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今の状況から抜け出すには

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私は精神を病んでおりまして病院で薬をもらいながら自宅療養をしております。仏教は中学生の時ぐらいから興味を持っており、そのときから大人になったらお坊さんになりたいと思っておりました。しかし、高校時代にいじめを受けてしまいました。その後、大学には行ったものの、途中で精神病になってしまいました。仏門の世界は精神的にも体力的にも厳しいとお聞きします。今の私の精神状況や体力ではとても出家は無理なのではないかと思えてしまいます。しかし、どこかで自分が変わらなければこのまま歳だけとっていき悲惨なことになってしまうのではないかと思い、眠れなくなることもしばしばあります。こんな私は一体どうすればよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すべての宗派の僧侶が体力的にきついのではありませが

お坊さんになろうとお考えになっているとも受け取れる文面ですね。お坊さんといっても私の属する浄土真宗は、少なくとも行はありませんからその意味で体力的にきついとは言えません。一日だけで得度させてくださる派、さらに髪の毛を切らなくてもよい派もあります。私は本願寺派に属しており10日程の習礼(しゅらい)期間がありますが、同じ派に属しているお寺のお子さんが1日コース、剃髪なしの派で得度なさっている例も多々あります。要はカジュアルなんです。

しかし、あるテレビ番組を見ていたとき、私と同じ宗派の若い女性が、「お坊さんの資格も持っています」と発言なさったのを聞いたとき、愕然としました。「お坊さんになるは資格を得ることなのかァ」と思い、呆れました。そうではなく得度するとはその人の自覚の問題であるはずです。仏弟子になる決意というか……。

こうした決意というか、自覚というかを得る契機が得度であり、僧籍を頂くことであるはずです。逆にいうと、お坊さんにならなくても仏弟子としての自覚は得られるし、仏教の学習や実践も可能なはずです。

マインドフルネスを行えば、精神的な苦しみが軽減するというのはよく言われることです。その他、教えを学んだり、お寺にお参りしたり、お掃除やお寺の仕事を手伝ったりすることで、ひとの悩みや苦しみが軽くなるのは事実だと思います。

もし、家から出てただしにお寺に向かうのが辛いなら、インターネット上で勉強したり、悩み事相談をなさっているお寺に電話したりしてみることです。外に出るのが億劫でないなら、いろんな事を体験させてくれるお寺や、誰でもいつでも歓迎というお寺に足を向けてみることです。まずは仏教やお寺に直に触れてみることではないでしょうか。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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生活の中に仏教の取り入れる方法について

精神科医の名越康文先生が書かれた「どうせ死ぬのに何故生きるのか」(PHP新書発行)に、仏教というのは「現象学的な物の見方」を自分の手に受け止め、それを実践していく為の方法論であると述べられています。行や瞑想によって心を落ち着かせるということは、現象学的な物の見方を身に着けつつ、それをコントロールしていく道につながっていると書かれています。釈尊は「苦に」ついての現象の原因を徹底的に突き止め、その解消策の知恵をお経にして、周知をはかられているのが仏教です。今でいえば、精神医学のノーベル賞ものの快挙です。精神的苦痛の根本が五蘊(心)にあることを突き止め、呼吸と心との繋がりに気づき、「瞑想」と「行」による実践を諭しています。病気は「精進料理」による、予防医学の実践を教えています。曹洞宗の修業寺(永平寺や総持寺等)では、「衣威儀仏法、作法これ宗旨」の基、道元禅師様の教えを、修業体験により理解し身に着け、檀家さんや世間に伝授しています。
紹介の、「どうせ死ぬのに何故生きるのか」は容易に、生活の中に仏教の取り入れる方法が著述されていますので、是非講読される様お奨め致します。                             合掌

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清水道心
サラリーマンでしたが、第二の人生は、在家から出家得度し僧侶に転進。現在、ブ...
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質問者からのお礼

藤岡俊彦様、さっそく土日に近くのお寺さんを何軒か訪ねてみようと思います。また、本を読んだりインターネットで仏教のことをもっと勉強してみようと思います。
清水道心様、「どうせ死ぬのに何故生きるのか」読んでみようと思います。道元禅師様のお言葉をお教えいただきありがとうございます。私は物事を観念的に考えてしまいがちなので、生活の中に仏教を取り入れていくということを念頭に学んでいきたいと思います。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

自分に価値がないと思い込んでしまう

こんにちは。社会人の傍らアーティストとして作品を作っている者です。 自分の周りの人を、特にいま付き合っている彼氏と無意識に比べてしまい、自分の作品、自分自身に価値がないと思い込んでしまいます。 私の彼氏もアーティストで、私よりも歴が長く実績も成功談もたくさんあります。 「仕事が入った」「有名なあの人と飲みに行く」など、そういったエピソードを聞く度に、自分自身と照らし合わせて落ち込んでしまいます。 私はアーティストとしてはまだ歴が浅く、自分に価値を見出すには今は作品を作り続けるしかないとは自負しています。 しかし彼氏の成功談を聞く度に「もっと早く始めていれば」「自分にもっと才能があれば」など、過去に何もしなかった自分を責めてしまいます。 私は過去にアーティストを志したものの、元彼のモラハラ(アーティストとしての才能を否定されたこと)や仕事を理由に諦めてしまいました。それでも今の彼氏と出会い、やっぱり自分も輝きたいと思いもう一度挑戦しています。ですがやはり、過去に諦めた事を酷く後悔していて、あの時諦めていなければ今頃彼と同じように輝いていたのに、と考えてしまいます。 前に感情的になり彼にその事を言ってしまい「そんなことを自分に言われても」と彼を困らせてしまったのもあり、余計に後悔が募るばかりです。 彼はその後も会う度に嬉々として新しいものを見せてくれますが、正直今は彼の作品を見るのも苦しく、とにかく作品を作らなくてはと思いながらアイデアが思い浮かばない自分が日に日に憎くなり、毎日苦しいです。 過去の後悔と決別し、無意識に他者と比較しないためにはどう考えれば良いでしょうか? どうかお力添えください。よろしくお願い致します。

