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母の余命宣告

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肺癌(手術できませんでした。)で2年6ヶ月…放射線、抗がん剤と治療を頑張って続けてくれた母ですが、先日の検査結果では癌が少し大きくなって気管支を圧迫し、リンパも腫れています。担当医師からは治療してもほとんど効果は期待出来ないと言われました。放射線、抗がん剤の副作用で辛い治療するよりも、緩和ケアに移行して症状をやわらげて日常生活を送れるようにした方が良いんじゃないかと進められています。
治療しなければ1年もつかどうか、治療して効果が出ても2~3ヶ月延命出来るだけで、年単位での生存は難しい。
母には余命の事は話していません。
母はまだ治療すれば癌が小さくなり治療しようと思っています。
前向きに考えている母の気持ちを尊重して治療するのがいいのか…
母が悲しみ悩み泣き崩れても、ちゃんと話をした方が良いのか…
私の母は重要な事は自分で決められない人です。7年前までは父が判断し母がしたかってましたが、父が亡くなってから私が判断してきました。
私は例え少しでも長く生きていてほいと思う気持ちがあります。
余命宣告の事を考えると辛い思いしないで最後まで母らしく過ごしてほしい気持ちもあります。
11月15日までに担当医師にどうするのか決めなければなりません。
母が癌になった時からいつかこんな日が来ると覚悟していたつもりですが、実際にこの日が来ると苦しくて悲しくて、とうすればいいのか判らなくなっています。
考えれば考えるほど混乱してきます。
私はひとりっ子で結婚していますが、主人は仕事も忙しくあまり家に居る事が少ないです。
親戚も疎遠で相談する人がいないです。
母に治療を頑張ってもらうにしろ、余命の話をするにしろ、どう話したらいいのか……
どうか宜しくお願い致します。
助けてほしいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

臨終のこと

お辛いですね、本当に…。

なかなか第三者が「こうしなさい!」というのは難しいと思いますし、正解不正解はないと思います。

それも踏まえて、自分だったらおそらく「緩和ケア」を選択するでしょう。

職業柄、たくさんのお別れとその後に触れました。
ガンのかたも沢山いました。
悲しみのない100%満足なお別れは存在しませんが、
その中であるガンの方が印象的でした。

お寺によくお参りにくるその方も肺癌でした。
私は亡くなる半年前にそのことを知り、大変ショックを受けました。ですが、今までと同じようにお寺に来てくれてました。
余りに普通すぎて「もう治ったのか?」と思ったくらいです。
その方は癌のことは家族や友人に言わず、亡くなる前日に家族みんなが集まってるところにひょっこり顔を出して、次の日静かに逝きました。
その方にとっては、当たり前の日常こそが宝だったんです。
だから入院もせず、その時間を最優先したんだと思います。

日蓮聖人は「臨終のことを習って、それから他事を習うべし」の言葉を遺しました。
臨終のことを習うとは、私が逝く時にどうしたいか。
そのためにはどう生きていくべきか。
それを考えることです。

私が緩和ケアを選択したのは、逝く時に相手に「これまでありがとう」とニコッと笑って欲しいから。
もちろん叶わないかもしれない、けれど、残された時間そのことだけに全力を尽くすでしょう。
それは、私がそう逝きたいから。
そしてできるなら弱った姿を長い間子どもに見せたくないからです。

臨終のことなんて、考えるのも辛いと思います。
ですがそこはゴールのようでスタートなんです。

お母さんとの時間、シーさんが少しでも心安けく過ごされることを心から祈念しています。

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おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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これからを大切になさってくださいね

拝読させて頂きました。
大変お辛いことですよね。
残された時間をどうかご家族の皆様と共に充実してお過ごしなさって下さいね。

あなたの文面に
「最後まで母らしく過ごしてほしい気持ちもあります。 」とありましてまさにそうかと思います。

お母様はその天寿を全うなさり、必ず仏様がお迎えなさって下さいます。そして仏様の元で心安らかにお過ごしなさり、これからも皆さんをお見守りなさって下さいます。
南無阿弥陀仏

どうか安心してこれからのひと時ひと時を大切にお過ごしなさって下さいね。

いつまでもいつまでもお母様と皆さんとのご縁はこれからもずーーーと続きますからね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
上手に話し出来るか自信ないですが、母の調子がよく気持ちが落ち着いてる時にでも話してみます。

