輪廻転生について教えてください。
よろしくお願いします。
輪廻転生について教えてください。
輪廻転生とは生きていて、死んだら記憶を消されてまた新しく生を受けて死んだらまた記憶を消されて…の繰り返しということだと知りました。
なんだか、穴を掘って、埋めて、また穴を掘って、埋めての繰り返しの拷問のような気がします。
生きていて同じ日は二度とこない、大切に生きなければならないことは知っています。
でも、なんだかもう慣れたというか飽きてしまったというか、なんとも言えない気持ちでずっともやもやしています。
そんな風に考えると何のために自分は生かされているのだろう、なぜ生きているのだろう、ととても虚しくなり、毎日がとても苦しいです。
そうやっていつも一人で泣いています。
自分でも何をどうしたらいいのか見当が付きません。
自分は何に苦しんでいるのか、それすらもわからず苦しいです。
何かアドバイスを頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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余分な考えをそぎ落とすと、ただ生命だけが残る
「仏教は六道輪廻の宗教」と言われますが、これはチト言葉足らずです。仏教は「六道輪廻から『解脱する』宗教」です。なぜか?お釈迦さまが解脱せにゃならんと考えなさったから。なぜそう考えなさったか?穴を掘って、埋めて、また穴を掘って、埋めての繰り返しの拷問のようなモンだからです。早い話が六道輪廻なんぞ考えたらイカンという考え方です。
じゃあお釈迦さまは何を考えなさったか?
全ての事物には原因と結果があります。過去・現在・未来にわたる原因と結果の網の目のような繋がりによってこの世界はできています。私たちは皆、繋がりによって生じているのだから、自分(個)であると同時に全、全であると同時に個…これがお釈迦さまのご縁の教えです。
もっと言えばですね、眼、耳、鼻、舌、身(触覚)、皆さんこれら人間の感覚器官は自分だと思っていますが、本当は自分じゃないんです。眼は眼、耳は耳で独立してお仕事してるのですよ。目がそっち向いてるかぎり、あそこのお姉ちゃんのミニスカは見るけど、隣のオッサンのモッコリはモザイクかける…なんて自分の意思で干渉できませんでしょ?眼は眼で、耳は耳でそれぞれがそれぞれに働いているのです。個は個で働いててお互いに邪魔しないから、すべての個が調和して、全としての1人の人間が生きていけるのです。
何が言いたいか?自分の考え振り回したら、他の感覚器官のお邪魔しちゃいますよ。頭で考えて生きる意味を見出そうとしても泥沼にハマるだけですよ。逆に、余計な考えを1つ1つ落としていくと、最後に自然と生きる力だけが残るのですよ…ってことです。
なんだか世間じゃ「夢を持て」とか「自分をしっかり持て」とか教わりますけどね、ワタシャ英雄の真似事したってロクなこと無いと思うんです。
そうじゃなくて、こう思えば良いんです。「自分の中でビクビクするのは、もう疲れた。もう嫌だから、自分の外に出よう。その方が楽だよってお坊さんが言ってたし。」
学校に魅力を感じないから勉強できない?勉強する意味なんかイランのです。これ以上留年したら自分自身を苦しめるから、卒業を目指す。逃げないのは辛いけど、逃げたらもっと辛くなるからやるしか選択肢が無い。それだけで良いんです。眼は眼で仕事をすることをあなたの心が邪魔をしないように、学生が学生として勉強することをあなたの心が邪魔をしない。そんな感じ。
我々の真相は常に転生し続けている。
根拠のない思想や立証できない迷妄の俗説に振り回されんこと。
どこの誰が何をもとにして書いた本、ネット情報を読んで惑わされてしまったか知らんですが、目を覚まして下さい。
いつでも転生していない時はないのです。
あなたの今の心身が前のことを全くアトをとどめずに「今」の花を咲かせているでしょう。
それが転生の様子です。
常に転生し続けている自己。
それを自覚すれば俗説の六道輪廻を即、解脱します。
仏教はマンガの題材にも取り入れやすい故、さまざまな俗説も存在します。二次的副産物や曲解されたものに騙されないように致しましょう。
人間は自己を正しく見つめていけば仏教徒であろうが無かろうが厳密には常に解脱し転生している。
本当は六道どころか、無限道に転生し続けている。
人間の心境は刻々変わるでしょう。
秒単位、瞬時に刻々と状況も心境も変わり続けている。
その無限に変化し続ける心のありようの中で、悟りに目覚められず思考に拘泥してしまう生き方が苦しみを無限に繰り返す無限ループ。六道輪廻です。
心が思考から救われず永続する苦しみを堂々巡りしているのが六道です。
一言ですべて人間界と言ってもよいです。
地獄 苦しみのどん底
餓鬼 エゴ 我欲
畜生 非・人間的心理
修羅 怒り・騒乱
人間 相対観念
天上 ノボセ 浮かれ
何処に行っても救われないのです。
安定、安心がない。
だから、どこにも属さない方が良いのです。
先日の障がい者施設の事件にしたって、みんなが地獄の苦しみに突き落とされた。
犯人は餓鬼畜生の心。
それを観て、許せないと思いを抱けば修羅界。
ネットでは是非善悪を論ずる人間界。
知らぬ存ぜぬセレブ達は天上界。
ここで話を聞いてこれじゃいかんと奮い起こせば声聞。
話が浸透してそうじゃと思えば縁覚。
