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実家で飼っていた犬が亡くなり、明日火葬をします

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有り難し有り難し 17

火葬に立ち会うため帰ってきたのですが、タオルに包まれて寝かせられている犬の顔をみたら、ただ寝てるだけみたいに穏やかで、毛もふさふさしていて、この子を明日燃やしてしまうと思うと悲しくて怖くて泣けてきてねむれません。
こんなかわいい子をなぜ燃やさなければならないのでしょうか。
魂がそこにはないのだろうとわかってはいるのですが、燃やして骨になってしまったらほんとにいなくなるみたいでいやです。
この子との別れは、わたしにとっては身近な存在との初めての死別なせいもあり、この悲しさを乗り越えられる気がしないです。

そして、犬を軽視するわけではないですが、今こんな状態では肉親を亡くしたときにはもっとひどいことになりそうでいまからつらいです。
忘れたいわけではありませんが、毎日泣いて過ごしたくはないです。
身近な死との上手な向き合い方が知りたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご冥福をお祈りいたします。

お悔やみ申し上げます。
そうですか・・・
眠っているような穏やかな、お顔をされているとのこと。
きっと安らかな最期だったのでしょう。
でも、かわいそうです。
燃やす理屈は分かっている。
わかっている。だけれど辛いですね。

私も去年、ペットのウズラを亡くしました。
亡くなる前の晩、最後のお別れに頭をなでてあげた。
その時の顔を思い出すと、今でも悲しくなります。
悲しさのあまり、遺骨の一部を携え、西国三十三所を巡礼しました。
33のお寺を巡り、観音様にお会いし救いを求める行動です。
その甲斐あってか、少しは救われた気持ちで生活をしております。

人は生きていく上で、どうしても避けることが出来ない苦しみがあります。
例えば、嫌な人と顔を合わせなければならないのも苦しみのひとつ。
また、このたびのように愛する存在と離れなければならない事も苦しみです。
どれも、逃れられません。

苦は目の前にあり、それと向き合うほかない。
その中で我々は生きています。

悲しみの心は消えません。
しかしそれを、癒すことは不可能ではありません。
仏にすがるのは手段のひとつです。
苦しみの世に生きながらにして、安らぎを得られる。
一宗教者の提案です。

愛するわんこが荼毘にふされお骨となる、受け入れがたい事実が目の前にありますが・・・
お骨になられても、その子はその子です。
まったく違ったものと考えず、この先も同じ気持ちで、関わってあげて下さい。
そのような心の在りようが、わんこだけではなく、あなたも救われる事になっていくでしょう。

愛する肉親との別れは、今以上かも知れません。
わからないけど、悲しみは計り知れないものとなるでしょう。

しかし、一旦その気持ちを置いていただきだいと、私は思うのです。
肉親の方は、万が一お別れすることになったとして、みつきさんに何を望まれるのでしょうか?

それは、みつきさんがみつきさんらしく生き、幸せになられることではありませんか?
少なくとも私は、そう思います。

今日は悲しく苦しい日となりますが・・・
わんこちゃんの心にも、そっと触れてあげていただければと思います。

悲しくて当たり前です。
苦しくて当たり前です。
その当たり前を、当たり前と感じれる日が、早く来ることをお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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質問者からのお礼

海老原さん

ご回答ありがとうございました。
無事に火葬を終えました。
最後のお別れの時は、生前の姿を見られるのはこれが最後だと思うとやはり辛くて泣いてしまいました。
骨を見る前は変わり果てた姿を見るのがとても怖かったのですが、実際に燃え残った骨を見ると、思っていたよりもしっかりとした骨が残っており、あの子が生きていた証拠のように感じることができました。
火葬場の方が言うには、犬は長生きするほど骨がしっかり残るそうです。それまで亡くなったことを悲しむだけだったのが、よく生きたねと誇らしく思えるようになりました。
海老原さんがおっしゃるように、骨だけになったあの子もあの子として愛していようと思います。まだ時々思い出しては涙ぐんでしまいますが、悲しみだけにとらわれないでいられるよう付き合い方を覚えていきたいです。

「ペット・大切なものの死」問答一覧

疎遠した友人と自分の犬について

私はパートで働いています。 3年くらい前に人間関係が上手くいかなかったことを理由に十数年くらい付き合っていた友人と疎遠しました。 その友人の心は非常に狭く何年か前に無職で自分もどうにか助けてあげようとしましたがその人から何度か辛辣な言葉も浴びせられたのでもう無理でした。 今、もしその人と話したとしても返ってお互いが精神的に傷ついてしまうこともありラインなどといった連絡も一切していません。疎遠後に2度くらいラインの連絡が友人から来ましたがまたしてもどう頑張って話しても辛辣な言葉を浴びせられぐだぐだのまま話が終わりました。 友人の愛犬は3年前に亡くなりました(これは疎遠後の時の出来事です。)。十数年生きたそうで友人は深く悲しんでいました。 私も小学生の頃からその犬を何度か見たことがあります。 今年から私も母が犬を飼いたがっていたのでポメチワのミックス犬と暮らし始めました。 私の犬は最近散歩が出来るようになり友人が暮らしている家と私の家は歩いて10分くらいで近所なのでその友人に私が犬と一緒に暮らしていることがバレないか非常に怖くて心配です。 嫉妬されそうだと思いました。 なので母が犬を飼いたがっているのが分かった時から私はかなり複雑な思いをしました。 ですが母が家族の犬を来るのを期待してるのを見て私はとても反対出来ませんでした。 それで犬を飼い始めることになりました。 また、今年の2月に7歳の文鳥を亡くしました。今も時々涙を浮かべます。 なのできっと友人が愛犬を亡くした時と同じ気持ちになっていると思います。 友人が疎遠後に新しいペットと暮らし始めたのかどうかもわからず文鳥を亡くしたとはいえもし犬と暮らしていることがバレたら友人がどう思うか不安で仕方ありません。

