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死別 後悔、 生きる事はこんなにつらいのか?

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今年の4月初めに自宅で介護中、祖母が昼食を誤嚥して窒息し翌日亡くなりました。 
その日はお花見に行こうと約束していたのに …あまりにも突然の出来事でした。
 
私はおばあちゃん子でしたので、祖母を喪ってからというもの、すっかり気力をなくして涙にくれ、それからしばらくすると、悲しみと一緒に自責の念に激しく駆られるようになりました。(現在は心を病んで心療内科に通院しています。)

考える事はいつもそもそも論ばかり、
祖母が元気な時から、そばにいる事が一番多かった孫の私だから、
なおさら助けられた事があったのではないかと、
過去をさかのぼっては思い悩むのです。

もう変える事など出来ないのは心では分かっているのですが…。
悔しさで頭がいっぱいになり、胸が張り裂けそうになります。
 
愛する人を亡くしてからしか、あとからでしか気づかないというのは 
人間の宿命なのでしょうか?

寿命だったと諦めるにも諦めきれません。
不慮の事故であってもその人の運命なのですか?

これからの私には、老いゆく家族との死別が待っているだろうという恐怖と、
人生の楽しみはもう減っていくだけだという絶望しか無いので
長生きするのは苦しみでしかありません。
愛する人との死別がこれほどまでにつらいなら誰よりも早く死にたいとさえ思います。
以前は死ぬ事が怖かったのに、今は逆に生きる事が怖いのです。
自分がもし死んでも、もう祖母やご先祖様と再会できるなんて事は思ってはいませんが。
今はただ、生きて後悔で苦しみたくないから記憶を消すために無になりたいのです。

如何ともし難いところですが、少しでも前向きになれるお言葉をいただけたらありがたく思います。長文失礼しました。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

伝えてもらったこと

お祖母さんを不慮の事故で亡くされたこと、お悔やみ申し上げます。

私たちは日々、数知れずの沢山の条件が絡み合ってこの世を生きています。
重なる条件が人によって違うから、違う人生を送っているのです。

お祖母さんも、不幸にしてそういう条件が重なってしまった。
これは、誰にも予測出来ませんし、どうしようもなかったことです。

自分や他を責めても、そこからは何も生まれません。
まして、私がなんとか出来たかもしれないと、自分を責めていたのでは、お祖母さまもあなたが心配で仕方ないでしょう。

あなたが、先ずしなければいけないことは、いつも傍で見させて頂いたお祖母さんの人生を、あなたがどのように受け止めて参考にさせて頂くかということです。

いつも見ていたお祖母さんの姿、聞き慣れたお祖母さんの言葉を、あなたが自分の人生にどう役に立てるかです。

人がこの世を生きるということは、人の姿を見ると同時に、周りにも自分の姿を見せるということです。
人は必ず、出会った数だけ別れを経験しなければなりません。
だからこそ、自分がどう生きるかが大切なのです。

日蓮聖人のお言葉に「先ず臨終のことを習うて、後に諸事を習うべし」というものがあります。
他の人も、そしていつかは自分も、必ず別れの時が来るからこそ、それを解った上で、今という時を悔いのないように精一杯生きなさいという事だと私は思っています。

あなたが一番お祖母さんに一番近かったと思うなら、お祖母さんの残してくれた教えを、他の誰が後の人たちに伝えられますか?

お祖母ちゃんに「色んな姿を見せてきて良かった」「色んなものを残してきて良かった」「この世を生きて良かった」と思わせてあげられるのは、あなたしかいないじゃないですか。

あなたがお祖母ちゃんの人生を、取るものは取り、捨てるものは捨てしながら、自分なりのものにして、後に続く人たちに、あなたの姿として伝えてあげて下さい。

お祖母ちゃん、きっと喜ばれると思いますよ。

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大丈夫です。

カフカさま

おばあさまを亡くされたことは、とても悲しいことだと思います。
そしてあなたは、その悲しみとともに今生きていらっしゃいます。

その悲しみは、消えるものです。後悔なんてする必要ありません。生命としての働きが無くなる条件が揃い、亡くなったというだけです。その時の悲しみ(過去のものを)を引っ張り出し今悲しいかのように、繰り返しているのです。おばあさまの命はあなたの体の一部となり今も生きています。より近くにいるのではないですか。おばあさま無くしてあなたは存在しない。

