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お寺で頂く御朱印について

回答数回答 4
有り難し有り難し 28

私は以前から京都が大好きでお寺にたくさんお参りしてきました。
お寺にいると心が落ち着き、本来の自分になれる気がして写真など以外にその思い出を残せるものとして御朱印というものを知りました。
次から頂いていきたいと思うのですが以前の日付も一緒にいれて頂けますか、とお願いするのは失礼にあたるのでしょうか?(>_<)
また、そのようなことはしていただけますか??

ご回答お願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

わかります!

私の母と同名の京子さま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

10代でお寺巡りがお好きとは、なかなかシブいご趣味ですね (^_^)
そして以前に行った時の日付で御朱印を、という気持ち。
わかります! とてもよくわかります!!

私、役者の妻と共に、全国の寺院で仏教演劇の公演をしています。
もう100回を優に超えたのですが、最近「公演に行った時、御朱印をもらっておけばよかった…」と思ってしまいました。
今から始めればいいのですが、「今さら始めても…最初からの記録が欲しかった〜!」と悶々としてしまうのです。

ということで、アドバイスとしてはダメ元で頼んでみてはいかがでしょうか。
10代の京子さんが「あの、前に来たときは御朱印って知らなかったんですけど、初めて来た時の記念の日付で欲しいんです♡」と頼めば、少なくとも私はあらがう術を知りません(笑)。

そうそう、大桑さんのおっしゃる通り、真宗系の寺院ではあまり御朱印を書きませんが、スタンプが置いてあったりします。また、御朱印を書く真宗寺院もありますので、まずはお尋ねしてみてください。

ちなみに私は書きます(リンク先のエピソードの時よりは、だいぶ筆は上達しました)。
横浜においでの際は、ぜひお立ち寄り下さい (。・・。)
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2011-03-08-1

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

ぶっちん

仏印 と記して ぶっちん と読みます。
かつて私も御朱印マニアだった時期がありましたがもっとイイ「印(しるし)」を頂きました。
以下は道元という鎌倉時代の名僧と言われる和尚さんがお示しの内容です。
長いので所々省略します。
「…仏法は、最上のなかに最上なり、…只管打坐して身心脱落すること(悟り)をえよ。
もし人一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端座するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりになる。」
ここでいう所の仏印という御朱印を授かると、一生安泰です。
訳しますと、
「もしアナタが御朱印を集めるのであれば、最終的には仏印を求めることです。
たとえ一時でも身と口と心が思いから外れた状態、無私、無想、考え事の網から抜け出せる状態を体験すれば(=仏印を標すると)全世界がゴチソーだらけになり毎日幸せなる事間違いなし。
これを体得することこそ、一生涯の宝となる御朱印、仏印です。
人に押してもらうハンコではなく、正真正銘のお墨付き。
確かな心、迷いのない心、心の合格印、仏の認める本当の太鼓判のこと。
この御朱印、このお印は内側にあるのですが、どこにあるか、わっかるかなぁ~?わかると和尚としてはうれしいなぁ。(^o^)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お寺さんによって判断が異なりマス。

ご朱印は神社&仏閣の神様、そして仏様とのご縁を頂いた証であり、お詣りに出かけた時の思い出となる大変有難い物ですね。大事にして頂ければと思います。
さて、以前にお詣りされた時の日付を新しく求める朱印に入れてもらうのは少々厳しいかもしれません。
基本的にはお寺にお詣りされた日付を記入する事になっていますので…。
ただし、法律で決まっているわけではありませんのでお詣りされたお寺さんにお尋ねされるほうがいいかと思います。
決して、日付の事に関してあなたの考えは全く失礼ではありませんよ!!。ご心配なく(*^^*)。
観音霊場某札所職員からのプチ提案です。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
みなさん、こんにちわ。童楽寺の副住職の小林裕淳(ゆうじゅん)といいます。悩み事が生まれては消え、そしてまた生まれては消えていきます。そんな私たちの日常…。 その中にいる私自身も生きることに悩んでいる1人です。悩みからの解放のためあなたと一緒になって楽しい日々作りをしたいと思います。宜しくお願いします。
この世を生きることは悩みの中に生きることになります。そのお悩みが見方を変えることで楽になればと願います。 辛いに横一字を足せば幸せになります。あなたのあともう一歩が幸せになりますよう願うばかりです。 歩んで行きましょう。 お互い無理せずに。

ちなみに

真宗系のお寺(東西本願寺など)では御朱印はありませんので、ご注意ください。

真宗には、いわゆる願掛けという概念(他宗派さまの教義が間違いということではありません)がなく、今を生かされてあるわが身を照らす阿弥陀如来と、その阿弥陀さんを見出した親鸞聖人に手を合わすことによって、賜った命、一寸先に死というご縁を迎えるかもしれないわが身が、「今」生かされてあることを感じていただきたいと思います。

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有り難し
おきもち

真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いです。また、ボク自身も勉強させていただければと思っております。よろしくお願いします。

質問者からのお礼

失礼には当たらないとのことで少し安心です(*^^*)
頂いたら大切にしたいと思います。
ご回答ありがとうございました!

真宗系のお寺では御朱印がない...
とても参考になりました。
お詣りの際には生への感謝を大切に、拝観したいと思います。
ご回答ありがとうございました!

>浦上 哲也様

周りの人にも渋いねとよく言われます。お寺にジャニーズに多趣味で困っております(>_<)笑

10代女子の特権で日付のこと、お願いしてみます(^o^)
お坊様目線の意見、とても参考になりました!
ありがとうございます(*^^*)

p.s.横浜ですね!是非いつかお尋ねしたいと思います!

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