そこに救いの手をさし差べれば菩薩。
無上道を会得すれば仏。
これをきっかけに、あなた自身が自らの人生の六道輪廻を脱却するべく悟りを求める菩提心を起こしてください。
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
きぼう様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「輪廻」というのは、ぐるぐるとまわりつづけている如くに、迷い苦しみ続けてしまっているありようのことで、「転生」は、微細な意識としての心の連続体(心相続)が、死後にも様々に展開して存続していくありようのことになります。
様々に展開していくというのは、「六道輪廻」と申しますように、代表的には、天人、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の生き物として生き死にを繰り返しながら、迷い苦しんでしまっているということでございます。
「自分は何に苦しんでいるのか、それすらもわからず苦しい」・・まさに「無明」(根本的な無知)の状態と言えるのではないだろうかと存じます。
その無明による煩悩によっての数々の行為が、微細な意識にも悪影響を及ぼしてしまう悪業として、迷い苦しみに輪廻してしまうエネルギーとなってしまうのであります。
輪廻から解脱するためには、要は、その溜まってしまっている悪いエネルギーを完全に無くすということが必要となります。もちろん、これまで溜まってしまっている悪いエネルギーを無くしていくことと、これから作らないようにしていくということを、並行して行うことが必要となります。
そのための教えが仏教であり、簡単には、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」として、「悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかにすること」ということになります。
「一瞬一瞬を大切に」、「生かされてある命を大切に」と言われても、まあ、確かにあまりピンとはこないでしょうが、輪廻からの解脱を目指して、「悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかにするために」、仏教を学び修せれる稀有貴重なる人身を得たこの「一瞬一瞬を大切に」、「生かされてある命を大切に」ということであれば、少しは理解もできるのではないだろうかと存じます。
是非、これから仏教をしっかりと学ばれるための一つのきっかけとして頂きまして、共に仏道を歩んで参りましょう。
川口英俊 合掌
「生まれ変わるなら生きているうち」
輪廻転生の思想は、一般的に「仏教の死後の世界観」とされている世界ですが、実はこの思想は仏教発生以前から古代インドにあった思想です。
お釈迦様は、死後の世界についての明言を避けています。ただ当時お釈迦さまが生まれ育った場所では、このような思想がよくいわれていたので、お釈迦さまも、折にふれ、この「インドの死後の世界観」に基づいてお話をしたのかもしれませんね。
なにしろ、死んだ世界から生きて帰ってきた人がいない限り、死後の世界がどうなっているかを知ることはできませんからね。
また本当の仏教は、なくなった人を供養するものではなく、生きている人がいかに幸せに生きていくか、を示したものだと思います。
輪廻のことは正しく生きるためにどうしたらいいのか、その例え話程度に考えていれば良いと思います。
ですので、輪廻かぁ...むなしいなぁなどと、そのような考えにとらわれることなく、毎日朝起きたら、「さあ今日は何をしよう、楽しみだなぁ」って心で思わなくても、口だけでもいいから声に出して言ってみるようにしよう。そのうち心からそう思えるようになりますよ。
もうひとつ、長渕剛さんの歌に「生まれ変わるなら生きているうち」という詩があります。あなたのおっしゃる通り、もし生まれ変わることがあるのなら、過去の記憶は消えています。生まれ変わったかどうかわかりません。だからこそ、「生まれ変わるなら生きているうち」なのです。今日、この私の回答を読んで、あなたは生まれ変わったと思って、今までできなかったこと、やりたかったことをやってみましょう。
最後にそんなあなたにこの歌をプレゼント
https://www.nhk.or.jp/kids/shakiin/song/shakiin_song29.html
「いってきマーチ」
死にたくないという渇愛の煩悩があるから
輪廻転生をくりかえすのは、煩悩があるからです。
生命に対して執着があり、まだまだ死にたくない、まだ満足しきっていない、という不満があるから、死んでもまた生きてしまうのです。
私達は、地縛霊とかの幽霊と同じ、「迷わず成仏」をしていない存在なのです。
「もう死にたい」と口では言っていても、本音では、「もっと良い人生だったらもっと生きていたいよ私だってさ」と未練があるのです。
たとえアイドルグループのセンターに抜擢されたってもう1日も生きていたいとは思わない、しかし死にたいという怒りもない、という無執着になったら、生死から卒業です。
仏教は、「迷わず成仏」して輪廻転生から卒業するための方法を説いています。
成仏とは、仏に成ると書きます。
仏とは、悟って煩悩を克服した存在です。