そして、あなたはいま生かされています。不幸しかないと頭で考えれば、それだけの人生。現実をよく見てください。どこに不幸が見えるのでしょうか。幸せに生きることはできますよ。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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きちんと悲しむ時期を過ごす

大好きだったお祖母ちゃんを亡くされてお悲しみでしょう。私にもお祖母ちゃんがいました(当たり前かもしれませんが)。やさしいお祖母ちゃんが亡くなって、悲嘆にくれておられる姿が浮かんでくるようです。

さて、グリー・ケアの本を読んでいますと、悲しいときに深く悲しむことが必要であるされます。悲しむべきときに十分悲しまないと、いつまでも悲しみを引きずることになるようです。だから、悲しいときには悲しんでください。

その後の話ですが、一人ではなかなか悲しみから立ち上がることは困難かもしれません。お住まいの宮崎県にあるかどうか分かりませんが、遺族の会にお入りになることはお勧めできると思います。

私は滋賀県のガン患者遺族の会のことしかわかりませんが、遺族の方々が集まってお話しされています。この会をつくった会長さん(ご主人をガンで亡くされた方)が指導性の高い方で、グリーフ・ケアをよく学んでおられる信頼のおける方です。臨床心理を専門とする大学教員の方、会員で臨床心理士の資格を取得された方も数人おられ、個々の出席者についてケース会議を開いて、処遇を検討されています。なるほど、立ち直れる人が大勢おいでになるはずだと思いました。

ごく常識的に考えても、独りで悲しむより、同じ悲しみのなかにある仲間と語らいあった方が悲しみを超えていく力を得やすいはずです。一人より二人、二人より三人思います。

また、作文などお祖母さまの思い出を文章化してみるのもよいと思います。私が大好きな絵本『わすれられないおくりもの』は、イギリスの当時二十代だった女性が、大好きだったお祖母ちゃんを亡くした悲しみをもとにして作った絵本です。ぜひこの絵本を読んでみてください。なかなか絵本までは描けませんが、自分一人のためにわすれられない思い出を文章にしてつづってみては如何でしょう。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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不慮の事故ではなく老化

老化とともに、飲み込む力が弱くなり、誤嚥リスクは高まります。
もしも人間ではなく動物なら、とっくに亡くなっていたでしょう。
人間に生まれ、介護してくれる方がいたから、高齢でも生きていられたのです。
誤嚥は、高齢者であれば仕方がないことなのです。
身体のどこから老化が進むかは個人差があり、最後の死因は人それぞれですが、必ず人は老いて、病み、死にゆくのです。
悲しみは、怒りの煩悩です。
怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になる、毒です。
心で毒をつくりだすくらいなら、「私のせいじゃない、老化だから仕方ない」と思ったほうが良いのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

 邦元 さま
大変あたたかいお言葉ありがとうございました。
そうですよね。祖母がいるから私が生かされている。
読んでいくうちに、祖母が近くに感じられるような気になりました。

でもそれと同時に、意思疎通が出来ないどうしようもない寂しさに
また涙がこぼれました。

でも、この涙は近頃頻繁に流していた後悔の涙とは違います。
祖母を偲んで流れた涙だと思います。
この気持ちをできるだけ忘れないように、日にち薬が
効いてくるのを待ちたいと思います。

感謝いたします。

  藤岡俊彦 さま  

お役に立つ情報を教えて下さりありがとうございました。

先日、私もグリーフ・ケアの本を読んだ時、死別後の気持ちの移りゆく過程について知りました。
普通なら順調に段階を踏んで立ち直っていくものだそうですが
中には後戻りしたり10年ぐらい掛かったり、人それぞれだなんだそうです。

私の場合はきっと、今人一倍後悔しているせいで、自分で立ち直りを遅らせているんだと思います。

遺族の会については、隣県にはあるかもしれません。
(鹿児島県の善福寺の住職様の書かれている本で知りました。)
でもここのサイトでご相談して、沢山の方々に目を通していただけるだけでも
私はいくらか救われていると思います。