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辛くても悲しくても笑っています

わたしは辛くても悲しくても笑ってしまいます。 人から何か言われたり、コンビニの店員さんに答えるだけでも笑ってしまいます。 本心からならいいんです。 でも、心の中は黒い感情でいっぱいです。 たとえば『気安く話しかけてんじゃねーぞ』とか 仕事中なら『お前サボってねーで手伝えよ』とか。 こうなってしまったのは子供の頃、父がわたしに理不尽な事をした時に 怒ってにらみつけたり、泣いたりするとものすごい怒声と暴力があったからです。 それから人前で本心をさらけ出すのが怖くなり、どんな状況でも笑ってしまい、身を守る癖がついてしまいました。 たとえばどうしても嫌な事でも頼まれ続けると受け入れてしまい、その後、その後始末で何年も悩むとか、その後の人生がその時の尻ぬぐいのような感じで終わってしまいます。 頭ではわかっているのですが、条件反射的にそうなってしまいます。 自分の人生を、自分らしく、自分の感情や気持ちを偽らずに生きていくにはどうしたらいいでしょうか? 頭や心では万人に好かれなくていい、自分が好きな人だけに好かれたらいいと思っていてもどうしてもその癖が抜けません。 笑わなかった後の相手の反応がわからず困っています。

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父親から煽られる不安や苦しみについて

はじめまして、ときおりHasunohaを覗いて元気をもらっている者です。 父親からの苦しみについて相談させて頂きます。 父親に人生やキャリアの話をすると、その返答に異様に不安を搔き立てられてしまいます。 昨日も、父親と話しているときにはそこまで不安を搔き立てられなかったのですが、寝るときになって悪夢にうなされ、明け方震えで目が覚めました。 以前会社を転職する際も、今から上司に謝って会社に残らせてもらえ!と怒鳴られました。次の会社から海外留学するときも、ようやく落ち着いたと思っていたのにこれらからどうするんだ、いい年だぞと言われました。海外でなんとか職を得て働き始めた今、冒頭の電話をしたら、そんな給料ではやっていけない、その年(アラフォー)になって、仮に日本に帰ったときに仕事があるのか、などなど。とにかく、年齢のこと、お金のことを言われます。 何より、父親と話すと、自分の人生のすべての決断が間違っているように感じます。私は今まで自己肯定感は強い方だったと思います。でも、父親と話すと、とにかく不安ばかり煽られます。言われれば、上場企業で何もせずに定年まで過ごせば一番金銭的にも良かったと思うことがあります。日本企業の安定的な環境のことや退職金など自分が失ったことはよくわかっているのです。苦労して海外で職探しなどしなければよかった、海外なら駐在員でも目指して適当に過ごせばよかった。自分はまともに仕事をして(会社には適当に仕事している人もたくさんいました)、自分のキャリアも考えたり、真面目に働いてきたつもりだったのに、なんでこうも苦しい道ばかり選んだのだろう。自分や自分の人生を肯定できないこと、とても辛いです。また、この自己肯定感は母親がありがたくも与えてくれたものだと思っているので、よけいに苦しいです。 心配してくれているからこその父親の言い方なのだとか、自分はまだまだ学ぶことが多いのだとか、お金だってまだこれから稼ぎうまく老後を過ごすよう努力すればよいのだとか、頭では考えられます。でも、もう不安を煽られたり、年齢のことを言われたり、せっかく一時帰国して会いたいという話をしても今は仕事を頑張るときだと断定されたり、疲れてくるのです。 質問のポイント、背景のご説明も不十分、乱文で大変恐縮ですが、それでも何かお知恵を頂けたらありがたく存じます。

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諦める(明らめる)には

こんにちは。 私は、家族に対する期待があり、それを得られないことで苦しんでおります。それを諦めることはできるでしょうか。 私が家族に期待することは、たとえば私が泣いていたら「大丈夫?」「そばにいるよ」などの心配や寄り添いをしてもらうことです。 私の家庭環境は、仕事命で子供には無関心だった父、幼少期に喧嘩して大人になるまで無視され続けた兄、過干渉で頭ごなしに怒る母でした。家庭の中で安心して甘えられる相手がおらず、友人も少なかったです。 大人になって現在、私は結婚して夫と二人暮らしです。夫は付き合っている時は愛情表現が割とあったのですが結婚してからはすっかりなくなりました。さらに、どうやら夫は発達障害の特性があるようだと分かり、他人に共感することがとても苦手な人なんだということが分かりました。 こういうわけで私の家族は、私が求める形で寄り添える人はいません。愛情はそれだけでは無いと頭では理解しています。 父は、お金は何不自由なく出して育ててくれましたし、兄との喧嘩はお互い様です。母の過干渉も心配や愛情からくるものだと理解しています。夫が共感が苦手なのは別に悪いことではありません。 それでも、私は自分が誰かの目の前で泣いている時に誰も声をかけてくれないことが心から辛いです。自分には心配される、愛される価値がないんだとまで思ってしまいます。 「まずは自分から愛すること」や「自分で自分を愛すること」を心掛けてはいるのですが、なかなかうまくできていません。心のどこかで愛されてない自分を諦められない、もしくは納得いってないのかもしれません。 仏教では、諦める=明らめる、ということだと知りました。現実を直視しそれを受け入れて楽になることは私1人でもできるでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