病気で手術することになりました。
幼い頃に母親が家を出て行ったことがあるせいか
この年齢になっても母親に対する執着がひどいような気がします。
母親が本当に私のことを大事に思っているのか
まるで思春期の子供のようにその愛情を試したかと思うと
自分が母よりさきに死ぬことになったら
母はどれだけ悲しみ、苦しむのだろう。
ひとりぼっち(父はすでに他界しています)で
寂しく生きていくのだろうか。
誰が母の葬儀をあげてくれるのだろうか。
もし、母が孤独死するようなことになったら
と考えるとどうしようもなく怖くなります。
母も私を置いて出て行ったという負い目があるらしく
必要以上に私の面倒をみてくれます。
互いに依存しすぎているのかもしれません。
分かってはいても、母の手を振りほどくことも
母の悲しそうな顔を見るのも耐えられません。
今回の手術でも自分が死ぬことよりも、母を残していくことに
どうしようない恐怖を感じるのです。
手術自体は簡単なものですが、
もしその過程でほかの悪性の何かが見つかったら…
もし手術が失敗したら…
もし術後の回復が芳しくなく、大きな障害をおったら
母は悲しむだろう…と考え、涙が止まらなくなります。
いったいどうしたら、この執着を手放すことができるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですか。。。いろんなことがあったけれど、親子の絆が、あなた達を結んでいるのですね。
生きていたら、いつだって不安は尽きません。それは、あなただけではありませんよ。人間は皆、執着を断ち切ることができない。繋がりの中で生きているからです。
離れたくない、別れたくない、死にたくない、そう願うから、誰だって 苦しい。
人生は、苦ですね。
だから、そこに仏様の救いがあるのです。
救いたい、私の浄土に生まれておいで、これが阿弥陀如来の願いです。
私もね、大切な人がいる。
いつまでも、叶うことなら、ずっと一緒にいたい。でも、命は儚いことも、知っている。
だから、この世で命終えたあと、お浄土に参らせてもらいたい。そしたら、必ず 必ず、大切な人に遇えるのだから◎
そう願ってくださる阿弥陀さまに、私は この命をおまかせして 生きています。
頼るは、阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏なもあみだぶつ と、お念仏の毎日です。
あなたの命も、お母さまの命も、これから先も ずっと一緒でいられるとしたら。一緒でいられる場所があるのなら。
あなたも、仏様に 頼っていきませんか。
手術、不安でしょうね。
私も念じております。
あなたの これからを。
お母さまとの これからを。
お忙しい中、ありがとうございます。
「死」や「別離」にだけ目をむけるのではなく
あの世でまた逢えるのだと信じ、生きている今を懸命に…と思います。
本当にありがとうございました。