それに、今かかっている心療内科にも臨床心理士さんが
週に何日かいらっしゃっていて、
希望すれば相談も可能という事でしたので、
 藤岡 さまのご助言の通り、あまり自分独りで考えこまずに
 何かアクションを起こしていこうと思います。

日記はずっとつけています。
祖母が亡くなってからは、ほぼ思ったこと(後悔と自責の念ばかり)を
書き留めたり、祖母の出てきた夢の日記にみたいになってしまっていますが。
確かに書いた後は心がまとまります。
書く という事は良いことだったのですね。
でも、これからは楽しかった思い出などを書かなくてはいけないですね。

※『わすれられないおくりもの』
ぜひ、読ませていただきます。

これほどまでに気にかけていただき 感謝いたします。

小原観慈 さま  
お言葉 ありがたく頂戴いたしました。

>あなたが、先ずしなければいけないことは、いつも傍で見させて頂いたお祖母
さんの人生を、あなたがどのように受け止めて参考にさせて頂くかということです。

そうですね。仰るとおりだと思います。 
祖母は 祖父(夫)、実の親はもちろんの事、義理の親、兄弟、水子さんのお供
養のため、命日だけではなく、できるだけお寺や納骨堂にお参りに行く信仰心が
深い人でした。
私は小さい頃からそんなばあちゃんの横でよくお仏壇に手を合わせたものです。
それから近所の方たちのところにも日頃から頻繁に行き来し、
お互い助け合いいつも仲良くしていて朗らかで優しい人でした。
家族とも喧嘩一つしませんでしたし。でも時にはきちんと叱ってくれました。

なのに、90歳を過ぎてから どうしてうちの祖母にかぎって このような悲惨な亡くなり方をしな
くてはならなかったのか と正直 信じていた神仏様までも憎みました。

…ですが今は、人間皆いつか死ぬ。
亡くなり方にひどいも何も無いのだと言い聞かせております。
これは今までの人生の積み重ねによるどうしようもない運命だったんですよね。

先週、百か日を過ぎました。

これから私は、極力恥じない、悔やまない生き方をできる人間になるように
前を向かなくてはいけない。
 それこそ祖母に教えられた事のように思いました。

>人は必ず、出会った数だけ別れを経験しなければなりません。
 だからこそ、自分がどう生きるかが大切なのです。

本当に辛いけれどそういうものなのですね。
厳しいお言葉ありがとうございます。
後悔の念は残された者の一種のわがままだというのも重々承知しております。

私の余生、私と縁ある人達の余生、後どれくらいあるかわかりませんが
とにかく今を生きます。
乱文失礼しました。

願誉浄史 さま お言葉 ありがたく受け止めました。

> 悲しみは、怒りの煩悩です。
> 怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になる、毒です。

そうなんですね。今まで気がつきませんでした。

私は、入院前の祖母の体調不良にいち早く手を打てなかった。
それから知識も少ないまま介護をして、誤嚥のリスクにも気を配らなかった。
食事がこんなにも命がけだったなんて考えにも及ばず…。
(薬の副作用も原因にあるようでした)

