針や、 自分がこれからできること、 わたしがこれから家族や大切な人たちの今後のためにできること 仏教の面から助言を頂けますと嬉しいです。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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2021/12/16

死後の世界は本当にあるんでしょうか?

最近死後の世界が存在せず、ただ意識も無い『無』の世界が永遠に続いたら嫌だな、と思っています。 もちろん世の中で死んだ事のある人なんていないのですから、悩んでいたって死ぬまでそんな事は分からない事は承知しています。それでも怖くて泣いてしまう事もあります。怖くて仕方がありません。 今年は親戚が亡くなってしまったり、身内が病気になって状況が悪くなっていく一方で、そう言う雰囲気にも影響されつつあると感じます。 死後の世界がある可能性も無い可能性も否定できません。私はあってほしいですし、亡くなった方がそこで幸せな気持ちになってほしいとも思っています。 この生涯で幸せになった分を大切な人に与え、最期を迎えた後は天国などでその人達を見守っていたい、とも願っています。 良ければ、 ①死後の世界について不安や恐怖を感じた事はあるか ②あった場合、どのようにして克服したか ③死後の世界や生まれ変わりについての考え ④死後の世界があるとして、そこで何をしたいか 教えてくださると嬉しいです。 このような事で悩んだ事は初めてではなく、前回は小5の時、そして今は中3です。悩んで怖くて勉強が手につかないほどなので、不安を軽減したいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
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2023/11/18

母の定命と死後の質問

こんにちは。 二回目の相談になります、よろしくお願いします。 以前の問答の通り、母が緩和ケアになりました。 母は当初からずっと癌の根治を目指して抗がん剤などの治療を希望していたのですが、毎回いざ治療をするというタイミングで、 母が人工肛門の手術とがん宣告のショックから精神症になり幻覚や妄想の症状で治療ができなくなったり、 細菌感染か腫瘍熱か分からない熱により抗がん剤が打てなくなったり、 熱が治まる頃には医者が驚くほど転移癌が進行し、肝臓が機能しなくなり、治療ができなくなりました。 僕はその頃、毎日神社やお寺に行って祈祷やお百度参りで「せめて、本人の望むような治療をさせてあげてください」と願っていました。 僕も最初は「なぜ、母のような頑張って来た人が、神様はどうしても母ここで殺したいんじゃないのか」と思っていました。 そんな時に「定命」というものを知りました。 もしかしたら、母は授かった寿命はここまでで、神様や仏様は頑張って来た母にせめて悔いなく過ごせるように癌というタイムリミットが分かるような病気にしたのではないか、 もしくは、ここから先は身体の不自由や加齢による認知症、僕が結婚して母が独りの時間が増えることで、母の人生は幸せとは言い難くなることを神様や仏様は見かねて、ここで打ち止めにしたのではないか、と考えるようになりました。 正直僕もショックで、まとまった文章が書けません、申し訳ないです。 お坊さんに聞きたいことは以下の通りになります、お答えいただけると幸いです。 ①定命はあると思いますか、また、神様や仏様が死に方にも関わっていると思いますか(せめて苦しまないように一瞬で…であったり、やり残しや後悔が無いように残りの時間が分かるもので…など) ②浄土真宗では、本人が南無阿弥陀仏を唱えることで浄土にいけるという教えだったと思うのですが、本人が唱えられそうにない場合は代わりに唱えても浄土には行けるのでしょうか ③母とはあの世で会うことはできるのでしょうか、また、仮に仏様になったら、この世では夢とか別の生き物としてでも、もう会うことはできないのでしょうか ④死後は生前の苦しみから解き放たれているとは聞くのですが、晩年の精神症(認知症や統合失調症のようなもの)はあの世に行ったら治っているのでしょうか、また、仏様になっても生前の記憶はあるものなのでしょうか

