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死の恐怖への対処法

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有り難し有り難し 9

いつもお世話になっております。
死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。

私は、本当に死ぬのが怖いです。
なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。

仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。
死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。

次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。

私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。
どうしようもなく恐ろしいです。
いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。

今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。
支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

私はこれから、どうしたらいいでしょうか。
毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

2022年6月19日 2:07

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず、明確にすべきことが有る

こんにちは。

一年半前にご縁があって回答しました。
その際に私は次のようにアドバイスしました。

死への恐怖を「克服」するべきという方向性の宗派で学ぶのか。それとも、「手放」さなくても、「克服」しなくても良いという方向性の宗派で学ぶのか。お釈迦様の説を、後の僧侶、仏教徒がどう捉えていったかをたどり、具体的に実行していく(つまり修行)のかという選択が必要であるとも思います。

一年半経っていかがでしょう。
あなたは、今、具体的に何宗何派の仏道を歩んでいるのでしょうか。

「恐怖心を消すこと」を是とする宗派ですか。是としない宗派ですか。

「死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした」と書いています。「死んだあと」のことについてどのような書を読まれたかはわかりませんが、それがお経であるならば「死んだあと」について語っているのは釈尊です。釈尊を仏教理解の前提とするのが仏教徒です。釈尊に信を置かないで、仏教を理解することは不可能でしょう。

もし、釈尊が「信じられ」ないとするならば、それは「信じられ」ない自分の方の何が問題であるかを再点検する必要があります。仏様の側に「信じられ」ない原因が有るのではなく、自分の方に原因が有る。こう考えるのが仏教徒です。

つまり、今のあなたに必要なのは自らがまず仏教徒であるのか、仏教徒であるならば何宗何派を具体的に歩んでいるのかを明確にすることです。そこから、「死の恐怖への対処法」を具体的に考えるべきかと思いました。

2022年6月19日 8:41
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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

釋 悠水 様
ご回答頂きありがとうございます。以前にもご回答頂きまして、大変感謝しております。
今は、「恐怖心を消すこと」を是とする宗派を学びたいと思っています。
この1年半は、浄土宗→原始仏教という流れで勉強させて頂いておりました。最近は坐禅にも興味があり、曹洞宗もほんの少し勉強し始めたところです。
私は、知識を得て心が納得しないと動けないという悪癖があります。そこで、「仏様にすべてお任せできるのも大変ありがたいが、できる限り、自分の心持を自分で変える努力がしたい」「体験として、納得したい」と思うようになり、原始仏教や禅に興味を持ち始めました。ですので、現状、明確にこの宗派だけを勉強する!とまでは至っておりません。どの宗派にも良さがあり、どの宗派のお坊様も優しくご回答してくださるため、いろいろな教えに救われていることもまた事実で、一つに絞れない自分もいます。この迷いも良くないですよね。

『信じられない自分の方の何が問題であるか再点検する必要がある』とのお言葉、まさにおっしゃる通りでございます。信じられない愚かな自分の問題、解決法を探す中の、ふとした隙間で「やっぱり死が怖い」と最初の恐怖に戻ってしまうのです。そしてまた振り出しに戻る…という、情けない毎日です。人生に心が折れ、また以前と同じような質問をしてしまいました。

まだ心から仏様を信じさせて頂くことができず、宗派も決まらない私は、仏教徒とは到底言えないと思います。いつか胸を張って「仏教徒です」と言えるよう、そして恐怖心を克服できるよう、精進致します。ご回答通り、まずは宗派を決められるよう、頑張ります。
今回のようにどうしようもなくなった際には、またよろしくお願い致します。

長々と申し訳ございません。この度は丁寧なご回答、本当にありがとうございました。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

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死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

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