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仏教の世界では

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尊敬していた方が亡くなり、お通夜に行ってきました。

地域にとっても貢献したお爺ちゃん医師で亡くなるまで現役でやってた方でした。

お通夜の際、下世話な話になってしまいしますが、とっても大きな葬儀で、お坊さんも3人で拝んでました。

一般的に一人のお坊さんが拝むのと、3人のお坊さんがお坊さんが拝むのは、どぅ違うのでしょうか。

例えば、3人のお坊さんが拝んだ方が、故人が成仏しやすいとか、三途の川を楽に渡れるとか、、、


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

儀式の進行上、或る程度人数が居た方が良い場合もあります

曹洞宗の寺の住職をしている吉田俊英と申します。曹洞宗の檀信徒の葬儀の場合に即して説明させていただきます。

曹洞宗の檀信徒の葬儀に於いて、重要な点は①授戒②引導の二つです。

 ①の授戒とは、導師(菩提寺住職)が故人に対して仏戒を授け、故人を仏弟子とし、仏弟子となった証しとして戒名を付け血脈(けちみゃく 仏弟子であるという証明書)を渡すことを言います。

 ②の引導とは、ちょっと難しい言葉ですが、誘引教導を略した言葉であると言われています。故人を御仏となる道に誘い、正しく仏道を歩むよう導くことを意味します。法炬(一般には「たいまつ」と呼ばれています)をかざして棺に点火して火葬する儀式を行い、引導法語と言って故人の生涯を総括し餞け(はなむけ)の言葉を掛け、迷いの世界から悟りの世界に身を転じるよう喝を入れます。

ちょっと専門用語の説明がくどくなって申し訳ございませんが、①②が葬儀の根幹の部分です。導師が一人いれば、行うことは可能です。

では、2人3人とお坊さんを呼ぶことは無駄なのでしょうか?

いいえ、決して無駄ではありません。必ずしも、そうとは言えません。葬儀始め様々な儀式を行う際には、殿鐘、太鼓、鈸(はつ)、鏧子(けいす、木魚など様々な仏具を使って執り行います。僧侶の人数が何人かいれば、必要な仏具をしきたりに則って使用することで、より円滑に葬儀を進行することができ、より厳粛な葬儀を執り行うことが出来ます。形式ばかりを重んじても困りますが、形を整えることも大事です。曹洞宗では「威儀則作法、作法是宗旨」と言って、形を整えてこそ心も伴うものであり、仏様や個人への供養もまず形を整えることから始まりそのことを通して真心も伝わっていく。そういう考え方があります。

見栄や世間体のために、多くの供花を用意し高価な香を焚き、衆僧(多くの僧侶)の読経を捧げても、功徳があるとは言えません。葬儀に関して言えば、葬儀にかけられる費用の枠内で、故人のために真心を込めて遺族としてのつとめを果たすことが大事だ、と思います。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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満足度の問題

お坊さんがたくさん居た方が豪勢で満足度が高い。
ただそれだけです。
1人の方がよければそれでいいと思います。
たくさん僧侶を呼んで豪華な葬儀をしたい人はそうしたらいいでしょうし、したくない人はしなければいいです。

僧侶の側から言えば、たくさん呼んで頂くことでお寺の運営上とても助かります。
実際、僧侶1人での葬儀が増えたことで小さなお寺が潰れています。
他寺院の葬儀に呼ばれることで何とか維持してきたお寺も多いのです。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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宗派や地域により様々ですが参考までに

まず、お葬式でお勤めされるお坊さんの数で、行先がかわるなどということはありません。

ただ、宗派によってお葬儀での役割が決まっていて最低何人ということはあると思います。それは定められた儀式の仕方が決まっていることから最少人数も決まってしまうということで儀式を執行する際の決まり事ですね。

私たちの浄土真宗では通常、役割といってもせいぜい、導師(儀式の主な執行者、そのなくなった人の頼み寺住職が勤めることが多い)、鐘(かね)をたたく人(一人でできないわけではない)くらいのものです。あとは何人いてもただ座って(ときに立って)お勤めするだけです。

だったら何も大勢はいらない、ということになります。そこで私の寺の葬儀を例にとって説明します。まず、同じ村に禅宗のお寺がありますので、そこのご住職には来ていただいています。同じ村の住人として故人と生前お付き合いがあり親しくしておられたからです。それから同様の理由で近郷の寺のご住職、よその村から嫁いでこられた女性は生家のご住職、その他近い身内の頼み寺からもおいでになります。こうしたからといって亡くなった人が結構なところに行けるのではなくても、このような形で大勢のお坊さんたちとを招いて娑婆の皆さんとある意味でのお別れの儀式を勤めるのです。

こうしたことには確かに無駄な一面はあります。だから私の住む田舎でもお坊さんの人数ははっきりと減少傾向にあります。しかし、多くのお坊さん、そして村人、知り合い、親戚などたくさんの人に見送られてお別れすることには無駄とはばかりは言い切れない尊い意味があると私は信じています。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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いっぱい呼べばかかるもの

葬儀に僧侶を沢山来てもらうと、お布施をいっぱい包まなければなりません。
税金とお布施はよく取られたと表現されてしまいますが、そもそも沢山の僧侶にお経を読んでもらうことに意味があるのかどうかが問題になります。
ではその辺について少し考えてみましょう。
インドで釈尊が説かれた教えが仏教として日本に入って来ましたが、インドでは福田(フクデン)という思想がありました。聖職者に施しという善行をつみその後に福徳を得るという考え方です。
布施とは「施し」という意味もあります。
お坊さんを沢山来てもらって、沢山の布施をすることは沢山の福徳を得ることになります。
この福徳を亡くなった方の所に届けるのが回向(エコウ)です。
こう考えるとあながち無駄や無意味ではないような気もしますが、あくまで亡くなった方に対して、少しでも心穏やかにいてほしい、仏様の元で早く悟りを開いてほしい等と思ってすれば意味があると思います。
しかし、財力を誇示するために沢山呼ぶことは本末転倒です。

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私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショ...
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最後も盛大でありたいという願い

由美子姫さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

由美子姫さんは、お坊さんの数で成仏しやすいのか、気になるのですね。また、なぜたくさんの僧侶が必要なのかも気になっておられるのですね。

故人は地域に貢献し、誰にも愛された方であったと拝察します。そういう方が亡くなったとき、ご遺族だけでなく、お世話になった方々が少しでも何かできることはないかと考えます。そのひとつとして、盛大な葬式をしたいと考えることがあります。

盛大な葬式とは、幅の広い祭壇(地域によりますが通常は120㎝ぐらいなので、その2倍の大きさ)を準備し、生花をたくさん供え、たくさんの方が葬式に参加でき見送ることができるものです。参列者は200名~300名ぐらいを予想します。そうなれば、僧侶がひとりだけでは格好が付きません。3名~4名の僧侶に来てもらい、読経を依頼することになります。

全ては、故人を盛大に見送りたいという意思の表れだと思ってください。お葬式の準備をした人も、参列した人も、「いい葬式だったね」と言えるような式にしたいのです。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

芸能人の葬儀も何かとTVで、お坊さんが3人 で拝んでいるところを見てると『やっぱり金持ちのお葬式は違うよねぇ~』と下世話な考えで見てしまう自分がダメなんですよぉ。

回答、ありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

海外からの祖父の葬儀参加について

先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。

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祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