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友達の幸せを喜べない自分が嫌い

回答数回答 3
有り難し有り難し 398

私は友達の幸せを素直に喜んであげられません。
比べること自体間違ってる事は分かっていても
友達と自分を比べて
私は幸せじゃない・・・
と悲観してしまいます。
なので友達の幸せを笑って喜ぶ自信がないので
わざと友達を疎遠にしてしまいました。
友達に会いたくないです。
誰にも会いたくないです。

こんな自分が大嫌いです。
これじゃあ幸せになんてなれないと分かっていても
友達の幸せを見ると心がギューっと締め付けられます。
最低な自分です。
友達いなくてあたりまえです。
無い物ねだりだと言う事も分かっています。
それでも日々辛いです。
悲しいです。

どうしたら友達の幸せを心から
喜んであげられる優しい心になれますか?
どうしたら自分を愛してあげられますか?
教えてくださいお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正直

*Spica*さん、こんばんは。

最近読んだ本に(書名を失念しましたが)、「人は他者が不幸になったとき、相対的に幸福感を感じる」と書いてありました。自分の状況が変わらなくても、周りの人が不幸になれば、自分は幸せだと感じられるという事です。
また、鎌倉時代の親鸞聖人という高僧は自分自身のことを「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり」とおっしゃっています。「人間が持つ悪しき本性はなかなか止めることはできない。まるで毒蛇・毒サソリのようなものだ」という意味です。
どちらも身もフタもないですが、真実だと思いました。

お恥ずかしいことですが、私自身にも当てはまることです。
もし自分が欲しているものを他者が得れば、私の心は「嫉み9:祝福1」ぐらいになるでしょう。
もし自分が興味が無かったり関連が薄い分野であれば「嫉み1:祝福9」になるでしょう。

他者の幸せを喜ぶには、自分が幸せで、自己肯定感がないと出来ないことだと思います。
*Spica*さん、友達の幸せを素直に喜んであげられない、そんな自分を認めてあげてはいかがでしょうか。

この問いを読んで私が感じたのは、*Spica*さんが「心が狭いイヤなヤツだ」という事ではなく「正直な人だな」という事でした。少なくとも私は*Spica*さんを、そう見ています。

そして仏さまという存在は、私や*Spica*さんがどんなに後ろ暗い思いを抱いていたとしても、丸ごと受けとめて下さいます。私はそこに、大きな安心感を抱いて人生を歩んでいます。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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自分の長所に気づく

*Spica*様へ

無理に自分の気持ちを偽ってはいけません。
きっと心から喜ぶことができないのはどこかになにかがあるからでしょう。

でも、本当に大切な友達であれば、
友達がもし、自分であったらどうしてもらいたいか
そこから考えていくことが大切なのではないでしょうか。

まずはしていただきたいことがあります。
今の自分を受け入れて自己評価。
人は決して短所ばかりでなく、長所もあります。
自分の長所に気づき、その長所を磨くことで自分に自信を持つことでしょう。
それにより、自然と自分のことが好きになっていきます。
自分が自分を愛さなければ誰が愛してくれますか。
まずは自分です。

                 合掌

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おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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仏様の物差しでみてみよう

幸せな友達と自分の状況を比べてしまい、友達の幸せを喜べないのですね。

そして、そういう自分をいやだと思ってしまう。

人間は、どうしても他と比べてしまうものです。
そして自分が幸せか不幸せかと決め、そのことにとらわれてしまいます。

これは人間の物差しです。

比べることから一歩離れてみたらいかがでしょう。

浄土真宗では阿弥陀様を信じますが、阿弥陀様を別の言い方で「無量寿」とか「無量光」ともいいます。

この「無量」を心にとめておいてはどうでしょうか?

「無量」とは、はかることができない、はかってはいけない、ということと考えてよいでしょう。

私たちは、(客観的な物差しではなく、きわめて主観的な)物差しで人をはかり、自分をはかります。

そしてその物差しによって、自分が幸せだとか不幸せだとか決めてしまいます。

そしてそのことにとらわれ、苦しみます。

仏様の物差しは、ちょっと変ですが、目盛りがありません。(それが思い描くことができないなら、すっごくおおざっぱな目盛りの物差しを思い描いてもいいでしょう。)

目盛りをなくせば、どちらが大きい、どちらが小さい、などと比べることも無意味です。

今まで私たちは、自分の小さな物差しで自分をはかっていました。

その物差しを捨て去ることは、現実にはできない相談です。

でも、ときおり仏様の大きな物差しで自分のまなざしを考えてみませんか?

自分の物差し以外にも仏様の物差しがある。

仏様の物差しではかれば、友達とあなたの幸せはどれほどの違いがあるでしょうか?

みんな仏様の慈悲に包まれています。

一緒に仏様の物差しを心に持っていきたいものですね。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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質問者からのお礼

お返事を読んで気持ちが軽くなりました。
こんな自分だけどいいのかな?
と少し思えました。
自分を好きになるのにはきっと時間がかかるかもしれませんが
ちょっとづつでも自分を大事にしていけたらいいなと思いました。

本当にありがとうございました。

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