私は女性を傷つけてしまいました。体目当てで近寄り、好きだと嘘をつき、付き合いました。彼女は私のことを好きだと言ってくれ、プレゼントをくれたりしました。
しかし、私は罪悪感を感じはじめ、別れを告げました。女性は涙を流して去っていきました。
私は最低の人間です。その女性を傷つけてしまいました。人一人傷つけてしまいました。しかも嘘にまみれた自分勝手な欲望で。
私は彼女に謝りましたが、自分の中で収まりがつきません。これからこの事をどう償っていけばよいでしょうか。どうぞご教示下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩み苦しみの原因は煩悩です。
あなたの煩悩が強化されるとあなた自身の苦悩が増えます。
煩悩を弱体化すると苦悩が減ります。
悪いことをすればするほど、煩悩が強化され苦悩が増えます。
嘘つけば嘘つくほど嘘つき癖がつく。
欲張れば欲張るほど欲張り癖がつく。
怒れば怒るほど怒り癖がつく。
殺せば殺すほど、盗めば盗むほど…。
すでに、たくさんの悪いことをして心に悪い癖がつき、その分だけ煩悩が強化されてしまいました。
償いというか、煩悩を弱体化するためには、悪いことをやったり言ったり思ったりせずに、
善いことをやったり言ったり思ったりするほうが効果的なのです。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩に気付き、それらと闘うしかないのです。
嘘をつくのは、怠けと関係がありますね。
嘘をついたほうが努力しなくてすむから。
嘘に頼らずに、努力で好い女性とお付き合いできればよいですね。
ハルヒさん
今後は二度と女性に体目当てで近寄り、
好きだと嘘をつき、付き合わないこと
そして
自身が思う償いを模索し、
償い続けることだと思います。
あなたが罪悪感を持ったのは
あなたが人間だからです。
その罪悪感があなたを人間にするのです。
「最低の人間です。」
という自覚を持った時から
最低の行為を離れはじめたのではないでしょうか。
謝り続ける、
そして二度と同じ事をしない
これが責任の取り方ではないでしょか。
以下
父王を殺して、悩む王子にかけられた
仏典の言葉を紹介します。
二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。
私訳
二つの心が、人間を取り戻させる
一つは「慙」、二つに「愧」
「慙」は二度と同じ過ちをおこさないと心に誓う
「愧」は他者に同じ過ちをおこさせないと心に誓う
「慙」は自らを羞恥する
「愧」は他者に頭が下がる
「慙」は人に恥じる
「愧」は大いなるものに恥じる
これを慙愧という
慙愧しないものは人ではない
その罪悪感と向き合って下さい
それが謝罪につながるのではないでしょうか。