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変化することが怖いです

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最近、昔のことをよく思い出します。
家族との思い出、学生時代の思い出、昔の職場での思い出など、どれもが懐かしくて、戻りたいと恋しくなります。
自分自身も30代になり、家族を含めて周りの人達が年老いていくのが悲しくなります。
自分も含めて周りの人達や環境が変わっていくのが怖いです。
変化への心構えができないです。
この先、どう変化していくのか分からず、怯えています。
この苦しみから解放される方法はありますでしょうか。
教えていただけますと幸いです。

2024年4月9日 22:28

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの気持ちを大切に受け止めたいと思います。昔の思い出が懐かしく感じるのは自然なことです。人は過去に経験した出来事や人間関係から学び、成長します。家族や友人、職場での大切な思い出は、自分のアイデンティティや人生の一部として、今の自分を形作る一助となっています。
30代という節目に立つと、周りの人々が変化していくことへの不安や恐れが現れるのも自然な感情です。変化は不確かで未知の要素を含むものであり、それが私たちを不安定に感じさせるのです。しかし、この変化は避けられないものであり、受け入れることが重要です。
変化への心構えができないと感じるのも、未来への不安や怖れからくるものかもしれません。未来がどう変わるのかを完全にコントロールすることはできませんが、できることは「今」を大切に生きることです。過去を懐かしむのも大切ですが、現在を大切に過ごすことで、未来に対する怯えも和らげることができます。
この苦しみから解放される方法は、まず自分自身と向き合い、今の感情や不安を受け入れることから始めることが重要です。また、過去や未来ばかりに意識を向けるのではなく、今を大切にし、今できることに焦点を当てましょう。そして、変化を恐れるのではなく、変化を受け入れ、その中で自分自身を成長させるチャンスと捉えることが前向きな心構えにつながるでしょう。
最終的には、自分自身の内面に向き合い、自分の感情や考えに寄り添うことが、この苦しみから解放される第一歩となるかもしれません。自分を許し、受け入れ、変化を恐れるのではなく、変化を受け入れながら前に進む勇気を持つことが、未来に対する不安や怯えを和らげる一つの方法となるでしょう。合掌

2024年4月9日 23:54
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございます。

とても温かい言葉に、心が救われました。
過去への懐かしさや未来への不安はありますが、自分自身の内面と付き合い、少しずつ前に進んで行こうと思います。

本当にありがとうございました。

「自分に自信がない」問答一覧

盗撮をしようとしてしまいました

一年ほど前、電車内で前に座っておられた方を魔が差して盗撮しようとしてしまいました。 当時、自分は別の健全な目的で無音カメラのアプリを入れていました。また、自分のスマホのカメラには広い角度で撮れる機能がついていました。これらを使えば、スマホを向けずとも簡単に盗撮ができるのではないかと思ってしまいました。そしてその方が映るようにカメラを起動してしまいました。 シャッターを切る前に我に返り、アプリをすぐ閉じました。そして無音アプリを悪用しようとしてしまったことが恐ろしくなり、その場ですぐに無音アプリを削除しました。それ以降、盗撮しようとしてしまったことをずっと後悔しています。 シャッターを切らなかったとはいえ、盗撮未遂も盗撮と同様に犯罪です。盗撮や痴漢防止のポスター等を見たときなど、事あるごとに過去の過ちを思い出し、罪悪感で胸が苦しくなります。本来なら謝罪し、罪を償うべきですが、それを包み隠さず打ち明ける勇気がなく、ここまできてしまいました。 自分が撮ろうとしてしまった方は、おそらく自分のやろうとしてしまった事には気づいておられませんでした。また、証拠となる写真は撮っていないことから、自分が言わなければ誰にもこのことはわからないと思います。しかし、そのことが却ってつらく感じます。かと言って誰かに打ち明ける勇気もなく、保身に走る自分がとても嫌になります。 世界には盗撮や性犯罪に苦しむ方が大勢おられます。自分も過去に猥褻なことをされたことがあり、被害に遭われている方の気持ちがわかっていたつもりでいました。しかし、自分の軽はずみな行動で自分自身が加害者の側に立ち、人を傷つけようとしてしまいました。 この罪とどのように向き合っていくべきなのでしょうか。

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私の悪行について

新高校1年生です。私はたくさんの人を傷つけてきました。小学生の頃、友達に嫌なことを度々言いました。 その子は親御さんの事情で引越して、その後に小学校の運動会であって、眼鏡の模様可愛いねという会話をした記憶があります。 もう1人私は掃除をちゃんとしない子に暴言を吐きました。他にも工作のぽんぽんや小さい消しゴムを人からとりました。 中学にあがって反省したのに私はまた過ちを犯しました。友達に嫌われたくなくて友人、先生、他人にまで悪口を言いました。本当に酷かったと思います。聞こえていたかは分からないけど本当に酷いことをしました。謝れる人には謝ったけれども私は嫌われたくないというエゴのために知らぬ人まで傷つけました。最低です。私が覚えてるより多くの人を傷つけていると思います。 そして、また新たな罪を見つけました。YouTubeのスカッと系の投稿に棒読みというコメントがついていて、5年前の私はそれに「たしかに」というコメントをしていました。それは結構前にしたコメントですが今更ながら削除させていただきました。投稿主さんはその後も動画を上げていましたが5年前に止まっていて、先程私は意味は無いかもしれないし、ひとりよがりですが、絵が見やすくて分かりやすかったという旨のコメントをしました。良かったのかは分かりませんし、投稿主さんがみているかは分かりません。 そして他に嫌なコメントをしてたらどうしよう、嫌なコメントにいいねしてたらどうしようと考えるようになりました。私が覚えてないだけで他の方も傷つけたんじゃないかと不安になります。誹謗中傷にあたるような容姿や振る舞い方について何か言っていないか本当に不安でたまりません。自業自得ですね。 死んだ方がいいと思うけど、両親を悲しませたくなく死ぬことはまだできません。謝れる人には謝りましたが、傷は消えません。私が傷つけた多くの人たちがまだ苦しんでいるかもしれない、私は人を殺してしまったのではないかと考えます。身勝手ですが私にはその人たちがどうか幸せに生きているように願うしかありません。私の罪は消えません。私はのうのうと生きていていい人間じゃないと解っています。ですが、私が今止まってしまったら、さらに多くの人に迷惑をかけることになります。どうしたらいいのでしょうか。おこがましいですが、私を導いてくださると嬉しいです。長文で申し訳ありませんでした。

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