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昨日祖父の葬儀を行いました

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自分の中で納得がいかず、身近に意見をきける方がいないのでこちらで失礼致します。
拙く長い質問文になりますが自分に整理をつけるためという部分もありますのでご了承ください。

昨日83歳の祖父の葬儀を行いました。
毎日お酒を飲みタバコを吸いつつも病気は一切せず、晩年は認知症を患い施設に入ったものの最期は安らかに亡くなりました。
平均寿命から考えればそれほど長くはありませんでしたが、家族みんなが幸せだったね、大往生だったねという人生でした。葬儀自体も穏やかに、また悲しみつつも思い出に笑顔する場面も沢山あるものでした。

私は現在20歳で、幼い頃同居していたこともありとても可愛がってもらっていて、大好きなおじいちゃんです。

そんな祖父が11月末に亡くなり、都合によりようやく昨日告別式が終わりました。
葬儀までの五日間を共に過ごし、それなりに心の整理をつける余裕があったためか、告別式の際に悲しくなることはありませんでした。大好きな祖父には安らかに眠ってほしいと、通夜から出棺までずっと、笑顔ですらいました。

ですが、その後火葬場へ行くマイクロバスの中、思い出の場所を何箇所も通っているうちに酷く悲しい気持ちになってしまって泣くことを堪えることができませんでした。
葬儀で泣くことも逆に泣かないこともどちらも間違っているとはもちろん思いません。
それでも周りが悲しむ中、出棺の時に笑顔で送っていた自分のことが信じられませんでした。

昨日はそのままずっと気分が沈んだままでいました。
夜も祖父の夢を見て、確かに自分の中の大きな存在が消えてしまったと感じました。

でも私は今日アルバイトに行きました。
朝起きて、バイトに行き、帰ってきて、お風呂に入って、ご飯を食べて、布団に入っています。
おじいちゃんが死ぬ前と何も変わりません。
昨日あれだけ泣いていたのに、お客様にごく自然に笑顔で話しかけられました。

この数日、感情の浮き沈みが激しくて辛いのと、併せて自分への不信感が募っています。
あやふやな文ですが、主に意見を伺いたいのは以下の2点です。

・葬儀で故人を笑顔で送り出すのはおかしいですか。
・時が経たないうちにごく普通の生活に戻ることへの罪悪感は解消すべきですか、またその場合どのようにして解消すれば良いですか。

どうぞよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おじいちゃん よろこんでるよ

おじいちゃん、その命で ゆのさんに大切な事をたくさん教えてくださいました。

私共の宗派では、このお旅立ちの事を 『往生』と言い、仏様の極楽に生まれ変わる、お喜びです

ですから、笑顔で送り出す事は大正解です。

罪悪感も必要ありません。

精一杯おじいちゃんのために供養をしてください。

供養とは、貴女の生き様です。

貴女の命が尽きた時に、おじいちゃんと再会できます。

その時、どんな顔で、再会したいか。そのための生き様が供養です。

おじいちゃんは、いつも、ゆのさんのことを見守ってくれていますよ。

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おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...
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いつものように

拝読させて頂きました。
お祖父様がお亡くなりになりショックと悲しみが今もあなたの心の中に渦巻いていらっしゃることでしょう。
ましてあなたにとって大好きなお祖父様ですからその思いは打ち寄せる波のようにこれからも幾度も幾度も打ち寄せてくることでしょう。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。

そしてお祖父様がこれから仏様のお導きを受けて仏様の元で心安らかになられますようにと心から仏様に願いお念仏おとなえさせて頂きます。

南無阿弥陀仏

お祖父様は必ず仏様のもとで心から安心なさり穏やかになられ、これからもずっとあなたや皆さんをお見守りなさってくださいます。

あなたが精一杯のお気持ちで笑顔で送り出して下さったことを心から喜んで下さっています。

そしてあなたや皆さんが普段通りの日常の生活をしっかりと送って下さることを何より望んでいらっしゃるのです。

お祖父様は亡くなられたでしょうけれどもこれからもあなたや皆さんといつもいつもつながっているのです。

いつ如何なる時でもお祖父様はずっと見守り続けて下さいます。
悲しみは尽きることはないでしょうけれども、
あなたは合間合間にお祖父様を思い手を合わせて心を込めてご供養なさって下さいね、そしてこれからもずっとどうぞ見守っていて下さいね、とお祖父様にお願いなさって下さいね。

いつでもお祖父様はあなたに微笑みかけて寄り添って下さいますからね。

あなたとお祖父様はこれからも永遠にそのご縁は続いて参ります。

どうぞそのご縁を大切なさって普段通りの生活をしっかりと送って下さいね。

お祖父様はいつもそう望み守って下さっているのでから。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。

まだ自分の中で整理はつきませんが、ゆっくりとおじいちゃんと過ごした色々な出来事や日々を思い出しながら、きちんと日常を過ごしていこうと思います。
思い出すことが悲しく怖いことだと今はまだ思ってしまいますが、私のことをかわいがってくれたおじいちゃんとの思い出に蓋をしてしまうのはもっとずっと悲しいことなのだと気づきました。

おじいちゃんを笑って送り出したのは間違いなく私の本心です。
いつも私のそばにおじいちゃんがいることを忘れず、そして当たり前の日常を送れることに罪悪感ではなく感謝の気持ちを持てるよう、頑張っていけたらと思います。
私が精一杯自分の人生を全うした上で、また笑って祖父に会えることを願います。

改めて、ありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

海外からの祖父の葬儀参加について

先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。

有り難し有り難し 4
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祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