優しさとは何でしょうか?
親戚に、独り身で要介護の女性がおります。
本来なら施設入所もあり得る状態ですが、本人の強い希望で自宅で一人暮らしをしています。
家族は誰もおらず、自分のことは自分でしか決定出来ない状態の人です。
訪問ヘルパー等の社会支援は受けていますが、現状足りているとは言えない状態です。
彼女の知人達が有りがたい事に手を貸してくださることも多いですし、私も以前は手を貸すこともありました。
彼女に関わる人は皆密かに「彼女が自宅で暮らすにはもっともっと社会支援が必要であるか、或いは、施設入所も考えねばならない」と感じています。
しかし本人は自分がそんな状況だとは認めたくない。
何となくその旨を彼女に話しかけて下さる方もいるのですが、「私は今のままで一人暮らしができる!」の一点張り。
本人は別に、誰かに迷惑を掛けたいとかわざわざ手を借りたいとか思っていないようなのですが、今のままではそうせざるを得ないし、実際そうなっているのです。
その自覚がない。自分でどうにか出来ていると思っているようです。
それならば、と、私は一切手を退くと宣言して、余程必要でない限り関わらないようにしています。
別に、緊急時にSOSを出されても出向かない、と言うわけではなく、ただ単に言われないなら自主的には一切何もしない、という感じです。
けれども、知人の中には「そんなあなたは冷たい」と言う人がいます。
確かに私は彼女をよく思ってはいないし、冷たいかも知れません。
ですが、家族のいない彼女の面倒の一切を引き受ける人はいないし、私も親戚達もその知人達も、自分の都合で手を出したり出せなかったりするのです。
何かあった時に100%駆け付ける人など、彼女のことで責任を持てる人など、一人もいないのです。
「酷い目にあえ!」というのではなく、口で言ってわからないなら体感してもらうしかないと思っています。
これはそんなにも「冷たい」ことでしょうか?
優しくは確かにないでしょうが、不確定な手出しを「優しさ」と本当に言えるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
冷たい自分を受け入れたくないだけ。
七海さんへの直接の回答にはなりませんが、私の母のことを思い出しましたのでお話させていただきます。
寝たきりの義理の父親(私から見たらおじいちゃん)の介護をしていた母は、(私から見て)それはそれは良くじいちゃんの世話をしていました。
そのじいちゃんが縁尽きて死んだとき、母はぼそっとこう言いました。
「ようやく死んでくれた・・・」
当時の私はなんて冷たいことを言うんだ!なんて軽蔑にも近い感情が沸いてきたことを覚えています。
でも母はわかっていたんだと思います。
じいちゃんが死んだとき、悲しみよりもむしろ安堵にも似た気持ちが自分に沸いてきたこと。
それが決して優しい感情ではないこと。むしろ冷たい感情であること。
本当の自分自身が優しくないこと。自分自身が冷たいこと。
本当の自分が、ある条件では優しかったとしても、その条件でなくなれば冷たくなってしまうこと。
きっと母のこころの中に葛藤があったんだと思います。
そして母は、冷たい自分だと自分自信を受け入れ、敢えて冷たい自分をさらけだしたんだと思います。
そんな人間らしい母のことを母が亡くなった今でも大好きです。
本当に優しい仏さまの様な慈悲のこころをお持ちの方でしたら、
相手からどんな仕打ちをされようとも、お世話できるのかもしれませんけど、きっとそんな人間、この世にいやしません。
冷たくたっていいじゃないですか?
条件つきで優しくたっていいんじゃないでしょうか?
七海さん、ぜひ今の七海さんご自身を認めてみてください。冷たい自分を認めてあげてください。
そうすれば、他の人の冷たさ、他の人の弱さも認めてあげられる、少し優しい人になれると思うような気がする今日この頃です。
質問者からのお礼
釋俊道さま
お忙しい中ありがとうございます。
お母様のお気持ちがよく分かります。祖母を亡くした時の我が家がまさにそうでした。
冷たい自分を受け入れ難いから、否定したくなるのかも知れませんね。
ありのままの自分を、一先ず受け入れてみようと思います。
お話を聞いて下さいましてありがとうございました。