毎日毎日気がついたら故人のことばかり思い出してしまいます。
考えこんだり、悲しくなったり…。これではいけないと思うのですが、気づいたらた考えています。
故人も私に供養してほしいと思っているのでしょうか?
それとも私のこの様子をみてこれではいけないと思っているでしょうか?
故人の事を考えて悲しんだり落ち込んでいると故人に対してよくないですか?
故人の方に対してよくない事はしたくないですし、反対に供養になることをしてあげたいのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「愛別離苦」とは愛するものと別れ離れる苦しみです。
この苦しみは人生で最も大きな苦しみの一つです。
しかし同時に大切な気づきがあります。
それは愛する人がいなけばこの苦しみもないということです。
苦しみには必ずその原因があり、大きな気づきがあります。
愛する人との別れは、別れたということを悲しむばかりではありませんね?
こんなに愛する人がいたのかという大きな気づきがそこにあるのです。
仏様は多くの事に気づかせてくださる存在です。
大切な人への愛に気づかせて下さった仏様に手を合わせましょう。
悲しむことは悪い事ではありません。
涙もたくさん流したらいいのです。
故人が悲しむからやめなさいなどという考えはありません。
愛別離苦の苦しみの中でも仏様は常に抱き包み込んでおられます。
仏様の慈悲の中で、安心して悩み悲しんで生きていく人生もあります。
ブルーアイさん
頻繁に思い出してしまうのは
それだけ故人があなたにとって大切だったのだと思います。
“故人の事を考えて悲しんだり落ち込んでいると故人に対してよくないですか?”
というご質問に対しては
あなた自身のあり方がどうであれ、
故人に対して悪影響を与えることはありません。
ただ供養ということを考えるのであれば
故人からあなたにかけられた願いを読み解いて下さい
生前一緒に時を過ごす中で教えられたことは何か
亡くなって気づかされたことは何か
故人は私に何を願われているのか
悲しみに打ちひしがれて下を向くことなのか
かけられた願いに生きることなのか
時間をかけてでも故人からのメッセージを読み解いて下さい。
それが一番の供養だと私は思います。
彼が亡くなって気づかされたこと、おしえられたことなどいろいろありました。
彼が私に望んでいることは、忘れないでほしい、ちゃんと生きていってほしい、幸せになってほしいと思っていると思います。
ご回答ありがとうございました。