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「浄土宗」と「真言宗」について

回答数回答 4
有り難し有り難し 94

また、よろしくお願い致します。

私達夫婦は、後継者が、いない為、
寺院の境内にある「永代供養付樹木葬」の
見学を始めました。

候補が、二つに、しぼられて
どちらも格式高い、お寺様で、二つとも気に入って
本当に、どちらにしようか真剣に考えております。

二つとも「永代供養墓普及会」の紹介なので、
形や値段は全て同じです。

ただ、一つは「浄土宗」の寺院、
もう一つは「真言宗」の寺院です。

樹木葬墓地は宗派は問わないのですが、
納骨する時は、その寺院の御坊様に拝んで頂くことになります。

私は、戒名は頂きたいので、やはり選んだ寺院の宗派の
戒名になると思います。

そこで、
「浄土宗」と「真言宗」の考え方が、
どのように異なるのか教えてください。

できれば、
「浄土宗」の御坊様と、「真言宗」の御坊様の
双方の立場から教えて頂けると有難いです。

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

元々は仏教を開祖のお釈迦様を根本ということは両宗派ともに基本は同じことを学んでいます。

浄土宗の開祖は法然(円光大師)
平安時代の後期から鎌倉時代の初期(1133年〜1212年)のお坊さんです。

真言宗の開祖は空海(弘法大師)
平安時代の初期(774年〜835年)のお坊さんです。

ーーーーーーーーーーーーー
浄土宗の根本経典は浄土三部経
真言宗の根本経典は大日経・金剛頂経

浄土宗の基本なる本尊は
「阿弥陀如来」
真言宗の基本なる本尊は
「大日如来(盧舎那仏)」

経典も本尊もそれぞれの縁起ある仏様により各寺院では本尊は異なります。

ーーーーーーーーーーーーー
戒名での位牌の上に梵字が入ります。

浄土宗は「キリーク(阿弥陀如来」)
真言宗は「ア(大日如来)」

ともに仏様と一体になることを表しております。

戒名の授与の仕方は各寺院によっては異なりますが、基本は生前の性格や職業や趣味や徳を積んだことなどで、変わってきます。

仏の浄土数は数多く存在します。
有名なのは西方極楽浄土ですね。真言宗では密厳浄土ともいいます。

戒名は二文字です。
男性「高徳院清覚居士」
女性「蓮浄院愛心大姉」

1、清覚 2、愛心

◯◯院や居士や大姉などは、生前寺院に徳を積んだ方などに贈られるものです。一例です。

大半の戒名は
「雲林観実信士・信女」
が多いです。
1、雲林は道号といいます。

このように浄土宗と真言宗での戒名の差異はそう少ないと思います。寺院により授与の仕方が変わっていくものです。

名付けてもらう寺院に色々とご相談されましたら、良い戒名を授かることができると思います。

簡単な説明になりますので、参考程度にしてくださいませ。

合掌

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祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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念仏すれば誰でも極楽に往生できる

浄土宗では、念仏(南無阿弥陀仏と口でとなえる)をして極楽浄土に往生したいと願う者は、誰でも阿弥陀仏の力で極楽浄土(阿弥陀仏が造り上げた浄土)に生まれかわることができると考えます。
そして、真言宗の中にも、阿弥陀仏信仰はあります。
真言宗の信者が南無阿弥陀仏と念仏した場合も、阿弥陀様は救ってくださるはずです。
さらに言えば、キリスト教徒だろうとイスラム教徒だろうと、念仏して往生を願うならば、阿弥陀様は見捨てないと思います。
浄土宗は、阿弥陀仏の力=他力だけで救われるから、念仏だけでOKだ、自力で悟るための難しい修行は、極楽浄土に往生してからやればいいので、この世では南無阿弥陀仏を中心に修行しましょう、という考え。
真言宗は、自力で悟る修行がメインだけど、大日如来に限らずあらゆる仏様も敬うので、その中で阿弥陀仏信仰をする場合もあります。

浄土宗は、誰にでもできる易しい念仏修行のみ。

真言宗は、やりたい人は悟るための(難しい修行)もできる幅広い教え、色んな仏・明王・菩薩様を信仰できる教え、だと思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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ご夫婦でその二つのお寺に行ってお話を聞かれてはどうでしょうか?そうすればそこのお坊さんの人柄もわかりますからね。
その上で安心できる方を選択したらいいと思いますよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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真言宗は即身成仏を説きます

菜の花さん、はじめまして。質問を拝読しました。

菜の花さんは樹木葬を検討されていて戒名を授かりたいと考えておられるのですね。そこで、浄土宗と真言宗の違いについて知りたいのですね。

真言宗は即身成仏を説きます。平たく言うと「生きたこの身このままで仏になれる」ということです。菜の花さんには生まれつき仏の種を心の中に宿しています。仏の種に水をやって大事に育てると、やがて大輪の花を咲かせます。
泥の中から蓮華が咲くように、心のホコリを取り磨いていくことで蓮華が咲くように仏になると説くのです。

あまりピンとこなければ高野山に行ってみられることをおすすめします。
高野山の雰囲気を感じて、空海が今でも生き続けているといわれている高野山奥之院で肌で感じてみるといいと思います。

最終的には宗派の違いではなく、御住職の人柄で決められた方が菜の花さんもすっきりするように思います。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

法源様
大阪府の「真言宗」の御坊様ですね。
大変ご丁寧な、ご説明有難うございました。

願誉浄史様
「浄土宗」の御坊様ですね。
分かりやすい、ご説明有難うございました。

三宅 聖章様
岡山県の「浄土宗」の御坊様ですね。
ごもっとも、ですね。有難うございました。

hasunohaの、お蔭で
本来なら、足を運ぶことが困難な遠くに住んでいらっしゃる、
いろいろな宗派の御坊様の、お話しを聞くことが出来て
本当に有難く思います。昔なら出来ない事でした。
これも今の時代を生きている人の特権なのでしょうか。

中村太釈様
「高野山真言宗」の御坊様ですね。
有難うございました。
昨日、「真言宗」の御寺様の樹木葬を契約してまいりました。
もう迷いはありません。
最終的に自分が収まる場所が決まるとホッとします。
心の中で、故・高野山への案内犬ゴンちゃんが「真言宗」へと
導いてくれたのかも知れません。

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

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真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

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