前回質問させていただきありがとうございました。また、悩んでしまっていることがあるのでご相談させていただきます。
私は、小学生の頃から動物が好きで将来動物関係の仕事に就きたいと思っています。
ですが、私は小学生の頃友達とある小屋に猫と犬がいたため見に遊びに行っていました。
ある日、私は何を思ったのかその小屋にいた子猫たちを友達と一緒になって、私の家の近くに勝手に連れてきてしまってその後放置してしまいました。次の日見に行った時には子猫の姿はありませんでした。
私は、動物が好きだと言うのにこのような罪を犯してしまってとても後悔しています。私が勝手に連れてきてしまったせいで亡くなってしまっているかもしれない。
あのまま、小屋にいればご飯もあり幸せに暮らせていたかもしれない。などど、何故あんなことをしてしまったのかと、とても後悔しています。
自分がその、子猫の立場だったら急に親とはぐれ知らない所に連れて行かれましてや放置されるなんて事が起きたらとても怖いです。
このような罪を犯した私は、動物関係の仕事に就く資格があるのでしょうか。
また、この罪に対して、どのように向き合っていけば良いのでしょうか。
どうかご意見お聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝見いたしました。
小さい頃に犯してしまったことって、なかなか脳裏から離れないですよね。
忘れたくても忘れられない苦しみ。
「お前に資格はあるのか?」と過去が突きつけてくる罪悪感。
私も過去にいろんな悪いことをしてしまったので、とても共感できます。
でも、どうなんでしょう。
過去が未来のあなたの人生を決定づけるのでしょうか。
私はこれ、ちょっと違うと思っています。
過去が決めるのは未来ではなく、現在だと思います。
過去の出来事は、現在の行動につながるだけです。
そして現在の行動が、未来への自分へと繋がっていく。
過去と未来は一直線ではありません。
現在という部分で、どのような行動をとるかによって分岐します。
あなたが子猫を連れ出したのは過去です。
それ自体が変わることは変わりません。
しかし、それで「私は動物関係の仕事につくことはできない」と未来を決めるのは早計です。
「次は動物を守れるような選択をしよう」
と現在の行動を過去からつなげると、未来は自然と「動物関係の仕事に就こう」となっていきます。
逆に言ってしまうと、未来を悲観するのは、ちょっとした逃げ道です。
『罪悪感に苦しむことは償いなのだ、私は苦しまなければいけない存在なのだ』
苦しむことは悪いことではありません。悲しみも苦しみもいいと思います。
ですが、償いだ、と考えてしまえば、自分が挑戦的な行動を起こさなくて済みます。
何もしなくても、ただ、自分が苦しめば救われます。
結局のところ、未来を選択して行動することが怖いのかもしれません。
つまりあなたに問われているのは「行動できるか?」という覚悟なのかもしれません。
あなたの人生はまだ始まったばかりです。
挑戦するのは不安でしょうが、維持の先に待っているのは衰退です。
少しづつでいいので、変化していきましょう。
まずは小さなステップから行動を始めましょう。
動物関係の仕事内容を詳しく調べたり、動物の習性を学んでもいいでしょう。
大きく一歩を踏み出さずに、小さく始めてみてください。
時がたって振り返れば、過去に縛られていた自分を見て「ここまで歩いていたか」と思えるはずです。
過去は現在の行動によって意味が変わります。
心配しなくて大丈夫です。前を向いて歩いてみましょう。
長文、失礼しました。
確かに、私は逃げようとしていたのかもしれません。ですが、これからは前向きに少しずつ進んでいこうと思います。
そして、今度は動物を救うことができるよう頑張ろうと思います。
素敵なお言葉をありがとうございました。