物心ついた頃からなんとなく生きづらさを感じていました。
両親が割合厳しく、無意識とは分かっていますが叱られる時は「だからお前は嫌われる」「だからお前は友達がいない」と言われていました。
お出かけの場所や欲しいプレゼントを選ぶときも、自分の希望より、両親に負担をかけないようにより安価な方・周りから見ておかしくないと思う方を選んでいました。
ずっと私自身は周りの皆から嫌われていて、何をしても普通以下だという思いを持ち続けていました。
人から誘われても謙遜するあまりうまく人間関係を築けず、何年もいじめられたこともありました。
また、人から借りたものを返せない癖があり沢山迷惑をかけてしまいました。そのことで自己嫌悪に陥り、何年も悩みがフラッシュバックしています。
一念発起して「もうそんなことはしない!」とその癖を直そうと生き方を改めている最中です。
気まずくても借りたものは返し、お詫びをしました。人間関係もうまくいくようにと気配りしています。
しかし、借りたものを返さないのも、謙遜して孤独になりたがるのも、私自身が自分を常に不幸な状態に置いておきたいのでは?と気づきました。
楽しんだり、幸せを感じたりするのが怖いです。
過去に迷惑をかけた人達に償いたい気持ちは常にありますが、それすら常に自分を不幸に追い込む道具にしているのでは?と思ってしまいます。
その時、小さい頃言われた「だからお前は嫌われる」という言葉が蘇ります。
自分勝手ながら不幸に依存しているようで辛いです。
どうしたらいいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ごあいこさん
「だからお前は嫌われる」
「だからお前は友達がいない」
という子どもの頃から投げつけられた言葉によって
そのままの自分が嫌われる存在
愛されない存在だと
思い込んでいるのではないかと思います。
そのため、あなたは人から嫌われないように
自分の希望は押し殺して、両親の顔色を伺い
周りの目を気にして生きてこられたのではないかと思います。
また
“楽しんだり、幸せを感じたりするのが怖いです。”
とのことですが
これも同じ理由で
自分自身を生きてしまうと
人から嫌われてしまう、人から愛されないと
思ってしまうからではないでしょうか。
あなたは、皆から嫌われてもいなければ
普通以下の存在でもありませんよ。
そう思い込んでしまったのだと思います。
小さいことからでも
自分のしたいこと
楽しめそうなことをして下さい。
中根さま
ご回答ありがとうございます。
改めて自分の状況を俯瞰して見て頂くと、正直、両親からの心ない言葉と顔色ばかり伺ってきたくせに他人を苦しめていた過去に我ながら腹がたちます。
気持ちが晴れて、本当にひとのことを思いやれるまではまだまだ時間がかかりそうですが、腹たちも含めて、自分自身を生きていきます。