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愛犬の死

1か月前、愛犬が16歳で亡くなりました。 1年前に血液検査で慢性腎臓病と診断が出ました。 亡くなる半年前に血液検査の数値があまり良くなく諸事情もあり県外の病院に転院しました。そこから毎週、投薬、点滴、注射等の治療で通院しました。 犬の慢性腎臓病は人間と違い透析治療ができる病院がなく(できる病院もあるらしい?)食事療法や皮下点滴など進行を遅らせる事しかできないので通院しながら様子見でした。今年の3月初めまでは食欲もあり元気に過ごしていました。 3月中旬、前日までは元気だったのに体調が良くなく病院へ行き検査をしたら急性膵炎を併発していると言われ、急遽、入院になりました。入院中はお見舞いに毎日通い4日目に先生が、もう1日入院させましょう。と言いそれに従いました。 まさか退院後、その日に亡くなるとは思っても見ませんでした。 血液検査は毎回していたので何故、膵炎は見つけられなかったのか?あの時、退院させていれば亡くなる事は無かったのか?と考えたり先生や治療方法に不信感が募ったり、私のせいで愛犬は亡くなってしまったのか?など考えると、いたたまれない気持ちになり苦しい気持ちになりました。 16年と言う年月はとても長く、ついこの間まで家にいた子がいない、気配も感じないと思うと喪失感でいっぱいです。骨壷や遺影を見ると涙が出ます。 家族は愛犬が夢によく出てくると言いますが未だに私の夢の中には1度も出てきてくれません。夢に出てきたら私がまた泣くと思うから出てこない。と家族は言います。 正直、自分自身、愛犬に尽くしやり切った感は凄くあります。でも何処か罪悪感もあります。 あの世でも、病気も治り元気に楽しく過ごしているのか?いつか生まれ変わったら、どんな形であれウチに戻ってきてくれるのか?ウチの家族になって幸せだったのか?など考える毎日です。

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死んで詫びるほかないと決心しております

まずは先に謝らせてください。 皆様のお時間を取らせてしまい、また貴重な場所を頂戴してしまい、本当に申し訳ございません。 本来なら黙って実行するのが筋なのですが… 私は現在300万の借金を抱えています。 そして死亡保険が300万支払われます。 私の命に一切の価値がないことは生まれた時から承知しておりますが、父、母、祖母のため、兄弟のため、負債を残さず死ねると知り、一両日中に決行しようと考えております。 またその際は近隣でずっと迷惑をかけている暴走族を道連れにできればと思っております。 ほとんどの方からすれば300万円は安くはなくとも、どうにかなる金額だと思います。 しかしすべての稼ぐ方法が消滅した私にとっては、無限にも等しい金額です。 超重度のアトピーとASD、おまけにコミュニケーションスキルがなく、まともな就職についたことがありません。 毎年なんとか仕事をいただけないかと努力していますが、断られた会社はゆうに500を超えました。 もう努力する気力もなくなってしまいました。 支援を受けられるほどの障害もないためあらゆる機関から見放されました。 また、自分は愛しているのに誰からも愛されず、ただ一人とも心を通わせられることはなかったです。 家庭にいて、集団にいて、ずっと孤独でした。 学校も社会も、私にとってはいじめを受けるための場でしかありませんでした。 家族もきっと、私の死を喜んでくれると思います。 普通に生まれたかったです。 どうか死にゆく私にせめてもの慈悲として、念仏を賜れないでしょうか。 それをいただいたのち、暴走族のバイクに特攻しようと思います。 何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

ヘルパーに酸素マスクを外され、、、

母は老人施設で老衰で亡くなりました。最後は点滴も出来ない体になり、息も上がっていたので酸素もチューブで鼻から入れてもらっていました。亡くなった当日面会に行っていたのですが目も開ける事なく、問いかけにも微動だにせず、腕も指も動かない状態でした。途中看護師が「口も開いているのでマスクに替えますね」と鼻のチューブをマスクに替えて退室。暫くしてヘルパーがオムツ交換に来たので退室し、終わったのでと声をかけに来てくれてから再度部屋に戻ったところ、鬼の形相(に見えました)で亡くなっていました。その時は亡くなったという現実で頭がいっぱいで気が回らなかったのですが、酸素マスクが外されベッドに置いてあったということが2日後に気付きました。 葬儀を終えてから施設の方へ挨拶へ行き、その際にマスクが外されていた事も話しました。ヘルパーからは何の報告も上がっていなかったので私たちの話で初めて知ったとの事でした。 マスクがあれば看取れたかもしれない。マスクが外されていたので苦しいまま息を引き取ったのかもしれない。それが悔しくて残念でなりません。ただ、マスクがついていたとしても、命の限りは決まっていたでしょうから、施設やヘルパー個人を責める気は無かったのですが、施設からビデオで確認した所オムツ交換をすると言って来たヘルパーと実際にオムツ交換をしたヘルパーは違うヘルパーである。オムツ交換をしたヘルパーに聞いた所顔には触っていない。オムツ交換をした時にマスクがずれたかもしれない。退室時にマスクの確認はしなかった。と曖昧、ウソばかりであろう報告を受けました。 こちらとしては特に報告をして欲しいと言っていなかったので、逆に気持ちを逆撫でされる報告を受け苛立ちや悔しさ、腹立たしさばかりが込み上げてきています。 施設の言い訳、ウソを聞く度にモヤモヤが増して行きます。事を大きくしたく無いと思っていましたがウソをつかれると言い返したくなってしまいます。この気持ちは時が解決してくれるのでしょうか。気の持ち方を教えて頂きたくお話しさせて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 33
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