死のうと思ってます。
いつもお世話になっております。
私は三十代にやパート従業員です。
前までは正社員で働いてましたが、こころが
病み現在の形になりました。
ワタシは何もありません。
彼女もいたことも無ければ、お金もあまりありません。
他人との比較が止まりません
原因は自分にあると思うと余計辛く感じ、もう死んだほうが、全て解決する。もう死ぬしか解決しないと考えるようになりました。
視野が狭いと思われても仕方ありません。
しかし、死んだ方が全て解決すると私は思います。
死にたい気持ちが収まることはなく、もういつでも死ぬ覚悟です。
しかし、家族や死んだ父のこと思うと、こんなこと思ってはいけないとブレーキはかかります。
長々と書きましたが、私はどう生きればいいのでしょうか。
なぜ死にたいのに死ねないのか
私はどうしたらいいんでしょうか
他人を嫉妬してしまう 劣等感がある すぐに泣くとこがあったりし、自己険悪になる したいことをしたくなる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
アドバイスを受け入れるか否か、あなた次第
こんにちは。
1年8ヶ月前のご質問でもご縁が有りました。
回答は読んでくれましたか。
前回は、再就職したばかりという状況でした。
現在は、精神的につらい状況になり、就業形態が変わったとのことです。
辛いお気持ちは察します。
あなたが、辛いがゆえに「視野が狭い」状態になっている、そのやむを得ない心持ちも察します。
しかし、「視野が狭い」現状を維持、あるいはもっと「狭い」「視野」にするという悪循環はどこかで見直さなければなりません。あなたは「どう生きればいいのでしょうか」と書いています。これは、お坊さん秘蔵の特別なハウツーがあるわけでは有りません。強いて言うならば、繰り返しになりますが「視野が狭い」ことを見直す、これが「どう生き」るかの具体的課題、あなたの「生き」る上での不可避の課題なのです。
回答僧はアドバイスは出来ます。
でも、受け入れるか、実行するかはあなたをおいて他はありません。
あなたは、「他人との比較」がやめられないようですね。
私は、前回以下のように回答しました。
人生は多面的です。
「大学入学以降、生きてる意味を見失い続けています」とのことですが、高校生まではどうだったのでしょう。なにか心躍ること、継続して好きだったことはありますか。
仕事が上手く行かなくても、自分にはこんな楽しみがある、運動して気持ちをスッキリさせることができる、美味しいものを食べられる、旅行に出かけて心が晴れる等の気持ちの持って行き方があるのではないでしょうか。
私は、「人生の意味」をうやむやにする為に、気を紛らわせることを勧めているのではありません。人生は、もっと多面的ではないかと、その可能性を問うていただきたいたいのです。仕事は上手くいったりいかなかったり、だけどこんな幸せがあるよという人生もあると思うのです。「人生の意味」という堅城は、正門からの正攻法が難しければ、回りこんで搦手(からめて・裏門のこと)から奇策を用いるという発想の転換も必要ではないでしょうか。
以上のように回答しました。
他人と比較しないでいい、そういう多面的な開かれた「視野」をもつように試みてください。
質問者からのお礼
いつもありがとうございます。
私は人生を狭く見すぎていると思います。
だから同じ所でなやんでいるのだろうと思います。
お答え頂き少し落ち着きました。自分には何もないでなく、行動を少しずつしていきたいと思います。
改めまして、ありがとうございます。