有り難し有り難し 19
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2023/02/19

ペットの死後の世界は

とても懐こくて家族で可愛がっていたハムスターの福ちゃん(1歳4ヶ月女の子)が一昨日旅立ちました。 年末に脇の下に小さなしこりを見つけ、呼吸も少し早くなり動物病院へ行こうとした日に家族全員がコロナ感染。療養中も気にしてうつさない様に気を付けながらお世話をし、療養期間が空けて直ぐ動物病院へ駆け込みました。 超音波とレントゲン検査をした所、皮下腫瘍の他に内臓腫瘍が幾つも見つかり、呼吸は胸水によるもので手術は逆に危険なので不可。残された日を一緒に大切に過ごして下さいとの事でした。 出来る事ならば痛みや苦しみを最小限にしてあげたい訴え、病院から内服薬を貰って毎日お世話をする中、眼球突出して両目を失明…福にとっては壮絶な闘病生活だったと思います。 安楽死も頭に浮かびましたが、それは全て自分の都合だと思い、福が命を全うするまで寄り添う覚悟を決めました。 それでも自分が決めた選択は正しいのか?どうしてこんな事に?コロナに罹らないでもっと早くに病院へ行っていれば助かったのでは?と自問自答して気持ちが揺らぐ毎日でした。 満足に動けない中、撫でて欲しいと近寄って来ては「いい子ね」と抱き上げ、お腹が空いていないか?喉は乾いていないか?と常に気にかけていましたが、どうしても出掛けなければならない用事があり、ほんの少し娘に託している最中に「福が逝ってしまった」と電話が掛かって来て、急いで帰宅すると眠ったままの体勢で息を引き取っていました。 安らかに逝けたかな?と想像する事しか出来ませんが、その瞬間を看取ってあげられなかった悲しみや後悔の他に「これで痛みや不自由さから解放されたね、楽になれたね、頑張ったね。」といった安堵の様な気持ちもあります。 昨日家族皆で立ち会い火葬をして貰い、骨も拾い上げました。全ての骨が崩れる事なくしっかり残っていました。まだ気持ちの整理がつかずに片付ける事が出来ないゲージの中に骨壷を置き、お花とご飯、おやつをたっぷり供え、福は静かに眠っています。 (暖かくなったら遺骨を樹木葬にしてあげたいと思っています。) あの子と一緒に過ごせた日々はとても愛おしくて幸せな時間でしたが、福も同じ様に幸せだったのでしょうか?無事に向こうへ辿り着けたでしょうか?腫瘍による多臓器不全や浮腫で満足に動けず、視力も失って逝ってしまった福はあちらの世界でも不自由なままなのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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ペットの死後を考えると虚しくなる

何度かお世話になっております。取り留めのない話になるかもしれませんが、もしよろしければご回答をお願いいたします。 私は現在大学3年生です。今まで何度かご縁があってか、動物を保護することがありました。 3ヶ月前には扁平上皮癌という病を患った老猫を保護しました。とても辛い病気です。当然、保護したからには、どんな病気でも、最期まで責任を持ってお世話するつもりです。 そして猫の最期はそう遠くの未来の話ではありません。猫はもう十分に頑張っています。そのときがきたら、お世話をさせてくれてありがとう、会えて幸せだったと感謝の気持ちで見送りたいと思っています。 しかし、この子が亡くなったら?その後は?と考えると、とても虚しい気持ちになってしまいます。全てどうでもいいのです。何もしたいことがありません。オシャレするとか、遊ぶとか。 大学3年生の現在、同級生は就活を始め前に進もうとしています。しかし私には就活の志望動機どころか生きる意味すら見出せません。 付き合っている彼氏は大学を出たら私と暮らしたいと言ってくれますが、もっといい人いるのに、どうしてこんな奴と、なんて考えてしまいます。自分から振る勇気もありません。最低です。 私だけが辛いのではないことは重々承知です。そもそも動物を飼うことは最期までお世話をするということで、当たり前の事が起ころうとしているだけです。 それなのに何故こんなにも虚しく空っぽになるのかわかりません。私は猫の世話をすることに生きる意味を見出そうとしている、それ故に猫がなくなることで生きる意味がなくなるのでしょうか。 長くなりましたが、大切な存在を亡くしたら、どのように生きていけばいいのでしょうか?

有り難し有り難し 6
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