回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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実らない努力はあっても、無駄な努力はない
私も受験などで失敗して、その時は「あーあ努力は実らなかった」と思いました。でも受験には失敗したけど実力はちゃんとついていました。今になってから、「あの時の努力は無駄じゃなかったな」、なんて思ったりもします。
努力についてはいくつか名言があるので、ここに書いておきますね。
「
努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、
それはまだ努力と呼べない。
」
王 貞治(プロ野球監督)
「
100回叩くと壊れる壁があったとする。
でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、99回まで来ていても途中であきらめてしまう。
」
松岡 修造(プロテニス選手)
最後にこんな言葉を
「
成功者の言葉しか世の中には残らないから『やればできる』が格言になる。
夢は叶わないかもしれない。
叶える為の努力は無駄に終わるかもしれない。
でも何かに向かっていたその日々を君は確かに輝いて生きていたのではないか。
それが報酬だと思わないか。
」
為末 大(陸上選手)
わたしも教えてほしいです
実る努力と実らない努力・・・
興味深くご相談を拝見しました。
少し考えてみたんですが、
仮に「実る」ということを「学校のテストで良い点をとる」こととすると、
例えば、数学のテストで、
Aさんは数学の教科書を100回”音読”する!という勉強をした。
Bさんは数学の教科書を100問ノートに書いて勉強した。
AさんBさんどちらも大変努力しました。
でもおそらくというか必ず点数に差が出るでしょう。
どちらかの努力は実らなかったことになります。
同じように例えば音楽の「歌」のテストで、
Aさんは、課題の歌を100回歌った。
Bさんは、課題の歌の音符を100回”書き写した。”
AさんもBさんも超!努力していますが、
やはり点数に差が出ると思います。
どちらかの努力は実らなかったことになります。
そう考えると、
努力はしたからといって必ず実るとは限らないものだと思います。
一方、実らなかったその努力は決して無駄ではなく、
別の分野では、その努力が実ることもある、とも言えると思います。
実る努力と実らない努力の違い。
学校のテストとかわかりやすいですけど、
実社会では複雑ですよね・・・。
ただ努力しなければ実りにくいのは確かなように思えます。
あ、
ちなみに仏教とは全く関係ない回答です^^;
あと恋愛にもあまりあてはまらないような気がします。
長文失礼しました。
実るかどうかでは無いのです
お気持ちは分かります。
実らなければ無駄に思いますよね。
受験に仕事に恋愛に、何にしても実る事が大事ですね。
でも、一番大事な事はそれでは無いのです。
実るかどうかではなく、努力することが一番大事なのです。
実ることは二番目なのです。
あなたはあなたの出来ることを出来る範囲でマイペースで努力してください。
それが、生きること、なのです。
周りの人と比べる必要はありません。
私も死ぬまで仏教の勉強を努力するつもりですよ。
質問者からのお礼
努力なんてアホらしいですね
どこまで頑張ればいいかもうわからない