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命が怖い

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先日、クラスメイトが亡くなりました。
たまに話す程度の仲でしたが、小学校からずっと同じ学校でした。

1ヶ月以上経った今でも、死について考えるのが怖いです。死についてどころか、生について考えるのも怖いです。ニュースの誰が亡くなったという情報にも、過剰反応してしまい、なかなか恐怖が収まりません。友達と人狼ゲーム(敵味方を見分け人を殺していくゲーム)をする時も過剰に怖がり、ゲームに水を差してしまいます。毎晩毎晩寝るのが怖いです。

祖母が認知症になり、死に近づいているのが嫌でも分かります。そうなると自分も死に近づいていると気づいてしまい、何故生きているのかが分からなくなります。
生きることに理由がなくても怖くはありません。始まりと終わりがあるのが怖いのです。
死んで魂がなくなるのも怖いのですが、死んで魂が残る(輪廻転生、霊になる、違う生き物として生まれる)のも怖いです。

動揺していて話にまとまりがなく、すみません。どうか助けてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

未知の経験には誰でも恐怖します

いなかもんさま

ご質問拝読しました。

クラスメイトさんの突然の死、たいへん驚かれ、そして悲しまれたことでしょう。心からお悔やみ申し上げます。高校生の方でしょうか?長年連れ添ったご友人ですのでショックも大きいですね。

「死の縁無量」という言葉に表現されるように、老若男女を問わず、生かされているいのちは、常に死と隣り合わせています。4という数字が忌み数字になっているように、死を遠ざけて先延ばしにしようとして意識しないように生きていますが、いつかは必ず死を迎えなければなりません。

その死を思い考えるということは、まさに生を思い考えることに他なりません。なぜなら、生は老と病と死を含んだものであるからです。そして、死は経験したことがありません。

未知の経験をするときには不安と恐怖に苛まれるものです。自分が死んだらどうなるか、どこへ行くのか、何になるのか、死んだことが無いからわかりません。わからない者が、わからないことをわかろうとしても、わかるわけがありません。

お祖母様が認知症を患われているとのことですが、ご家族の方もご心配でしょうね。死が近づいているのが感じられる中で、生きる不安も増してしまっていますか?ただ、死が近づいているのではなく、生まれた時から死は間近にあるのですということを、お釈迦様は「無常」という言葉で表してくださっています。何があるかわからないいのちだからこそ、ほんものの救いに出遇う人生にしてほしいという願いの表れでありましょう。

死を考え、恐怖して、生の意味を味わっていくということは、人間にとってとても重要で、そして人間だからこそ可能なことです。死を受け入れることによって、いのちの輝きが増して、日々の一瞬一瞬を大切にして生きていくきっかけを、大切なクラスメイトの死が教えてくれたとお考えになってみてはどうでしょうか。

今はとても辛く、悲しく、不安な時かもしれません。死を恐れて涙を流すこともあるでしょう。それは当たり前のことです。時間をかけて、命の尊さを心に刻んで生きていただきたいです。み仏は、貴方のいのちを願いながら、常にはたらいてくださっています。どうか安心してください。

合掌

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有り難し
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室町時代より続く浄土真宗本願寺派圓勝寺の住職を拝命しております。 3世代...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
まだクラスメイトの死を受けとめることはできませんが、こういうことを考えてしまうのは当たり前のことだとわかって、少しだけホッとしました。
時間をかけて、少しずつ向き合いたいと思います。

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