体がきつくても、嫌がらずにすべて私の言うとおりに
薬を飲んで、デイサービスにも行ってくれた祖母。

だから、なおさら私を信じてくれた
祖母にすごく申し訳なかったんです。

今自分を責める事は、このようなすべて至らなかった
自分に対する怒りの心です。
そしてそれらは確かに深い悲しみからきています。

でも、必ず生きているものには老病死がある。

根本的なことを失念していたような気がします。
それに気づかせてくださってありがとうございました。

肩の荷が少しおりました。

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何度もの相談で申し訳ありません。 新築に住んで1ヶ月となりましたが、もう限界です。 私の家造りは全て失敗でした。 工務店からの提案の間取りはひどいものでした。 それに気付かず建ててしまいました。 まず南側が窓ばかりで隣家や道路から家の中は丸見えです。 LDKは20畳取ったのにキッチンと通路に半分取られLDは10畳しかありません。 ソファーとテーブルを置いたらきつきつです。 リビングがなくほぼダイニングキッチンです。 平屋なのにリビング直結で各部屋を配置したので音が筒抜けで、高気密なのでさらに響きます。 トイレやお風呂の音も丸聞こえ。 玄関から入ると全ての部屋が丸見えで、プライベートゾーンとの区別もありません。 北側に寝室があり、かつ窓も一つで小さいので昼でも薄暗く湿気も心配です。 夫は長男なのに仏壇を置くスペースも作らず… 26坪しかなく収納が全く足りません。 なのに金額は高く無理なローンを組んでしまいました。 あまりに考え無しで建ててしまった、契約前に戻りたい。一生をこの家で過ごすと思うとおかしくなりそうです。 あまりの後悔で適応障害と診断され寝たきり状態で家から出られなくなりました。 家そのものがストレスなのに引きこもる毎日です。睡眠薬を飲んで寝ても朝方目覚めて心臓がバクバクします。 住めば何とかなると思っていましたが、どんどん症状が酷くなるばかりで、心が壊れてしまいました。 抗うつ薬は副作用が酷く服用できません。 あまりの辛さに逃げ出したくなりますが、私が逃げたら子どもや夫はどうなるのかと考え踏み止まっています。 何とか現実を受け入れたいのですが、どうしても前へ進めません。

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全てに疲れました。なにもやる気がでません。 母親からは、間もなく退院してくるので今後は頼むと言われ(体調不良で入院ていた。今はまぁまぁ動けるようになってきた)、 父親からは、母親が入院してから常に酔っぱらっている挙げ句、料理や家事は妻に任せてたからできないところはお前がやれ、女なんだからと言われ、 夫からは一人娘なんだから恩返しで頑張れと言われ、 小学校中学年の息子からはママは宿題やしつけについて色々言うから、パパやおじいちゃんがいいと言われ、 もう職場が唯一の憩いの塲です。 好きで女に生まれてきたわけでも、一人娘に生まれてきたわけではありません。父親にお前と言われる筋合いもないはずです。 だいたいフルタイムで働いていて、夕飯を仕事終わってから作って、定年で仕事もしていない五体満足の父親のもとに持っていっているのに、これ以上何を求めてるの?って感じです。 夫婦でなんとか工夫してやってみてよ、子離れしてよと思います。 子供も私以外全員が蝶よ花よと甘やかすので私が躾をしないといけない。そりゃ甘やかしてくれる方に行きたがるよねって感じです。 夫も大変だけど我慢しなよと言いながら、自分だけ飲み会や趣味の時間を当てるのが許せません。 もうストレスフルで、なにもやる気が起きず、疲れています。気分もずっと憂鬱です。 全て投げ出して、布団にくるまっていたいですが、家族や息子がいるのでできません。 この気持ちをどうしたら晴らすことができるでしょうか

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どうしていいか分かりません

いつも素敵なお言葉のお陰で幸せに生きております。前提としてこれは贅沢な悩みなんだと思います。 仕事も安定し趣味のイラストも沢山の人に見てもらえ多分幸せなんだと思います。ただ、私自身幸せというのがよく分からなくなりました。 前から好きな人がいます、私自身暇な時間が多くどうしてもその人を考えてしまいます(よくないことは分かるのですがなかなかうまくいかず....。) 少し前に会う機会があったのですが、私自身は人生で一番かというくらい楽しく笑顔で話せたのですが、好きな人はあんまり楽しくなかったようで、また少し距離ができました。 好意を持ってほしいですがこれは他人の気持ちなのでコントロールできないとは言い聞かせ、引き続き自分ができる範囲の努力をしていこうとは考えてます。 好きな人が他の人と楽しく話しているとどうしても悲しくなります。 私の悪いところで一般的に楽しいという事が最近楽しくないです。 ・簡単な会話やただ褒めるだけの会話 ・美味しいものを食べるとか、いいねが多いとか一般的に楽しいというもの ・孤独が好きなこと ひねくれているし人間関係が悪くなるのは当然だなと思いながら毎回こんな風に生きているので、最近何が何だか分からないです。 幸せなんだと思うんです、お金も生活も安定して好きなことして、。好きな人もいて好きな人は最近幸せそうで。 ただ、1秒でも好きな人にハグされたかったなぁ

