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仏教では同性愛についてどう考えるのでしょうか。

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こんにちは。私は、今とても好きな人がいるのですが
その人は同性の女性です。
海外ではキリスト教や他の宗教を理由にして同性愛者を排除しようとする人がいたりしますが、仏教が比較的浸透している日本ではあまりそんなことは聞いた事がありません。
仏教では同性愛についてはどのような考え方をするのでしょうか。よろしければ是非教えて下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教と同性愛について

rosie様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教と同性愛について・・

難しい問題でありますが、丹下様と同様に拙私見として以下に少しだけ述べさせて頂こうかと存じております。

基本的に、僧侶・出家者で無い者においては、「不邪淫戒」として、淫らで邪な愛欲に支配されてしまっているのではなく、特に相手や他の人への迷惑にならないのであれば、同性愛であっても問題は無いのではないかとは存じます。

淫らで邪な愛欲とは、簡単な例としては、ストーカー的な歪な愛執、色々と日常生活や仕事に支障をきたしたり、他人への迷惑となるような程に性行為に依存してしまうこと、他の人と不倫的な関係を持ってしまうことなどとなりますでしょうかね・・

健全で良好な愛情(想い合い、思い遣り、親切心)を持ち合う関係であれば、異性でも同性でも構わないのではないかとは考えております。

大切となるのは、異性でも同性でも、お互いの支え合い、助け合い、分かち合いのバランス関係を保てるかどうかではないかと存じております。

次に僧侶・出家者についてですが、本来的な意義として、仏道成就のためには、煩悩、執着に繋がるような愛欲は当然に避けることが望ましいこととなります。現在日本では、明治政府による戒律緩和政策がなされて以来、僧侶の妻帯が認められていますが、それ以前では、「女犯」(にょぼん)として、女性と交わることはもちろん、妻帯も当然に堅く禁じられていました。但し、本当に厳しく取り締まりがあったのは奈良時代と江戸時代で、それ以外では形骸化していた時代も多くあり、また、余談ながら、取り締まりの厳しい時代では、「衆道」という男色(男性同性愛)が流行した時期もあったようです・・

話を戻して、戒律の厳格な宗派では、今でも女性との交わりは禁じられていますし、本来的意義からしますと同性との常軌を逸脱した愛欲・性欲による交わりも禁じられているかとは存じます。

もちろん、妻帯したからといって仏道を歩めないわけではありませんが、妻子帯しない方が仏道をよりスピードを上げて進めやすいということはあるのではないかとは存じます。既に妻子帯してしまっている愚鈍なる拙生としましては、このことを十分に理解した上にて、しっかりと菩提心を保ちて、智慧と福徳の二資糧、善根を積んで参りたいと考えております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

あなたの「愛」が答えを自ずから導き出す。

仏教の公式見解として「同性愛についてはこういう見解である」というものではありません。
個人的な立場としてお答えいさせていただきます。
よって、あなたも「仏教ではこう考えているそうだ」とは思わないで頂きたいと思います。
戒律の中で「不邪淫戒」という戒があります。
様々な解釈がなされますが、
「道はずれな情欲、情愛の思いをおこすべきではない」
「道ならざる愛欲を犯すべからず」などと解釈されます。
この「道ならざる」は当時の社会でも厳密化されたわけではありませんので、個々の判断にゆだねられてきたものです。
結論:「愛という言葉の質が問われる」「愛という理念を無くして考えてみてください。」
くだけて申し上げれば「何でもかんでも愛に結びつけちゃうと意味不明、理解不能、矛盾が生じてしまう」のです。
それは必ずしも「愛」ではない、と線引きをするべきではないでしょうか。
人の❝好意❞には色々あるからです。
あなたが「愛している」からと言って、愛するあなたの相手は「喜ばしい」かどうかを問うべきです。あなたが愛することで彼女も家族や親族からも奇異な目にさらされる。
そうすることが必ずしも「愛」といえることでしょうか。
自分を中心優先とした感情は「愛」と呼ぶべきではない様に思います。
それは我欲というべきでます。
単なる「好意」「敬愛」「尊敬」という分野におさめるべき気持ちを愛情、愛欲の方に分類、牽引してしまう気持ちを理性で制するべきであるとおもいます。だから何でもかんでも「愛」にまとめてしまわない様に注意される必要があります。
あなたがその人を「愛」する気持ちがあるならばこそ「愛」にするためには相手を傷つけるようなことは避けるべきです。
よって、あなたの愛が清らかであればあるほど、あなたはそれ以上を彼女に求められなくなる。守り、見守ること、恋愛に発展させない事だって愛です。友情は最も永続する感情ですからヽ(^o^)。そういうライトな愛、敬愛、深い友情、でとどめておくべきである愛もあると思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

寛容かと思います

rosieさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

ご質問文に「海外では」と書かれていましたが、ソチ冬季オリンピックを前にして、ロシアで同性愛者に対して厳しい状況になっている、と報道で見た記憶があります。

一方欧米各国では、その国や地域によるでしょうが、同性婚が認められるなど比較的ゆるやかである印象を持っています。オランダでは同性婚が認められ、さらにそのカップルが養子をとることも認められている、と聞いて驚いたことがあります。

日本ではどうなのでしょうか。テレビをつけると、生まれつきの性別は男性ながら、女性的(中性的)な方がたくさん出ていらっしゃるので(それが仏教が浸透しているせいかどうか分かりませんが)、比較的寛容な気がいたします。

前出の回答と同じになりますが、特に仏教で同性愛を禁じているということはないと思います。
それを踏まえて私としては、当事者同士が納得しているのであれば、特に問題はないのではないかと思います。

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

質問者からのお礼

【丹下 覚元さま】
さっそくの回答ありがとうございます。同性であるの問題以前に、相手にとってそれが喜ばしいことであるかを考える必要がある・・・その通りだな、と思いました。ありがたいお言葉ありがとうございます。今一度、相手に対する自分の気持ちを試みてみようと思います。

【川口英俊さま】
ご回答ありがとうございます。最初に、同性異性関わらずに一貫した考え方をしていいのだな、と少し安心いたしました。(同性というだけで罪の意識が少しあったので)これからは、相手の性別に執着しすぎず、あくまで一人の人間との関係性として良好な関係が築けていけるよう努めたいと思います。どうもありがとうございました。

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