参拝や座禅会などの目的ではなく、一時間程お寺の境内で過ごすような訪問は迷惑になりますか?
何がしたいかというと、大げさな表現をすれば沈思黙考と言われることです。厳かでありながらも穏やか、そんな空気感に包まれ一体化しながらの黙考は最高のストレス解消法、好きなんです。
以前住んでいた所は観光地だったこともあり、教会もお寺も神社もみーんなwelcome的雰囲気で、気兼ね無く訪れていました。
教会は信者さんがそれぞれお祈りや神様と対話されていることも多く、違和感なく溶け込めましたし、お寺ではあまり人がおらず(たまたま私が訪れた時だけですきっと)、迷惑かなと気にすることはそれほどなく、気にされることもなかったようでした(多分)。
ここ数年は忙しくて全くできなかったのですが、やっと落ち着いてきたので再び黙考timeをと考えています。
境内の片隅で構いません。でも隅にずっと立っていたら不審者だと警戒されそうなので、参拝に来てちょっと休憩、ぼーっと景色を眺めているように思ってもらえるよう、座れる椅子等がある所を探そうと思っています。
教会なら気軽に行けると思いつつも、hasunohaでお坊さんが身近に感じられたことですし、まずはお寺に行ってみたいなと。しかしこの辺りのお寺は、解放感がないというか近寄りがたい印象があって質問しました。
よろしくお願いします。
回答のつかなかった質問『hasunoha場外編 直接質問するにあたって』は、やはり無理があったのかもしれませんね。 丸一日待ってみてサイト内で数々の問答が行き交う中での回答なしという事実から、そう判断し削除しました。少し早い気もしますが、回答率100%表示を見るのは何だか私まで嬉しくて。 世界に視野を広げ上座部仏教を学んでみることにします。またご縁があればよろしくお願いします。 愛読書は『訳註 良寛詩集』ワイド版岩波文庫、その解説本の数々、他『夜と霧』です。 せめて、心だけでも優游と生きていけたらと思います。 色んな人の、ものの見方や考え方を知ることが大好きです。
作為的な流れに逆らいたくなる。流行とか洗脳とか操作とか洗脳とか誘導とか洗脳とか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
むしろ昔、高度経済成長以前の方がそんな感じだったんですよ。いわゆる『入りびたりのお婆さん』という言葉があったくらいです。
そういう昔のお寺の良さを復活させたくてそっち方面に取り組んでいらっしゃるお寺もありますし、いつも不審者に悩まされてピリピリしているお寺もあります。ここ数年は特に本尊盗難とか謎の液体ぶっかけ事件とか色々続きましたしね…
その辺は地域やお寺ごとの温度差がかなり大きいです。同じ市内でも都市部と山間部でまったく別の宗教みたいな温度差あったりしますしね。
神社だって去年だったかな?「聖域で子供をはしゃぎ回らせるなんてケシカラン!」という某一の宮の宮司さんの書き込みが話題になりましたけど、私は(いや、ウチの近くの神社なんか境内に遊具置いてますやん…)って思ってましたし。お寺も同じくらい温度差があります。
空気読みつつ居心地のいいお寺を探しましょう。できればご朱印帳か何か持って回って、それとなく聞いてみて、オッケーなら話を通しておくのがいいと思います。こちらとしても「あぁ、あの人はそういう人なんだな」と思えれば安心できますし、家族にも話を通しておきやすいかなと思います。
大慈さん、ご回答ありがとうございます。
そういえばありましたね、数々の事件。
世界的な惨事もまだ終息していないようですし、もしかしたら、日本の教会でも今はピリピリしているかもしれません。
何かあった時、自分が容疑者と疑われないためにも、こちらから声をかけた方が良いのかも。おっしゃるように、その感触によって話を通しておけばお互い安心できそうです。
これからの季節、花や新緑の香りも楽しめますね。早く春が来ないかな。
どんな風が流れているか、空気感はいかほどか、今からとても心が躍ります。
ありがとうございました。