臨済宗を開いたのは 栄西?白隠?臨済?達磨? 誰なのですか?
すべて甘い生活
以前に質問させて頂いた者ですが、仏教を学ぶ中、従来の信仰宗派とは別宗派の教えに魅力を感じるようになりました。改宗ということも可能な世の中ではありますが、大事になることは重々承知であり、現段階では実行せずにと思うのです。そんな中、自分自身その別宗派が重んじている教えに心を打たれた訳なのですが、現在の宗派に属しながらも個人として別宗派の教えにあやかると言うのは善として捉えても良いのでしょうか?勿論ご先祖様の供養について無礼なく従来通りで供養に努めて参りますが。また改宗についてもし何かアドバイスが頂けるとしたならば有難いです。よろしくお願いします。
日蓮宗のお坊さんに質問させて頂きます。 日蓮上人の御命日でお忙しい中、見て頂きありがとうございます。 本日は「回数」について、決まり事なのか作法なのか、もしくは気にしなくてよいものかお聞きしたく思います。 様々な場で「3」が出てくるように思います。 1)方便品第二の十如是を3回唱える 2)第二や第十六、唱題が始まってしばらくすると、3回お鈴を鳴らす また、 3)焼香は3回かと思っていましたが、葬儀会社の人に1回でお願いしますと言われたことがある(たまたま参列者が多かったから?) 4)お線香を2本あげていたら、それならもう1本あげて3本に。(と言われたことがある。) など、です。 その他、信徒であるなら心得ておいたほうが良い回数や数字にまつわることもございましたら、教えてください。 よろしくお願いします。
今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。
義父が3年前に亡くなった直後、どこの宗、お寺にてお経を読んでもらうか、生前義父が言っていたことを忘れていて、同じ真宗ですが、最近葬儀を行った宗派とは違う宗派でした。 義父が亡くなる3年前に義母が亡くなった時、義父が言っていた宗派と違う宗派で葬儀をしたので、 義父が亡くなった時、義母と違う宗派の葬式はまずいと思って、そのままその宗派で葬儀をあげました。 それで、せめて分骨だけでもと思いまして、調べたら檀信徒のみ納骨できるとのことです。 私たちがそこの宗派の寺の檀信徒になれば納骨できるなら、宗派替え、お寺を替えないといけないと考えてます。 替える場合、今のお寺さんにはお墓も作ってないのでお墓もなく、檀家というほどの付き合いはありませんが、どう言ったらいいのでしょうか。 また、宗派替えまですることもないのでしょうか。 生前、嫌がられてもはっきりと聞いておけばと後悔してます。
2020年に夫を急性心筋梗塞で喪いました 家には義両親を供養するお仏壇がございます またお墓もありますが私の気持ちが付いて行かずに 夫はまだ納骨しておりません 2010年に亡くなった実父も お墓はございますし 毎月お参りにも出向いておりますが 日々供養するお仏壇は実母が 施設へ入居した際に処分しております 今は宗派違いの実父の写真を 義両親のお仏壇の中に 入れさせていますが このような場合どうするのが良いのでしょうか? よろしくお願いいたします
私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。
改宗について教えてください。 改宗すると、改宗以前の先祖も改宗されたことになるのでしょうか? それとも、戒名の付け方が宗派で異なるので、戒名を受けた時点の宗派はずっと変わらないと考えるのでしょうか? お墓は個人管理地の個人墓です。
お盆で夫の祖父(戦死)のお墓に墓参りに行きました。 戒名を見ると◯◯院釈◯◯居士、となっていました。 夫は自分の家のことに無関心で、宗派のことなど全くわからないと言っています。 この戒名のお宗旨を教えていただけませんでしょうか?
私は宗教宗派に縛られるのが苦手です。 無限なるこの大宇宙の如く、真理の大海を自由無碍に飛びまわりたいのです。 これは罪 でしょうか❓ (個人的には高野山真言宗で家系の宗派は、浄土真宗本願寺派です。改宗するつもりは、ありません。)
私の家は法華宗でして前回質問時の、 回答に浄土真宗の観点からの答えを見させていただきまして思ったのですが法華宗では悪い事をした人は全員地獄に落ちると聞きました 私の家は法華宗なので浄土真宗の教えとは違うので仏様の教えを聞き続けてもダメなのでしょうか? 分かりにくかったらすいません
躁と鬱と私と共に生きる西條るじん僧侶
和歌山の駆け込み寺・中田三恵住職
「心の厄がはがれていく本」をご紹介!
教えと名言・逸話
仏教の根幹となる教え
仏教が説く8つの苦とは