本当にありがとうございました。

「大切な人が危篤・余命宣告」問答一覧

母の心と体と頭のバランス

父が先月突然亡くなり、母と私と姉はショックが多すぎるていたのですが、やる事が沢山あり過ぎて頑張っていますが、母が2年前に家で転倒をしてから、気力がなくなり、母に変わって父が家の事をする事になり、父は家の事を母に任せていたので、味噌汁の作り方を一から母か父に教えていましたが、母はそれから父に愚痴る事が多くなり、父も耳が遠かったので、我慢していましたが、姉はその状況を見ていたので母に父が可哀想だと伝えると、私も辛いのよと母は言っていたそうです。でその父が亡くなった事で今度は、私や姉に愚痴をこぼすようになり、私は母に心の病気である事を伝え、愚痴をこぼしている時の母の顔は、とても怖いとも伝えました。母は今までそんな事を言われた事もないし、自分でもそう思わないと言うのですが、私や姉がそれに振り回されている事も伝えましたが、母はそれから自分の顔を鏡で見たりして、母も私も一度訪問ドクターに相談しようと言う事になったのですが、母も今度先生が来たら話しをするとも言ってくれていたのですが、私か1ヶ月仕事も休んでいたので、5月から仕事も戻るので、5月には、家に帰る事も前から、伝えてあったのですがら私か帰る日の朝にまた怖い顔をして、先生には、心臓の先生なので、心の病気の話しをするのは失礼だと言い出し私は、話しをしないし、そんな事ないと言い出したので、その場では、わかったと伝えましたが、私や姉は、先生にちゃんと話しをする事も決めていたので、何故今になって、母はそれまで自分からも話しをすると言っていたのに、失礼だから話しをしないと言い出したのか、とてもわかりません。これも心の病気なのかとも思います。母の心の病気をこれからどうしていったらいいのでしょうか?

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生きている意味がわからない

夫を亡くして4年です。 長い闘病期間でしたが、話すことも出来なくなった夫に対して、私は側にいる事しか出来ませんでした。 当時、コロナで病院の面会は禁止となり、側にいることすら出来なくなりました。 1人で病室にいた夫がどんな思いで過ごしていたのか、どこが痛くて、どうして欲しいのか、それすらも聞く事が出来ないまま、最期は私の目の前で息を引き取りました。 なぜ、夫だったのか?と今でも思います。 私の家族の誰かから亡くなる人を選ばないといけないなら、私だったら良かったのに…今でも思います。 夫が亡くなった時は学生だった子供も、今では新しい家庭を作りました。 夫が亡くなり、もし私に何かあったら子供が1人になってしまうと必死に生きて来ましたが、その子供が新しい家族を持った今、私はもう全ての役目を終わらせてもいいのでは?と思っています。 自分の人生を自分で終わらせようとは思っていませんが、生きる意味も意欲も全くありません。 人前では平気な顔をしていますが、仲良く過ごす夫婦を見たり、ご主人の悪口を言える幸せに気づいていない奥さん方の話がどんどん私の心を黒く暗くしていきます。 夫が亡くなる直前に実母、夫が亡くなった直後に実父と次々に心から信頼できる家族を失ったことも私が誰にも本当の心を開かなくなった理由かもしれません。 ふと私はこれからずっと1人なんだと気づいた瞬間から絶望しかありません。 もう限界かな、と思っています。

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娘の結婚と義母の死去

お読みいただきましてありがとうございます。 私には何度かの流産を乗り越え授かった娘がおります。 小学生の時からパニック発作を抱えていて、断薬の中妊娠・子育てに入り24年。 このたび娘から好きになった彼と結婚が決まりました。 24年間パニックを堪えながらも次第に症状も消え、(娘の前では発作を起こした姿を見せないようにしてきました)旅行もできるほどになりましたが、 先月義母が急逝。今までは身内の葬儀もお骨を拾うことが出来ず休ませてもらっていましたが、今回はお世話になった義母のため最後まで立ち会いました。 葬儀後は、悲しみやパニックにならないよう娘の結婚準備に専念していましたが 持病的なものの再発をきっかけにどんどん体調が悪くなり、強張る体・胃の不快感・不眠症と、パニックも再発しそうな気配です。 仲良しすぎる娘がお嫁に言ってしまう寂しさを言葉に出せず、ずっと秘めていて 苦しくてたまりません。いい母親ぶってせっせと引っ越しを手伝っていますが 娘がいないところでは体調不良で起き上がれない時もあります。 娘の母親ならどなたも体験することかと思いますが、特にパニックを起こさないような心構えがありましたらご教授下さると幸いです。

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離別の苦しみに向き合うには

こんにちは。 初めて質問させていただきます。   以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。   いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。   ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。   自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。

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背中を押してください。

ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。

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大切な人との別れ

私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