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休めない五月を生きるために

いつもお世話になっております ここ数年、副業が複数ありフリーランスに近い働き方です 五月の労働時間は、週50時間を超えそうです 仕事上の成果も、おかげさまでそれなりに実を結んでいます 今までの経験を活かし、新人や若手を育てる役目も担える立場にもいます 相手や自分の未熟さを受け入れた上で、焦らずにじっくりと正しく成長に繋がる選択をする、相当の忍耐や心の広さも周りの重鎮・長老的な立場の方から教わり、なおかつシニア層の心身のケアをお返しして長期雇用継続を支えているような毎日です 毎日が自己実現のための勉強や経験、プラスの成果・収穫に富んでおり、有り難く充実しています 副業先からは「もう少し来てほしい」と請願されています そしてまた子育てもあります 腹を割って話す、本気で向き合う時間と労力の必要な時期です 子のいないところで、伴侶とも話し合いをし、お互いの方針への理解を深めようと思っています 親の背中からの子の言動に、頭を抱えてしまうこともしばしばです 悪い芽は早く摘む「今のままでは自立が遅れ本人にとっても親にとっても良くない」と感じた時は、折に触れて伴侶にもちかけたり、子にも心の内を打ち明けています 一時期干渉をし過ぎたこともありましたが、なかなか距離のとり方は難しくも、子どもの反発は成長のあらわれだともわかり、それほど自己嫌悪=凹まなくなりました 家の事は特に課題が多く、正直氣の休まる時間はもっと必要です 忙しさに追われるとますます余裕がなくなるため、週3〜お寺に伺い読経や御詠歌の稽古で心身を落ち着け、行事にも出仕しています 治療家からの助言 若手専門家 「自分のからだと相談」「今は(定期的なメンテナンスで)安定しつつある」 指導員級専門家 「体調が崩れる原因は頑張り過ぎ、とにかく無理をしないこと」「なるべく温存するぐらいで、ちょうど良い」 自分自身、心と体の健康バランスを保つために 「空白の時間をつくる」「何もしなくてよい時間」疲れを回復させる時間が必要だと思いつつ 有り難いことに仕事が入ってきます 過信をせず 仕事の調整が必要だと判断し 余力を持ちながら 5月を乗り越えたいです 仕事を受け貯金もし 学校への目標達成へ 走り続ける目先の得より 自分を大切に ちゃんとエネルギーを 残しつつ皐月も勤しむよう お坊さんからの慈悲のお諭しをいただけますか

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学校に行くのがつらい、生きるのがつらい

こんばんは。見て下さりありがとうございます。 最近生きる気力がありません。 おそらく原因は数ヶ月前、仲がいいとおもっていた友人に裏切られたことです。 信じていたのにと、どうしようもなく勝手に思ってしまいます。他人に過度に期待を寄せすぎたのかもしれません。 自分にも非や自業自得な部分もあり、相性が合わないのは仕方ないことだと思うので、お互いのために距離を置いたりすること自体は普通だと思うのですが、最近その友人と友人のグループから嫌がらせのようなものを受けていて、私は写真を撮られること自体が嫌なのに勝手に写真を撮られて挙句の果てにはTwitter(鍵垢)に載せられたり、いろんなところで悪口を言われたりしていて、今まで信用していただけにとても悲しくてつらいです。 4月になってからクラス替えをしてその子たちとはクラスが別々になったのですが、廊下などですれ違う時にくすくすと笑われたり、わざと聞こえるように気持ち悪い、死ねなどと悪口を言われたりします。 私が気にしすぎなところもあるとおもいますが、気持ち的にかなりしんどいです。 言葉にするのが難しいのですが、宿題をしようかなと思った時に親に宿題やれと言われるとやる気が無くなるのと同じような感覚で、なにしようとおもったらいつも誰の声が聞こえる訳でもないのに誰かにそういったことを言われてる気がして、怖くなったりすべてに怯えてしまってなにもできなくなってしまいます。 頑張って生きようと思っても、誰かに生きるなだとか、あの子たちにしんでしまえと言われている気がして、苦しくて生きるのがつらいです。 私はこれからまともに生きていける気がしません。 どうしたら、今より楽な考え方で生きていけると思いますか。 お坊さんのお考えをお聞きしたいです。

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