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自分は人でなしなのでしょうか…

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先日祖母が亡くなりました。

自分が働いていた施設に入っていたのですが、トラブルがあり部署異動した後、気まずさから会いに行けなかったことが心残りになっています。

また亡くなった後も、両親に言われたのもありますが、その日は終業まで仕事をし、必要時以外はテレビを見たりと普段と全く変わらずに過ごしました。

葬儀、初七日の法要が終わり、これまでと変わらず自分のこと、仕事のこと、遊びのことを考えて行動し、恥ずかしながら性欲も出てきています。

さすがに旅行のようなことは四十九日までは控えようとは思っていますが、遊びに行きたい、上映期間が終わってしまいそうな映画を見に行きたい、SNSで好きなことをしゃべりたいといったことを考えてしまいます。

もちろん悲しいですし、弔いの気持ちもあります。しかし、こんな時に自分のことしか考えられず、本当に悲しいと思っているのか、不謹慎ではないのか、自分勝手が過ぎるのではないかと悩んでいます。
葬儀の際に、喪主ではなかったのですがしっかりしないとと変な意地で泣くのをこらえてしまったのもすっきりしない原因かもしれませんが…

ネットで検索もしてみましたが、気にしなくて良い、遊びに行くなんて…と様々な意見があるのですが、いまいち納得できませんでした。
結局は自分の考えを肯定してほしい、都合のよい意見を聞きたいのではと考えると浅ましいと思ってしまいます…

こんな自分は人として間違っているのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫ですよ

いや、自然な反応でしょう。人に限らず生物は強いストレスを受けた時、本能的に全く関係ない行動をしてストレスを紛らわせようとするものです。それが時にもの凄く不謹慎に見えることがあります。例えば謝罪中に思わず苦笑いをしてしまうような時です。小鳥だってより大きく強い鳥に餌を横取りされると地団駄を踏んで悔しがることがあります。本来これらは生物にとって自然な反応です。

よくお通夜や葬儀で笑い声が聞こえると脊髄反射で「不謹慎だ!」となります。あれだって本当に故人の死を喜んでの笑いなのか、あるいは不安や寂しさがあるからこそ無意識的に笑おうとしているのか、そこを見極めないと逆に苦に繋がる感情を増幅させ、窮屈な空間になってしまうと私は考えています。
もっとも遺族に心の余裕があるか無いかでも変わってきますし、かなり複雑な問題ではあるのですが。本来、遺族が自ら笑っている葬儀と茫然自失となっている葬儀を一緒くたに語れる風潮自体がナンセンスですから。

また、性欲も自然な反応です。他人の死に触れると本能的に子孫を残そうとすることはよくあります。ひょっとしたら平常時より性欲が強くなっても自然かもしれません。

だから遊びに行きたいという気持ちも性欲も、悲しい気持ちや弔いの心と矛盾なく共存できます。あなたは人でなしではありません。大丈夫ですよ。

ただ、だからと言って安心して好き勝手して良いわけではありません。こんな時こそ皆で支え合わねばなりません。そこで人の行動は必ず他人の心に影響するので、足を引っ張り合うことは慎み、励まし合えることをしましょうという話です。先に書いたことはあくまで個人のストレスの問題です。

じゃあ、どこまでが慎むべきで、どこからどこまでは差し支えなく、どこからが窮屈かは、実は人によります。地域性や時代性ということもあります。ネットの意見なんて結局はよそ者の言葉です。あなたの周りの人がどう感じるかが大切です。
あと、伝え方(探り方)の問題でもありますよね。「上映期間が間近だから映画観に行く」では角が立つでしょう。しかし何日か経ってから「気を紛らわせたいから映画観に行ってきていいかな?」と言われて頭ごなしに怒る人は少ないでしょう。

まぁ、こんな時は色々グルグルモヤモヤしてしまうものですが、あまり考え過ぎないようにしましょうね。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。
拝見して少し気持ちが軽くなりました。
自粛しなければと半ば強迫観念に囚われて精神的にも参りかけていたので、少しずつ元の生活に戻していこうと思います。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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