輪廻転生が怖い嫌
こんにちわ、またまたご相談です。
現在、私は引きこもりのような生活をしています。理由としては人間関係で色々とあって、精神的にも疲れきってしまい人と関わるのが怖くなったからです。
親に「外に出ろ」と言われますが、私は何かを強制されるのが嫌いな部分があるので反発してよく喧嘩を起こしてしまいます。
今は落ち着いてきており、私もいけなかった部分があるんだろうなと思うようになってきました。だけど、そのせいなのか、前にご相談した通り自分の嫌な所ばかり思うかんで自己嫌悪に落ち込んだり、マイナス思考に落ち込んだりしています。
今度は地獄の次には輪廻転生について恐ろしく感じる様になりました。
もし来世があるとしたら正直に言ってもうこの世には生まれたくないという気分になっております。
昔にもそんな事を考えた事があって、死を怖がったり生まれ変わりがあるのなら動物になるのも虫になるのも嫌だなと思った事があり、人の事は言えませんが人間に酷い目にあわされている動物を見て気分が悪くなって、こんな目に合うのは嫌!怖い!と思ったりしました。
生まれ変わるのなら人間が一番いいと言われてますが、人間だって必ずしも平穏な環境で生まれるとは限らないし、人間同士だって諍いがあるし、人を人だと思わないような人間だっていますし。
転生してしまえば記憶がなくなって別人になると言われてますが、それも正直に言って怖い。今いる自分自身が消えてしまうと考えるととても怖くて仕方ない。
地獄も怖いけれど、転生も怖い。
今まで他人事のように感じていた物が急に恐ろしくなり、だからもし、死後の世界があるとしたら、転生などせずただ穏やかでありつづけたいと思い、本当に自分勝手だと思いますが、もし本当にお釈迦様がいるのなら、もう、この世に輪廻させないでください。苦しいのも怖いのも痛いの嫌です。自分が消えてしまうのが怖いですと言いたい気分になりました。
自分の人生の中には楽しい事もありましたし、生きていれば考え方など変わると思いますが、今はこういう考えをしてしまい気力が削れ恐怖心でいっぱいになったりします。
前に進まないといけないのに、前に進むのが怖くて仕方のない状態で自分の身勝手さになんだかなと思い、こう考えるのに何の意味があるのでしょうか。
私はなんで生まれて来たのかと悩みばっか思い浮かんでしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「南無帰依仏」と懺悔文で
ひきこもりですか。大丈夫。静かにお家にいれば良いと思います。きちんと家のお手伝いをすれば文句も言われなくなりますよ。
曹洞宗の開祖道元禅師の著書「正法眼蔵」の「道心」の巻に
(原文載せたいですが、字数制限のため省略します)
「この生が終わる時は、両眼が暗くなります、そのときが生の終わりであると思って、がんばって『南無帰依仏』と唱えましょう。そうするとあらゆる仏さまが助けに来てくれます。地獄にいかなければならないような罪をおかしていても、転じて天界に生まれ、仏の前に生まれ、仏を拝むことができ、仏の説法を聞くことができましょう。」とだいたいこんな事が書いてあります(私の超訳です)
いよいよだ、と思ったら『南無帰依仏(なむきえぶつ)』と唱えましょう。きっと大丈夫。
輪廻については、過去にもたくさんの問いがあって、たくさんの答えが出ているから、探して読んでみてね。
仏教では、死後の世界について「わからない」としており、必ずしも輪廻するとは言っていません。仏教の大切な所は「死んだらどうなるか」ではなく「いかに生きるか」(どうやったらハッピーになれるのか)を考える教えだからです。また(本当に輪廻しているのかどうかわかりませんが)この輪廻からいかに抜け出すか、その方法を導くのが仏教なのです。
ですから、仏教の教えをよく学び、それに即した生活をすることで、きっとその恐怖から抜け出すことができるはずです。そしていざという時が来たら「南無帰依仏」です。
ああ、過去の罪が気になりますね。曹洞宗ですと「懺悔文(さんげもん)」というお唱えがあります。
我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡 (かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生 (じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ)
(私が昔から作った罪のかずかずは、皆むさぼりの心といかりの心とあさましいぐちの心によるものです。今ここに一切懺悔しますので、み仏の心に救われますように)
字数制限のため詳しくはこっちで。
http://hasunoha.jp/questions/4966
これで大丈夫。安心してご精進ください。
質問者からのお礼
鳳林寺 光禪様へ
私の家の菩提寺が曹洞宗だった事を思い出しました。やっぱり宗派によって色々と教えが違うのですね。
昨日、祖父母の家にある仏壇の前で早速懺悔文を唱えました。
南無帰依仏についても忘れないようにしたいと思います。
やっぱり色々と考えてみましたが、今が幸せだから壊れるのがなくなるのが怖くて生に執着しているのかな?という気持ちがあったりするのかなて思ったりします。
輪廻で酷い目にあうのが怖いし嫌だから、私が死んだ後はやっぱり地獄も転生も勘弁だし、もう幽霊になって現世を彷徨い続けてやろうかという気持ちがまだ抜け出せなくて、恐怖心でいっぱいになったりします。
発狂したくなった時もありました。
だから、今を楽しめる人が羨ましくて仕方ないです。
こんな私でも精一杯、生きられるのかな?て思ったりします。そうできるようになりたいとは思いますが。
示されたご回答を見て、精進できるようになりたいと思っております。
ご回答ありがとうございました。